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世の中みんな死ね死ね団

アニメ製作会社に放火して殺人する奴がいたが、そいつの真の犯行動機は、他でもないアニメにある。

 

どういうことか。

 

アニメとは、もともと人に潜む依存心を目くらまし的に助長する性質を持つ。それも強烈に。そして一部の人間の中にはその依存心を妄想や被害者意識に発展させてしまい、ちょっとしたきっかけでそれを爆発させるやつがいてそれがテロとなる。殺人の方法や警察の動きなら、毎日ドラマやワイドショーが教えてくれてるので、教科書には事欠かない。いや「一部の人間」と書いたが違うな。正しくは人は全員、わたしも含め人殺しの素養を抱えているのだ。違いはそれを発露させるかさせないか、その差だけだ。

 

アニメは(押井守師匠曰く)抽象度が高いので、他の表現、たとえば文学などよりも中毒性が高い。たかが絵空事のフィクションなのに、いや絵空事だからこそ作品世界に没頭し、われを忘れてコンテンツにのめりこんでしまう。わたしもヤマトにガンダム、エヴァにけいおんと、ヒマつぶしにいろいろ観てきたクチだし、軽度にハマっていた時期もあった。

 

ハマる。そう、ハマるとラクなのだ。自分の人生をアニメに仮託できるようになるから。

 

で、現代社会を生きるコツのひとつに、対象と自分を意識の上で一体化させない、途切れている状態をキープする、ってのがある(と思う)。

 

アニメという「対象」にハマってる状態であっても、その現状を「ラク」すなわち、「イマは良く見えてもそのままだと後の人生でしっぺ返しが来る」段階と認識でき、いずれ脱するべき時が来る一時の現象とみるか、それともこうした自覚もなくハマり続けて例えばキャラビジネスの奴隷になり下がるか、この分水嶺を自分で設定できるかがカギなわけだ。

 

でもってアニメには、学校制度における卒業みたいな、具体的追い出し契機があるわけではないので、対象に飽きるとか冷めるとかがないと、どこまでもはまってしまう。

 

あの犯人は、したがってアニメに被害者意識を育まれてきて、そこから出てこれなかった奴に相違ない。

 

そういえば放火に関しては2001年に青森県弘前市で、金貸し業者(武富士)に同じように放火して殺人した奴がいたが、あれの原因はカネにまつわる恨みつらみであって、すなわちそれ(カネ)は武富士の商売ネタであった。カネにまつわるネガティヴさの責任が、武富士にすべてあるわけではもちろんないが、事件当時の武富士テレビCMの大量さや、カネを借りやすくさせる無人機の増設により、武富士は特にイメージが悪かった。

 

こうしたことと、カネを切実に必要とする層の荒廃さがマッチすると、皆殺しの発想が生じる。犯行動機なんてこのように単純なことで、捜査とかしなくたってみんな分かってること。事件が生起してからいくら捜査したって後悔先に立たずみたいなもんだし、凶器になりそうなものなど、いくらでも日常に転がってるしね。

 

アニメも金融も、なにも悪意でビジネスを展開してるわけではないが、問題なのは当初は悪意がないのに、結果的には悪意を育ててしまってるこの世界の構造のほうだ。敷衍して言えばそれは資本主義や貨幣経済の仕組み、そしてわたしたちに潜む、依存心という根源的な不幸だ。CGの発達で見たこともないような大スペクタクル映画(=日本人以外にとってはアニメ)が作れ、それに夢中になったアメリカで起きたのが、映画みたいなあの9.11テロだという事実。

 

各事件に巻き込まれて殺された人は、あわれこの世界の犠牲者ということができる。

 

蛮行がなければ、監視カメラだらけのこんな世になっていないわけで、このように現代は、凶悪犯罪の芽をみなでせっせと育てている社会である。

 

その因果は、こんな文を書くわたしにも降りかかってくる日が来るだろう。それまでは、せめてこの不幸の構図に自覚的でありたい。

 

<了>