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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



「日本はすばらしい国だ」スローガンは自滅の始まり。

だいたい世の中は物事が逆である。

 

「日本はすばらしい国だ」なるほどそうかもしれない。しかしこの認識は原点ではない。すばらしい/すばらしくない、は人の営為の結果のみに100%対応するものであるから順番が逆さまだ。

 

(ここで初学者のために一言。あたりまえだが森羅万象の存在 ーたとえば自然などー は人的評価なんぞの埒外にあるので本来すばらしくもすばらしくなくもない。親にとって自分の子供は顔がいいとか頭がいいとかの世間基準なんか問題にならぬ。無条件に抱擁すべき存在であるのとおんなじだ)

 

で「日本はすばらしい国だ」という「思想」について、本来の順番だと以下のようになる。

 

「ある共同体の中では、充実し屹立し他者への配慮も行き届いた人が以前から多く、関係性も多彩である。よってその共同体およびその営為の蓄積(=ホントの歴史)は優秀と言える。そういう共同体が多いので国単位でいうならたまたま今の日本はすばらしい」

 

となる。(国とか国家の概念論議は、また別にして)

 

日本や社会という抽象概念でひとくくりして簡略化し、「要するに何なんだ」とか「結論から先に言え」という実務レベルの、粗暴な論法に一足飛びになりがちだから、世の中は誤解曲解、倒錯やまやかしが介入するスキができてしまう。世界は歴史は、最初から最後まで人間である。ひとりじゃ何も始められない人がたくさん集まったって、ただ群れてじゃれ合って、宗教とか健康商品などの何とでも解釈できるような抽象に走るだけだ。その理論武装と、同質のお仲間同士の馴れ合いで人生が終わるだけだ。

 

「日本はすばらしい国だ」という認識だけにとどまって、「ああすごい」「おおすごい」などと、風俗嬢の演技のように詠嘆を繰り延べてるだけだと、自分しか見てない思想によってまず自己疎外が起きる。自分で気づかぬうちに、相手の義務と自分の権利ばかりに考えがいくようになる。すると次に被害者意識に毎日支配されるようになる。今日もパチスロでスッたのはあのババアのせいだとか、障害者はキショいだけだ氏ね、となる。最終的にはその不満解消に自暴自棄、やけくそ戦法が選択され個人テロに発展し、テロは戦争へ連なる道であり局地戦や紛争で押さえようとしてもほっときゃ全面戦争になる。その結果、国は滅ぶ。人の世を崩壊させるのは武器でも毒でもない。こうした安易な図式が、人に引き金を引かせてその連鎖と相成る。諸悪の根源は徹頭徹尾、人間である。歴史から得る学習は、そういう本質論であろう。

 

だから人にとって納得など、カンタンに到達するものではないよ。とくにイデオロギー方面は。

 

もし日本のことを言うなら、「日本の風土は美しく見えるときもあるしそうでないときもある。そしてそれはほかの国も同様である」ってな感じか。要するに日本はすばらしくないかもしれない、というドライな、平明な「恐れ」をいつも抱いてることが肝要である。それがぼくらを知的にキリリとさせる原動力である

 

この文全体で、日本を自分と言い換えても通じるのであります。

 

<了>