お金に困ったら読むブログ

みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



女子会なるものの怪。略して女子怪。

美女というのは、いつの世も数少ない。モデル級の女が掃いて捨てるほどいる国など、東欧にはあるらしいが、日本では容姿がイマひとつな女性が多い。まぁ昔はもっとイモかったりみっともない顔が多かったので、その頃にくらべたら現代は洗練されてはきている。しかしそれでもメイクなどは、素の輝きを封じ込める、ツラ汚しのようなものばっかりなのである。非の打ちどころのない美人など、昔も今も、めったに見かけない。

 

それではそうした数少ない、恵まれた風貌の女性はもれなく結婚でき、幸せをつかんでるかというと、ご存じの通りそうでもない。むしろサエない女性の方に意外と伴侶がいる。そして満ち足りている。それどころか、こんなヒドイのによくダンナが付いてるな…と思うような不可解な現象にも、しばしば出くわす。昔からそのように、男女は禍福平等、機会均等になっている。むろん例外を省いた話であるが。

 

人類の繁殖的にとらえれば、これは当たり前である。容姿の整った人だけがサヴァイヴできるなら、人類はとっくに終わってる。ではなぜ、サエない風貌の女性が、いままで男をつかんでこれたのか。

 

昔はお見合いが多かったから…結婚が当り前の時代だったから…などでない。そのワケは男によってのみ、女の総合力が磨かれるためである。性行為などが象徴的で、男からすればヤッてればどんな女も見慣れてきて、色香が出来てきて、可愛く輝くのである。男は吸い込まれるだけ。女のつよさは「覆うこと」ができるってことだ。

 

その手前で男と知り合えない女はどうするか?夜に飲み屋に出向けばいい。その際にダメな店は、気軽に入れる大衆居酒屋みたいな大バコや、カフェの延長みたいなおしゃれ系内装店である。向かうべき店はそうではなくて、こじんまりとした、個人経営でマスターがひとりの、カウンター付きの飲み屋である。高級店でない、スナックの居抜きみたいな場末の店が、おしゃれ感は欠けていても、こなれてていい。敷居も価格も、そんなに高くないはずだ。

 

ひとりで行くに限る。週末の22時くらいに行き、カウンターにいるマスターと壁パスしながら、隣の人と語らうのだ。マスターなら話に付き合ってくれる。客だから。この壁パス・トークができるのが、小さい店における最大の利点だ。

 

酒が飲めない人はウーロン茶でいい。茶を置いてない飲み屋などない。また、飲み屋街が近くに無い人は、近隣の都市に、宿泊してでも出向くべきだ。

 

話す内容はなにがいいのかを、ここで云々する必要はないだろう。そういう小さな飲み屋のドアを、ひとりで開ける気概のある人なら。

 

3~5回ほどそうやってソロ活動すれば男をつかめるだろう。世の中のすべては夜闇が育てる。恋愛もそうである。そのためには自分から売っていく/打っていく/撃っていくことだ。

 

独身同士の女子会など、男をつかめぬ敗残どもの集いである。傷口をナメあい、見栄を競い、表面的なカワイさや当り障りのない話題に溺れる。インスタグラマーやリア充女子には、片肺飛行の危なっかしさや、むなしい貧弱さを感じる。内実のない色香、痩せたフェロモン、捨てる直前のサワデーである。女子会なるものは、すべての男にとって苦々しいものだ。そのことを忘れてはならない。

 

女性の輝きは女子会にない。あっても、外(男)にアピールしなければ、それは便所の100ワットである。女子力磨きの前に人間力だろう。隣の初対面さんと快活におしゃべりできる、素直でおおらかで開放的な心持ちの方が上だろう。それでこそ、結婚後も充実していけるのではないか。

 

なんだか伊集院静みたいな語り口になったな。

 

<了>