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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



過労による労災を減らすには、休暇の定義改定が効くぜ。

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労働関連の法律など知らないし、詳しく調べるつもりもないのだけれど、土日祝日になると当然のようにみんなでいっせいに休むっていう「聖域」発想を、段階的にでも解消する思い切った方向にいかないと、昨今の日本を覆う奴隷的搾取的労働環境と、その延長にある過労死や職場自殺は減らないんじゃないかな。

 

…なんて言うと「バカな事いうな、そんな簡単に解決する問題か!」もしくは「楽観的すぎる愚説。そんなの問題のスリ替えだ!」って反発が来そうだけど、これはねぼくの持論ね。休日の意味を腹の底から疑うことで、働くことにまつわるギマンを引っぺがすことに効果があると思ってる。

 

週とか月単位での総労働時間管理がすでに世間にはあるんだから、労務者個々の休暇は変動制とかシフト制に移行し、勤怠は多少煩雑になっても総「時間」管理の枠内に一本化すればいいんじゃないかな。誤解を恐れずに言えば、形態としては「総派遣化」とでもいうか。ビジネス英語には「247」(24時間の7日…つまり年がら年中ってこと)っていう表現があるけど、今はいうまでもなくネットがあるし、スマホもあるし、宅配(配送手段)もずっと以前から土日祝日関係なくほぼ全国津々浦々に普及してるし、高速移動手段も確立されてるんだから、連休や祝祭日という区切りは(仕事の場面においては)もはや有名無実なんじゃないかなー。

 

いままでも土日の間に仕事してる人はいくらでもいたし、これからもいるし。そういう人たちは平日に休んでるわけだし、言うまでもないけどサービス業なんかはみんなが休んでるときこそが稼ぎ時。またそうでなくても仕事ってのは土日の間でも進んでいくものだ。人が生きて活動すれば、仕事ってのはいつだって発生してるものだからだ。その「発生」に気づくか気づかないかの違いがあるだけで。

 

休みが設定されてるから踏ん張れるとか、バラバラに休まれるとチームの足並みが乱れるっていう会社員側の意見もあるとは思うけど、踏ん張りや休息の欲求、チームといっても畢竟個人の能力発揮は、全部自発的なものが本来の姿だよね。自分の外部に設定されたもの(休みとか)を受動的に依りどころとするのは、学校で習うことが勉強のすべてだって考えと同じでないの。チームの足並みなんて、各人の意気込みやモチベーションこそがその永続的本丸なんだから、そっちを徹底させるよう指導することが先。足並み自体なら形式だし、揃えたってそろってなくたって、大した違いはないよ。形骸化した体裁取り繕いよりも、実務と実利の徹底。その発展形がここでいう「休日」の再定義ね。

 

(で、固定化された休みを解体するとなると、今言った「休みが稼ぎの人」の商売のネタを奪うことになるわけだけど、ここではとりあえずそこら辺の話は割愛させてもらう)

 

ぼくのように年中無休で長年やってると、取引会社は土日祝や盆暮れ、GWにシルバーウィークといった休みが連続してて、そこだけ見るとまるで優雅な貴族みたいだ。月曜とか連休明けの午前は会議なんかしてて担当はつかまらないし、その間は土日にたまってるコチラの緊急案件もおあずけを食っている。

 

まーそこらへんのグチはさておき、本題の「土日祝日の固定化を職場においては希薄化していくというひとりプロジェクト」(笑)だけど、国レベルならまずは金融機関の土日祝日のフル営業を検討してみない?交代シフト制でもなんでも駆使して。まぁ銀行でいえばそれ以前に、毎日当然のように窓口を午後3時で閉めたり、午後2時で当日の電算取引終了とかって横並びでなってるけど、銀行の中の人は、つか、頭取とか大蔵省は、こういう姿勢に疑問を感じないのかな?変えようとはしないのかな?ATMの営業時間はコンビニのATM設置に影響されてか知らないけど、近年では延長されたみたいだけど、それでも午後7時まで程度にしかすぎなくってさ。ましてや午後2時とか3時で涼しい顔して窓口終了する態度なんか、247リアルタイムのオンライン決済が当たり前の現代では、足を引っ張る足かせ以外の何物でもない。せめて毎日午後5時くらいまではやんないと。銀行が社会を先導する潤滑油といわれてた時代なんか過去ね。時代に合わせて仕事を発展させる方向性も気概もなくて、ちまちました現状維持姿勢しか感じられない巨大組織なんか負債そのものよ。

 

脱線ついでに言うけど、銀行に行くと地方支店でもホワイトカラーが何人も行内をウロウロしてて人員不足でもないだろうし、悪いけど毎日何やってんのかなって思うわ。1円でも合わないと帰れない、厳しい職場だなんて前から聞くけど、巨額の不良債権は税金で帳尻合わせしてもらってた銀行さんよ、キミらの「厳しさ」の方向ってどこ向いてるの?

 

話がズレたんで戻すと、もちろん銀行から「営業時間概念のはぐらかし」を始めるにあたっては各方面の調整が必要だし、株式市場とかほかの金融ジャンルとの連携とか、法律面での整備とか、いろいろあるんだろうけど、これを貫徹できればかなりの小規模投資で、いわゆる大きな経済効果が見込めるんじゃないかな。資金流動の大きなボトルネックが、金融機関の年中無休化でいっこ外れるんだから。こういうふうに企画立案、調整して忙しくするのが政治や官僚にとって本来の仕事だとも思うしね。要するに制度の川上(かわかみ)でアイディアと実行力を駆使して流れを変え、下流域に根本的な恩恵をもたらすのが、偉そうに言うと政治機構の醍醐味なのね。

 

金融とか政治から離れて一般の会社に話を転じてみると、土日祝日も営業してる会社や自営業だと、その間は取引のある関係他社は休みという状態になるでしょ?そうなると平和で順調なときはそれでいいけれど、困るのはトラブルの時だよね。尋ねる相手が休みだから困ってしまう。また、トラブルまで行かなくても、自社外のこと、例えば在庫や納期とかの問い合わせに即答できないこともある。そうしたときに「相手が休みですから」って顧客に言い放ってしまうのはかんたんだ。だけどそこに安住しないで、自社なら自分なら、そんな時こそ担当としてどう対処するか?っていうある種の決意的な発想と行動(自社在庫を持つとか、製品についてユーザー視点に立った、ひとつ上のレベルの研究をしてみるとか)が、客のニーズや支持を引き付けることにつながり、業務をひとつ前進させる推力になると思うんだ。この数年のぼくもそうだったんだけどね。

 

また、そこらへんの腹の据わった緊張力、問題を引き受ける度量が、逆説的になるけれど、過労死や職場自殺といったものの歯止めになるのではないかな。その理由はこうだ。つまり長時間労働とか、自殺に至る理不尽なストレスの原因は、大概が上司の顔色とかのどうでもいいことだ。いつの世もそうしたくだらないことこそが、人を最も苦しめる要因になっている。ところがいつもお世話になってる相手が目の前で困っていて、自分が担当としての根性が問われるときの真剣な実務力は、たとえ長時間に渡るものでもヘヴィーな作業の連続でも、苦にならない。いやその渦中は苦しいんだけれど、それは人を破滅させる苦しさではなくて、乗り越えてみればむしろ逆の、充実して前向きな「効能」がある。このレベルの労働環境なら月に何百時間働いても、いわゆる過労死など起こらない、と断言できる。

 

このへんの「効能」が、一般会社における土日祝日の希薄化によって、案外カンタンにもたらされる気がするよ(すべての会社がここでの論旨である土日祝日の撤廃に対応するわけがないっていうのが、その裏付けになってるけれど)

昔あった土曜の半ドンの復活とかも暫定的にいいかも。あれって気分も良かったし。

 

さてこう考えてくると、労働を時間のみで計測する行為の意味のわからなさに行き着く。またそもそも「仕事」って何?「実績」って何?「休暇」の意味は何?「労務管理」って意味不明、「人事評価」って本当に出来ることなの?できたとしてそれに意味あるの?「正社員」?「派遣」?人に違いなんてあるの?ってことに、なってこないですかみなさん?これが本稿の目的地なのよ。

 

ここで一段階、上から目線から申し上げれば、あたり前だがぼくらの生はひとときも休みがない動態だ。心臓も血液も脳も、そのムーブメントは生誕時から死ぬ瞬間まで、いちども休まないし、休むっていう概念もない。生存と進化という大目標に向かってぼくらの身体は、総力を傾けて存在を維持してる。ひとりひとりがとんでもなく強力な「仲間」を体内に抱えながら、「ワンピース」として荒波を乗り越え、ほかの人間たちと関係をもって暮らしてる。仕事だって、なんの違いがあるか。

 

だから前にも書いたけど、制度から与えられた休暇なんて、「本気の態度」の前ではちゃちなものよ。首相官邸は24時間休みなんかないでしょ?本気の取り組みは自分はノリノリで、周囲から「いつ休んでるの?」って心配されるくらいがちょうどいいんだから。世間も社会も、地獄なんかひとつもないよ。自分で地獄にしてるだけです。

 

<了>

 

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