お金に困ったら読むブログ

みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



自分が社会の歯車としか思えないときに読む文

 

ぼくの本業、プロ撮影業や街の写真館業界でここ15年ほど巻き起こった大変化は、フィルムからデジタルへの移行である。それもプロカメラマン自らの意思による移行ではなく、時代にせかされてやむなくフィルムを手放し、デジタルに切り替えざるを得なかったという消極的なパターンが多かった。

 

ポートレイト撮影や集合写真という「なかなか一般人には撮れない」と思わせておける「聖域」の既得利権は、自らを「写真師」と敬称で持ちあげるクセのある業界人にとって、なかなか簡単には手離したくないものだ。だからまだ「写真師」の中には、オワコン(意味合ってる?)にもかかわらず、フィルムや銀塩プリントに未練を残す人がいる。

 

だが写真自体は見た目に変わらなくても、それの持つ意味合いは変わっているのだ。だから写真に供せられる設備も、淘汰という形でも何でも、変化していってしかるべきだ。写真館は上にチラと書いたように出版界などと同様、よく言えば伝統、悪く言えば過去の遺産にあぐらをかく悪癖が元々ある業界だが、その習性からいまだ完全には抜け切れていないのである(最近は世代交代やデジタルの洗礼でリセットされてきてるので、その悪癖からだいぶ脱皮できつつあるが)

 

 さてとここまでは前段であります。この狭い業界話に、いましばらくお付き合い願いたい。

 

というわけでデジタル撮影時代の到来と相成ったワケだが、カメラマンにとってデジタルになって解放されたものがひとつある。撮影数の上限だ。フィルム時代には考えられなかったメディア大容量時代が、シャッター数の膨大な増加の後ろ盾になった。これは大きな違いだ。音楽でいえばレコード時代からCD時代を飛び越えて、いきなりiTunesへ飛躍したくらいの違いである。

 

ところがこの撮影数の上限撤廃が、いっけん恩恵のようにみえて実はそうでもないのである。下手なフォトグラファーほど許容度が上がったと勘違いし、安心してバシャバシャ撮るが、そういうのに限ってたくさん撮るわりには、いやだからこそ、しっかりとした品格ある、キリリとした写真はほとんど残せてない。あるのはライトでカジュアルな、すなわち誰でも撮れるような、ただシャッターを切っただけの内実のないフォトばっかりである。

 

すなわち「(アルバムなどに素材として)使える」とか「(顧客に)買っていただける」画像がないのである。

 

これは問題も問題、プロの死活問題であるが、「カメラマンによって良し悪しがある」などといって社長にはスルーされるだけで問題視はされておらず、したがって業界内の誰も警戒していない。そして下手っぴカメラマンは写真を見る目も育ててないのであとで画像を自己検証することもない。だから自分たちのひどさは改善されないままだ。下手な鉄砲も数撃ちゃ式は、ここではっきりと悪傾向であり、かつそれは年々顕著になってくるばかりなのだ。これは写真館にとってはクオリティー面での緩慢な自殺に値するできごとであり、大手資本のライバル写真館の攻勢なんかよりも、はるかに大きな内的課題だ。なぜなら写真館自体が写真を撮影を、てんで分かっていない(「伝統」に対してあぐらをかきすぎた)といわざるを得ないからだ。

 

プロ撮影とは何かというと、それは瞬間との勝負である。研ぎ澄まされた1シャッターに気合いも魂も技術も、すべて投入するものである。したがって何でも撮っとけという雑な態度は、逆に真の、びしっとキマって焦点の定まった、まさにそこ以外ではありえないくらいの濃密な時、いわゆるシャッターチャンスを、ことごとく逃すことに実は直結している。弾きまくるギターは、優れた1音をセンスよく鳴らすギタリストにかなわないのである。

 

撮影業の従事者が現場でいまあえいでいるのは、そうやってデジタルの恩恵に依存しっぱなしでシャッター数ばかり増え、その結果後処理の作業領域が際限なく増加、パソコンの前に座っている時間の方が撮影本体よりもはるかに長いという皮肉。それに対する苦慮である。

 

ああ、ここでやっと本題だ。

 

このほどさように、情報の氾濫、テクノロジーのむやみな発展は諸刃の剣どころではなく、はっきりと「実害」をもたらす。それも見えない「悪手」で使用者をゆさぶるタイプの、根の深い本当の実害だ。その引き金となる悪手とは何か?それは人に飽和を与えるということである。プロ静止画撮影の話をしてきたが、ソフトウェアも含めた撮影テクノロジーの発達がスペック向上にのみ向いているのは、使用者の充実を約束しない。いやそれどころか「それ(業務)はそれ、これ(ブツ)はこれ」と、両者に冷たい乖離を宣言し、分断するかのような空気すら感じられる。こう考えていくとメーカー主導の業界(写真館業界がまさにそうであった)とは、なんと大ブロシキ拡散型の、大雑把な世界把握であろう。

 

世がこういう方向にだけ変化していく一方だと、どうなるか。

 

感性の世界には、じっと辛抱強く待ち構えて何かが光臨したり成長したりするのを受け止めたその先に、やっと獲得した希少性が燦然と輝く価値を持つ、という順序がある。そしてこれは感性だけでなく植物の成長や人生のプロセスもまったく同じことなのだ。飽和を導入し量を保証した方が、イマドキは手っ取り早くてわかりやすい・・・これが錯誤の一里塚、短絡という名の破滅に至る門である。それにまんまとひっかかって乗せられたまま自制が効かないと、例えばせっかく芽吹いた作物に、肥料も水もじゃんじゃんやって根元から腐らせてしまうといったことを起こす。

 

そう、飽和はかならず人を狭窄せしめ、枯らしめる方向にいく。飽食で栄養が足りたら、今度はその多食が、他ならぬ健康を損なっていくのと同じ理屈である。飽和の本丸とは、擬似安心・エセ納得の獲得だけである。その前提にある大元の「不安」と対峙しないと、飽和には奉仕しても、かんじんの生きることがぜんぶ元のもくあみに帰してしまう。

 

プロカメラマンでなくても、今ぼくらに必要なのは、自分の感度にピン!ときたことを、点でライブにしっかりつかまえることである。ひらめきで自分をドライブさせていくことである。その態度を貫くためにむしろ大事なのは日々をフリーハンドでぶらついてることだ。おなかをすかしていることだ。ごたいそうな態度から無縁でいることだ。

 

これは一般に言われてることと逆の態度である。いま世間で推奨されてるのは、少しでもお得な情報はないか嗅ぎまわるとか、他人よりもほんの少し情報を先取りしなきゃという、情報のアンテナを常に広げる態度であるが、それはさっき書いた「飽和」の前で敗走する生き方だ。ダブルポイントデーでお得だからといってポイントカード基準額を満たすためだけに余計な買い物をする、なんてェのが飽和への敗北だ。あなたの生きる姿勢は、生活態度のすみずみに、はしばしに現れている。必要なものはいつでも目の前にあるのだから、気付くか気付かないかだけなんである。外部から後天的に付与されるもの(たとえばもうけ話や宗教の勧誘とか)にロクなものはない。

 

むしろ、しないことの方に真髄が宿ってる。ひ弱、しんみり、たよりのなさ、心細さには、かならずバイタルな豊潤が隠れてる。のっぴきならない瞬間瞬間の中に、次の飛躍のタネはある。あなたは、ニンゲン種という大きな想念にとってだけ、一片の素材や歯車であるのだから、それを堀りにいこう、探しに行こう。ポケモンなんか探してないでさ。

 

<了>

 

夏なんか嫌いだ~カツアゲをどう切り抜けるかの私的トライアル~

Summer's almost gone. 今は9月、夏はすぎゆく。

 

夏といえば海に山にキャンプにフェスという楽しみが一般的だが、それらとはあたら無縁のぼくにとって、夏は苦い記憶を呼び覚ますだけの季節である。

 

苦い記憶、それは明らかに年下の奴らからカツアゲをくらったことがあるって記憶である。ここでいちおう言っておくとカツアゲっていうのは食べ物じゃなくて、強者が恫喝して弱者から金を巻き上げる喝上げ、つまりあの卑怯な犯罪行為のことね。

 

ぼくはいちおう大人になってからウカツにもそのカツアゲを食らったことが、なんと2回もある。どちらも盛夏のできごとだった。

 

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1回目のそれは19歳のころ。一人であてどなく街をブラついていた当時のぼく(予備校生だった)の様子がよほど挙動不審だったのか、あるいはチョロく見えたのか、あるいはその両方だったのか。

とにかく高校生みたいな私服の2人組に目を付けられ、絡まれ金を無心されたことがあった。


「お兄さん、おれら金なくてさ。貸してくんない?」と。

 

「ほんでいつ返してくれんのや?」(←最後の「や」は仙台弁の特長)みたいなトボケた会話を繰り返してケムに巻こうとしたが、しつこく迫ってきて正直ビビッた。
しかしこのときは福音があった。2人組みの片方がまともな奴で、ぼくに執拗にせびる相方に対し最初から「おいカツアゲなんかやめろ」と制止していた。

こいつがいなしてる間にスキをみて遁走し、おかげでぼくは難を逃れたのだった。

 

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2回目のカツアゲは、これまたウカツすぎて笑ってしまうが30過ぎになってから。15年ほど前の話だ。
このときはまんまと7千円くらい取られてしまった。しかも自分の半分程度の年齢のやつらにである。何ともハズい体験だがこのさい白状してしまおう。

 

当時JRの夏の企画に「北海道東北鉄道フリーパス」という、有名な青春18キップよりもっと自由度の高いプランがあって(今でもあるのかな?)、会社の夏休みにそれを使って、あてのない無計画な各駅停車の旅行をしていた時のことだった。


ある夜秋田駅で、接続電車がなくなってしまった。


その時点で宿をとることも出来たが、金をケチって駅構内で夜更かしすることを選んでしまった。それがウンの尽きだった。

 

終電がなくなってから2時間ほど経過した深夜の駅校舎内。地方のターミナル駅(秋田新幹線は当時すでに開通していた)という中途半端な規模のところのそれは、実にカオスな光景であった。


ラスタマンが構内にいつの間にかゴザをひいて、ラジカセで爆音エスニック音楽をBGMにアクセを並べて売ってる。
しかし彼は明らかに売る気はない。
カップルが道端に座り込んでイチャついてる。いまにもおっぱじめそうなこの2人は、風貌からするに社会人である。行為に及ぶなら、しかるべきところに移動したうえでヤッて頂きたいものだ。
ほかにももっと怪しげなやつがいたが、細かいことは忘れた。

 

平日でこれである。週末はどーなってることやら。今は管理社会も相当進んでるから、深夜の駅構内は当時のような荒廃はないと思うが、ただ不穏さを排除すればいいってことでもない気がする。
あのラスタマンなんかは今どこでどうやって生計を立ててるのであろうか。

 

さてそんな中、いかにも田舎のヤンキー現役バリバリといった風体のガラの悪い2名が、タルそうにやってきた。
獲物を狙うようにきょろきょろしてる。年のころは15~16歳といったところか。

 

漫然とベンチに座っていたぼくに狙いを定めたらしく、近づいてきて、こう言った。

 

「おれら秋田獄門会のもんだけどさぁ…」

 

まず、感心した。個人名ではないがとにかくみずから名乗ってきたのだ。「秋田獄門会」と。そんなの実在するか分からないし、それが何の団体かも知らぬが、とにかく礼儀をわきまえてるのは評価できる。

しかしほの暗い深夜に、しかもアウェーで聞かされると、威嚇効果バツグンのネーミングだな。なにしろ「獄門」であるのだから。

 

一瞬感じたこの名乗り上げに対する感心も、ところが奴らの次の一言で消えた。「こんなとこにこんな時間にいるんだからカネないのは分かるんだけどサァ…財布の金、恵んでくんない?」と、下手に出た言葉とは裏腹に、ひん剥いた目の玉でこちらをギロリ睨み据えながら言う。

 

そして懐柔役と思しき相方がニヤつきながら「こいつがブチ切れる前に、出した方が身のためだよ、お兄さん」かなんか言うのであった。その横でキレ役の相方は、さっきの低姿勢な物言いとはコロッと態度を変え、「テメーぶちコロス!あうっおうっ!!」とか叫んで体をクネらせ、さっそく攻撃モードに入った模様。殺すも殺さぬも、こちらが何のリアクションもしないうちに、である。今思うと笑うしかない「狂った真似」であるが、当時はビビった。

 

交番は階下であり、またこちらには荷物があった。うかつに逃走できない。アウェーの弱さだ。


振り返って考えると、これは非常に考えられた狡猾な手口である。ツーマンセルで弱そうな一人(ぼく)にアタック。片方が鬼でもう片方が仏の役。刑事ドラマでの取り調べの配置のようなこの妙味。
今回の抑止役は、19歳の時のカツアゲ時におけるアイツのような、純粋なそれではなかった。一枚も二枚も上手の、ロールプレイでの役を忠実にこなす知能犯であった。喝上げとはギリギリな状況を勝手に作り上げ、その閉鎖の中でゼニ出す出さないという、関係性のゲームである。

 

ゲームである以上は、こちらも話術やネゴシエーションのスキルでかわすしかない。


ぼくの作戦は決まっている。変な行為を繰り返し相手をあきれさせ、こんなヤツと
かかわってても時間のムダだと思わせることである。これならぼくの地でいける。
「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」である。いや違うか(笑)。

しかし相手はおそらく百戦錬磨の、カツアゲに特化したキレッキレの「キレ芸人」である。ぼくの作戦が通用するかどうか…でもやるっきゃない(と当時は思い込んだ)

 

こうして小銭をめぐって狂人のフリを競い合うという世にも下らぬ応酬が、深夜の地方駅構内を舞台に繰り広げられたのだった。なに、昼間の仕事だって同じようなもんじゃないか、苦でもない。

 

ぼくはそこで飛び道具を出した。当時習ってたロシア語(!)を口にして、日本人でないフリをする作戦に出たのだ。秋田なら地理的にロシアは近いがそんなことはこの際関係なかろう。ぼくは叫んだ「うみにゃーにえっとでぃえんぎ(金なんかありません)」と。ラスコーリニコフのように。そう、「罪と罰」の主人公のように。
ぼくのロシア語の発音は、自分で言うのもなんだが、うまい。この、あまりのすっとんきょうな言葉の響きに、相手はすっかり度肝を抜かれるはずだスパシーバ。


ということでこうしてロシア語作戦を展開してみたが、露語の語彙に乏しく、すぐに日本語の会話に戻ってしまって、あえなく自滅、失敗した。ちくしょうハラショーである。せめて英語にすればよかった。どのみち獄門会には分からないのだから。

 

次に屁をこいてその強烈な臭いに相手がひるんでるスキに、スカンクみたいに逃げようと思った。うまいぐあいにそのとき便意もあった。こういうときにぼくは、強烈なのをヒリ出せる特技を有している。
そこでぼくは意図した通り会心の一発をヒリ放った。ブログの世界には何とか砲ってのがあるがそれの数段上を行く砲屁、音ナシのスカシ屁である。これはくさい。強烈に臭い。硫黄的な腐敗のニオイに、なぜかケミカルの異臭も混じった「傑作」である。これは効果絶大のはずだ。相手が女の子なら一発で百年の恋も冷めるレベルである。

 

しかしその乾坤一擲の作戦も失敗した。「てめ、屁こいたな」の一言を発しただけで、相手はゆるぎないのであった。

 

どちらの威力も、カツアゲの撃退にはゆうに及ばず失敗した。変なやつで通せば相手があきれて立ち去るという、それまで成功してきたマイ独自の撃退法が敗れた瞬間だった。ビビッた。

 

ということですったもんだ色々抵抗したりニラミ合ったり声を上げたりしたが、「数千円で俺ら退散すッから。安いもんジャン」とかいう、よく考えると論理になってない論理に負けて、ぼくは財布を出してしまった。

 

当時のぼくの財布は、レシートとか、いつか使おうとしてそのじつ期限切れのクーポン券などでパンパンであって、札よりもそれら紙切れの方が多いくらいであった。その中から千円札を3枚引き抜き、獄門会に手渡した。


本当はもう少し千円札はあったのだが財布内のジャマな紙切れと、見えづらい暗やみが幸いしてカモフラージュできたと思った。そのときは。

 

獄門会は去った。あたりはラスタマンの爆音BGMが鳴り響くだけの光景に戻った。救われた気持ちとくやしい気持ちを両方味わいつつ10分ほど経過したところ、驚くようなことが起こった。なんときゃつらは戻ってきたのだ。


そして「お前、もっと持ってるだろう。出せ」と、キレ役のヤツはもちろんのこと、今度は先ほどの懐柔役までもがムキ出しの強奪態度で来たのである。二度に渡り、安堵の中から残余までも入念に奪取していくという、孫子の兵法も「戦争論」のクラウゼヴィッツも真っ青の、人間不信になりそうなカツアゲ実践であった。
ぼくは観念し、残りの数千円をも差し出した。奴らは得心がいったようで、「おれらみたいなのに気を付けな」とホクホク顔で余裕のコメントを残し、今度こそ本当に去っていった。

 

30過ぎてはじめての挫折だった。カツアゲに対する敗北(笑)

 

君子危うきに近寄らず、という言葉が脳裏に去来した。

 

ふと頭を上げると、例のラスタマンは何事もなかったかのようにゴザをたたんで帰り支度をしていた。なんでお前は空気のように振る舞い、獄門会の餌食にはならんのだ。不公平ではないか。


時刻は午前4時半で始発まであと1時間。今日も暑そうだ。口の中が苦い。

 

ぼくが夏を嫌いなわけが、少しは分かって頂けただろうか。あのとき以来ロシア語の勉強もやめてしまったな。

 

<了>

 

人は寄り道タイプの方がいい。

ある規定のものごとに対してそれを当然と思わず、「これすんのメンドくせェなぁ」「(やらずに済むような)なんかいい方法ねぇかなァ」「なんでこれがあんのに、これと反対のモンがねぇのかなぁ」という思考の(少し行儀の悪いタイプの)「こむら返り」が、えてして新しいシノギを生み出す。

 

これと同様に、世の中に蔓延してる「正当的な」傾向、すなわち関心のある事物への没入だけをせっせと推奨する雰囲気は、それだけだと人の成長にはあまり生産的でない。それってある規定に対してそれを当然とする態度と同系であって、だから秀才を生むかもしれないが一方で単一的で視野の狭い、専門バカみたいなのを増やす土壌にもなる。

 

その人の資質を形成したり、複線的で豊潤なものにするのは、むしろ当人の無関心なことへの散策に隠れている。自分には関心が持てないものがなぜ存在してるのか、その理由を模索してみたりすることが、全体思考に資する。だからそうするために、いつも何かしら逆サイドから相手の裏をかいてやるような気概で、ヒネくれてることである。それが多様性を担保する。

 

少年がスポーツに負けてピーピー泣く、「くやしい」といって地団太を踏むといった光景は、その子の次へのステップになるのかもしれないが、どうもわずかに是認できない要素を感じるのだよ。

 

没入するのもほどほどに。没入対象にしらけたり、「なんだこんなもの」とコケにする「より道」の方が、本道だけを極めるよりもむしろ大事な態度だ。

 

<了>

 

おんりーいえすたでぃ

音楽がレコードだった時代、LP盤のミゾで音楽が「読めた」。深い溝は音が大きく、ミゾが疎遠の部分はかそけき音圧だった。曲間も分かり、曲数も、2曲で1曲などの、アルバムの構成も、針を落とす前にある程度判明したものだった。

 

LP(ロングプレイヤーの略)は片面せいぜい30分の収録時間。A面B面合わせて46~60分のユニットという形式が、音楽の再生表現に独自の世界観を呼び込んだ。半分過ぎたら手動で盤を裏返すことで聴く態度をリセットさせる、その行為の合理。ジャケットは肉厚の紙に重厚な印刷。それ自体がアート。聞いてる間はジャケットに目をやり、ミュージシャンの営為をあれこれ想像する手がかりとする。


メールもスマホもPCもなく、手紙でやりとりしていた時代は、封筒の厚さで内容まで推測できた。中味だって書き文字の筆圧や文の乱れが、時に書かれた内容以上に雄弁な場合も往々にしてあった。なにより字体は、人となりそのものであった。


本も、特に文庫は、ページの厚さで読む量が物理的に推し量れたし、また読んでる最中の進度も一目瞭然であった。紙の手触り、印刷の品質(オフセットなど)、段組みの適度なスペース感などが、読書という行為を円滑にすすめるにあたって重要なアシスト要素となる。

 

このように表現形態と、媒体の物理的関係は、存外無視できない。


いわゆる古典文学も、書いてある中味は同じだけれど、例えば半世紀以上前の、粗いワラ半紙の写植、旧かなづかい満載の戦前みたいな翻訳と、今風の新訳で電子書籍という新プラットフォームで読むのとでは、同じ本でもかなり風合いが違う。プラトンの本などをパピルスの巻き本で読んでいた時代は、読書とはいかなるスタイルだったのだろうか。

 

どれがいい悪いでは、無論ないのだけれど、興味はつきない。人とメディアのかかわり推移を見てると、人類は一歩も進歩してない気もするね。

 

<了>