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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



ぼくには経済が分からない。

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日本の貨幣/紙幣。 画像引用:http://01.gatag.net/

 

ぼくには経済が分からない

当方、資本主義、キャピタリズムといわれる社会に生を受けたが、小銭以上の「資本」を有したことはなく、また、株式会社だらけの世に暮らし何十年となるが、株の買い方も、どこで買うのかも知らないし、株式を購入する保有する売却益を得るという行為全体が、まるでピンと来ない。

 

また例えばアパートの大家になって家賃収入で食っていくとか、FX差益で儲けるなんてのも、どうにも信じられない処世術である。これは自慢なのだが、今年47歳の筆者が今まで購入したいちばん高価なもの、それは50万円の中古軽自動車であった。


かようなボンクラが戯言のように思うこと。それは資本や株とは、投票権のように万人が有しており、任意に、自由闊達に行使できるのがそもそものありよう、役割なのではないのか、ということ。であるならば、投機だとか損得だとかマネーゲームとか為替相場とか株式市場とかは、すべて副次的な意味しかなく、その程度の位置で、いじましげにおとなしくしておるべきだ。


そしてそのよく分からないものどもが存立してる基盤が貨幣制度であって、これがまたおなじ穴のムジナときたもんだ。


金銭(貨幣、紙幣)は、額が大きくなれば(いや始めの単位である1円1銭からそうなのであるが)、記号、幻、ツチノコ、蜃気楼のたぐい以外の何者でもない。得体の知れぬものである。


たとえば日本の税収は一般会計税収で年に56~57兆円だそうだが、理論上額面上計算上そうなってるってだけで、そいつを現ナマで明日までに全額用意しろといってもできない。
日本中の金融機関が保管してるゼニと、市中に流通してるカネを全部あわせても、いくらになるか知らんが間違いなく税収総額を大幅に下回っているから、1年待っても全額用意できないに違いない。
日銀の黒田総裁であっても、安倍総理大臣であっても、純物理的に不可能だ。
かといって総額に見合うだけの紙幣を印刷し、市中に解放すれば、経済学上はインフレになる(らしい)。まぁ、そうする必要もないのだが。


このほどさようにカネとは、ありもしないのにあると自己暗示をかけ、みんなそれを疑いもしない状態が基盤なのであって、これを俗にハダカの王様状態という。クレジットカードなどはそのマボロシにカードという別の種類の擬似マボロシをかけあわせた2乗存在であり、したがってその空疎な間接性こそがショッピングにまつわるあらゆる思考停滞、麻痺、先送り等々の大元になるのである。スキミングなどといったカード犯罪(クローンカードの複製生成技術)が世に横行するのも、なるほどしごく当然である。クレカのような「象徴」によって現代に提示される分かりやすい利便性こそが、もっとも警戒を要する魔物なのだ。


硬貨にせよ紙幣にせよ、千円札なら千円札の交換価値があると万人が認定して初めて効力が生じるし、しかもその認定は希少性が必要条件であり、時と状況のバランスが崩れれば、札束も価値としては紙くず同然となりうる(実際、第一次大戦後のドイツでは、インフレーションによって紙幣が紙くずとなった)


やはり金銭は、その存立基盤がたいへん怪しいマユツバものなのである。身近な経済指標とされている前年比なども、もっともらしいようだがよく考えるとそんなもので成長を計量できるとみなすのは、魔物のようなワケの分からなさがある。


「カネは天下のまわりもの」という。そのとおりカネはマボロシだから私有概念のソトにある。
個人が流通させることも、貯蓄することも(本当は)できない。できたとしてもそう見えるだけでいつ消去されるか分からない。
そして相続に関しては、いま国家がそいつを吸い取ってしまおうと、虎視眈々と狙っている。
したがって金銭について個人ができることといったら、いまここで散財し続けることだけだ。それか有価証券や金(きん)のような、別の概念に変えちまうか、だ。


膨大な借金で日本は破綻寸前などとずーっと言われてるし、世界では現にギリシャ危機などがあったが、いづれも実体の感じられない机上の計算みたいな話で、まぼろし話と大差ない。日銀と国債の関係など、ヘビが自分の尾を食べて生き延びるようなもので、大いなるパラドックスである。


だいいち金銭とは本来、資本や株式の量を計って蓄積や流通、取引の潤滑さに貢献するだけの単位であって、つまり手段ではなかったか。
その、単位や手段に過ぎぬものが、人々の生活を覆いつくして、人がそいつに支配させられ、共食いまでさせられているのは、大いなる本末転倒、倒錯錯誤である。


東京都知事なんか、猪瀬も舛添も、それ以前の経歴がエエ格好しぃ奴であればあるほど、みんなカネにまつわるぶざまさを露呈してきたのは、その象徴である。語る価値もないあのアホらしさには、脱力するしかない。


借金の返済というカラクリも、ひどいまやかし制度である。市中にあふれる銀行、金融業、クレジットカードに金利という魔物。カネを調達せねばならぬ側は、利息分として余計なカネを用意する必要があり、貸し方がその金を回収する時に得る利潤が、これまたゼニであるというこの自家撞着、自己中毒。しかもその連鎖。
カネが餌となり「信用」とかいうあいまいな未来を担保に次のカネを生むという、このありえない現象をのさばらしてるのはいったいどこのどいつだ?
銀行を称して虚業というのもそのとおりで、まったく世の中は悪い冗談だらけである。


こうした冗談で今日も日が暮れ、明日もそのまた明日も同じ光景が繰り広げられる。
貨幣の本来の目的や役割を忘却し、枝葉末節に猪突猛進するタガの外れた所業を経済活動というのなら、こんなんで人間は、いったいどこに向かうというのだろうか。

 

貨幣制度などハナっから何かの間違いである。カネに対しては、できるだけスッとぼけてるしかないな。

 

<了>