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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



現代の「ワクワク、ドキドキ」が踏みつけにしてるもの

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*梅酒撮ろうとしたら、ウメボシしか無かった笑

 

 

デトックスウォーター?水素水?なにかの間違いだろ?梅酒でも飲んどけ。

 

生きてるだけで空間を占有し、空気を収奪しているのが生命である。とりわけいまの地球で食物連鎖の最上位に君臨する人類は、最も高次に環境を消費する種である。

 

人の場合、そのように単に生きてる状態だけでなく、「ワクワク、ドキドキ」するようないわゆる娯楽の成立まで追及しはじめると、環境の収奪量やエネルギーの消費率はすさまじいまでに飛躍的に増大する。そしてその増加量は、時代を下るごとにひどくなる。

 

例:スポーツは重力への抵抗というワクドキ感の実践だが、着地したときに草やアリを踏みつけている。その踏み付け度合いや破壊具合は、普通に歩いてるときの比ではない。そしてスパイク並びにシューズの鋭利な進化や、マラソンブームでのランナー人口の増加が、地面へのダメージを年々大きくする。

 

しかしそうであるからといってエコロジー活動などに注力していくことは、これまた別の新たな収奪源への加担なのである。「風の谷のナウシカ」で指摘された、人と環境の関わりにおける両義の刃性が、この構図である。

 

こうした連鎖の構図に、せめて思考だけでも自覚的でありたい。わたしの存在自体が地球にとって原罪であったとしても、不遜にまみれた中にある充実の一端にだけは、できることなら染まらせてほしい。

 

いま、街角でかんたんに手に入る「ワクワク、ドキドキ」、その成立基盤を疑ってみること。それができるひとは、いっけんポジティヴに見える余暇活動が、人の本当の「充実」にとっては妨げになりうることに気づかれよう。

 

繁華街ではデトックスウォーターとか水素水などというものを、さかんに売り出していた。あの辺は紅茶キノコ(!)みたいな単なるはやりものであり、個別の真偽は知らんが商売スタイルとしてもともかく気に入らないのだ。ワクワクしながら自分だけ健康になるって思想が裏に隠されてるのが姑息なのだ。そんなのなにかの間違いだろ?みんなで共に生き生きってのが、本当に目指すべき境遇じゃないのか。

 

なにか飲みたかったら梅酒でも飲んで寝てろということだ。その方が環境にも人類にもやさしいぞ。だいたい1975年ころの紅茶キノコブームで、その後長寿をまっとうできたヤツなぞひとりもおらんのだ。

 

自分の充実はいちばん最後にめぐってくる、それがものごとの正当な順番だ。期待しないうちに不意に最後に訪れる、そうした「何か」こそがホンモノの充実なのであって、わくわくドキドキなんざそのはるか手前の、わが身かわいさの目くらましである。

 

<了>