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つがい ー先天的な性差、後天的な性イメージについてー

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卵子の話が出てくるから、親子丼のフォトを。

 

<世界は女子のものである>

 

休日に街をブラつくと、いろんな集団が目に付くが、いちばん楽しそうに見えるのは、今も昔も10代の女の子何人かで構成された集団である。

 

自分の若い時代を振り返っても、女子高生あたりが徒党を組むと排他的なまでの結束感が感じられたものだ(まぁこれは自分が男だからひがみ根性もあったわけだがw)

 

いっぽう僕は、いままでずーっとソロ行動派であって、中学時代のあだ名が「ロンリーくん」というくらい、いつもひとりなのだった笑。

 

そんな僕が、今日は、めちゃくちゃステレオタイプなハナシをしようと思う。
お題は「女と男」である。

 

<female>

 

問:人はなぜ単性生殖生物でないのでしょう?

答:生きるのに他者を必要とするよう、つがいで設計されたから

 

そう、はじめに男女の二大項ありき。しかも両性とも卵子にしても精子にしても膨大にムダ多くして、女は毎月血を流し、男はまいにち精を出す。
このこと全体になんの意味があるのか。いかなる学問も、いかなる宗教も答えてはくれない。
せいぜい「Love」などと、舶来の概念を言うくらいが関の山である。

 

しからばこの問題、不肖ワタクシめが考察してしんぜよう。
以下、男女に関するいささか世俗にまみれた表現が頻出するが、ご勘弁願いたい。
まずは性別の解説から。

 

女とは、場であり器である。と同時に広がりでもあって、その中で女性自己は包容の中心点である。
そして包容的であるがゆえに自分の感覚を、相手や食べ物、小さいもの、動物などの自分以外の他者に重ねて、自己とゼロ距離で同一視できる。


逆に肌に合わないものは徹底的に、瞬時に忌み嫌う。これが「生理的にムリ」である。ゆえに同性どうしツルむのも、また逆に同性どうしイガミ合ってみたり駆け引きの道具にするのも、男に比べて頻繁である。

 

うらみつらみにも発展しやすい。当方はオジンであるので、なにかというと30年も40年も前のヒット曲の話が思い出されてしまうので恐縮だが、あみんの「待つわ」(作詞作曲:岡村孝子)、ユーミンの「まちぶせ」(歌:三木聖子 or石川ひとみ)など、男女が逆になったらストーカーとしか言いようのない歌が時々熱烈に支持されるのも、なんというか、怪談のお岩さんの呪いなんである。

 

女の常套句「カワイイ」「しあわせ」、態度としては(いささか死語だが)「ミーハー」は、この、「自身とゼロ距離同一視」の成果なのであって、これは対象物に入れあげているように見えながら、満たされてるのはちゃっかり自己愛のほうである。
自分のことを男の一人称である「ぼく」「俺」などと自虐を交えながら語る手合いも、このカテゴリーに入る。


また、女性の方が男性に比べ外国語習得に秀でていることが多いと言われるが、その傾向もこうした「自身とゼロ距離同一視」から出てると思う。

 

共感力はズバ抜けており、情緒力豊かであるがその反面、現状追認思考が多く、ともすれば軽薄にさえ見られる。
昔は女はバカだなどといわれ放題だったが、それはこの情緒表現や現状追認思考のせいだったと思われる(もちろん、バカなわけがない)


それに女心はわがまま、複雑、男に厳しいなんて言われることもあるが、それもさっき書いたように女性は自分と重ね合わせて共感できないもんに冷淡なだけであって、男女問わずみんなそうに決まってるからこの非難は女性だけに向けては当たらない。

 

したがって女は現実的であり、生物学的にも最終的に「強い」のであるし、実は負けず嫌いもけっこういて、芯が強く、驚くほど情熱的な力が隠されていることも多い。

 

(本来的に強いのに、男に比べて体は小さく、筋力体力は弱い(まぁ最近はそのへんも怪しいが)。このパラドックスが人類のたいへん面白い点だがその辺のハナシはここでは割愛する。)

 

結論:女は他者となじみやすく、木で言えば根であり、動物に例えれば猫である。

 

 

<male>

 

ではいっぽうの男はどうか。男は軸であり、点であり、棒である。単一に存在し、ひろがりはあまりなく、兵隊に向くほど具体であり、従順である。


また自分の外部のものへの共感には欠けており、単純思考で頑固で対象にのめりこみやすいがいっぽうで忍耐力はあまりなく、いっぺん興味が他に向いてしまうととたんにしらけてしまう。根が単純なだけに移ろい易い「浮気性」であるし、固定異性に対しては飽きて「セックスレス」にも陥り易い。

 

(だいたいが、交尾において射精し終わると、男は女の顔も見たくなくなり女の方では余韻に浸りたいという、このむちゃな差異はいったい何だろう。一説によればこれは生殖という無防備な状況から男側がすぐに外敵警戒状態に戻るため、などと説明されるがホントなのか?僕なんか出したあとでも、いつまでも女といちゃついてたいけどなー笑)

 

また、男の場合コミュニケーションの基本は共感ではなく威嚇である。ラグビーのワールドカップが話題だが、特定のチームが試合前にウホウホやりあうあのセレモニー(ハカ・ダンスとかいうやつですが)のこっけいさが、男の世界を象徴しているのは言うまでもない。要は直情一直線なのである。

 

当方などオジンであるので、何かといえば30年も40年も前のヒット曲の話になって恐縮だが、燃えろいい女だとかギンギラギンにさりげなくだとか、低脳を競い合うような歌が熱烈に支持されるのも、なんというか、狩猟時代の名残りなんである。
こうやって書いてくると、男がなにか劣性のものに思えてきたな。

 

「男らしさ」なるものが巷には存在するかのように長年言われているが、それは「マッチョを誇ること」や「負けず嫌いなこと」、「けんかに強いこと」などではない。

 

では何かというと、本当の男らしさとは、自分の信念にしたがって物事をやり抜くことであり、また素直で謙虚な心持ちをキープする生き方のことである。


例えば「間違いに気付いたら自分の体面などは脇に置いて誤りをすぐに認め、たとえ謝罪相手が、自分より20も年下の女の子であっても、自らすすんで頭を下げること」が、すんなり実施できることが、ホントの男らしさである。

 

(でもこれって昨今の日韓、日中情勢なんか見てると、日本でのみ通用する行為なんだろうかねぇ。ま、それはさておき)


つまり、一般的に言われる「男らしさ」とは、人としての才能の本丸そのものであって、「女心」同様、これまた男女関係ない。そして、このホントの男らしさは少数派であり、負けを認めるように見えるので一見すると情けなく、消極的に映る。

 

結論:男は他者となじみにくく、木で言えば枝葉であり、動物に例えれば犬である。

 

 

 
つまり、「女心」や「男らしさ」などは、僕に言わせれば後付けされた都合のいいイメージ操作である。そんなものはどちらの性にも先天的に備わってはいないし、後天的には備わり得る。

 

女も男も自分から性別を選んだものではなく、生物学的な染色体の分かれ目、遺伝子のイタズラ、もっというと両親の子作り時点でのパワーバランス(俗に言うイチ姫ニ太郎…第一子は旦那の勢力が強くて娘、それ以降はカカア天下なので息子が連続してできることの例え)みたいなもので性別は決定される。

 

そんな中、成人に対する性的なキャラ付けは不敬であって、すべては個体人格ということで、いいじゃないか。上で「根」や「枝」と書いたように、性差は存在してるけれど、後天的な属性に固執してると、カラダに悪いよ笑

ということを踏まえて、さらに次回は結婚への考察に続く。

 

(以下の記事↓につづく)

 

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