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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



いまの日本で婚活することについて。ひいては少子化対策というお門違い行為について考えた。

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 秋だから栗ごはん(分かりづらいけど)。撮影失敗でもアップ笑

 

この記事は、前のエントリー↓からの続きです。

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<いまの日本で婚活することについて。ひいては少子化対策というお門違い行為について>

特定の相手と結びつき、結婚し、パートナーとして人生を歩むことになってる男女だが、この制度はなんでこうなのか、結婚の意味って人類にとって何なのか、男と女が惹かれあう源泉には、何があるのか。
ここら辺をずーっと考えてるが、僕には分からないままだ。

僕は先妻と交際2年、結婚状態5年で別れてしまったバツイチ、アラフィフの単なるオヤジだが、結婚してたときですら、その本質はまったく分からなかったし、これから先、ぼくがどういう人生を歩もうと一生分からないままかもしれない(ひょっとすると結婚は客観的に見ても意味の薄い制度なのかもしれないね)

ただ僕に分かるのは、こうした男女の差を暴力的なまでに隠蔽したのが、近代では貨幣という、目に見える価値判断を助長する悪魔の手先であることだけ、である。
僕が思うにこの貨幣とは、人間の最大の弱点である「視覚情報と本質の錯誤」(目に見えるものが真実であると信じてしまうこと)の、総本山であり、本家本元である。

「お金が男女の差を見えなくさせる」ってどういうことかっていうとですね…

この貨幣至上社会では、男は金銭(稼ぎ)にほぼほぼ還元され、女もその被害から無縁ではいられない。
男は年収や肩書きでまずは値踏みされ、女は「社会参加」「女性が輝く時代」というウソの元に、実質的な男性化(=金銭化)を強要されているのは周知のとおりだ。



女性に関してはそれだけでなく、実際は容姿で差別され、貧困に貶められたり、性風俗産業に身をやつすなど、とても本意ではない状況に貶められている人も多いと聞く。
男だって正社員かフリーターかみたいな単純な二項対立思考に押し込められる人も多く、モノを考える余裕もなく、日々の業務で窒息させられてるのが現状だろう。



こうしてお金という尺度ひとつしかない体制下に、男女問わず個人の生活が従属させられるのは、屈辱以外の何者でもない。ぼくたちはなにかの役に立つとか、金を稼ぐとかのためだけに生まれてきたわけではないのである。



現在の猫も杓子も「総オトコ化社会」「貨幣の奴隷化社会」の超強制的な推進を、その本質の論議もおろそかに盲目的に推し進めるのならば、いづれは男はもちろん、女もドン詰まりの社会が打ち立てられ、出生率は今よりもっと下がり、昨今話題の「一億総活躍」のホントの実現などは夢のまた夢、真逆である(金のドレイを今以上にたくさん出現させることが「活躍」の意味なら、それはカンタンに実現できるけれども)



(余談ついでにいえば「一億総活躍担当大臣」の新設など、どうせ単なるおためごかしである。数ヶ月もしないうちに現在の消費者庁のような何をやってるのかわからない、官僚と内閣の数合わせみたいなポストに落とし込まれるのは火を見るより明らかである。だが、「一億総活躍」ポリシーの「被害」はそれだけにとどまらない。

このようにうわべだけポジティブに見せかけるものには必ずウラがあると疑わなくてはならない。すなわちそれは、この意識を無批判に、下手に運営していると、あっという間にそれは新たな抑圧源にスリ替わる、ということである。

それは同時に新たなる搾取元であり隷属先でありファシズムでありラットレースの母体が誕生する以外の、なにものでもない。人がきょうび気をつけるのは異常気象ばかりでない。原爆、カラシニコフ銃、洗脳機構…人の造りしものほど、人を破壊するものはないということは、歴史がはるか以前に証明している)



さて結婚の話に戻す。これに関してもうひとつ。

文明や社会制度で自動的に結婚させられてきてそれを微塵も疑わなかったこれまでの人類の歴史により、後まわしにされ目をつぶってやりすごされてきたゴマカシの蓄積が、異性関係の中にはある。
その問題が、いまになって現代日本に露呈してきているのだ。



それは他者(異性)を前にするのはいいが、気づくと誰も自分のことが分からなくなってしまっていた、ということだ。加えて自分の正体は判らないが、プライドと自尊心の傷つきだけはリアルに分かるというのも、異性との結びつきを考えると、やっかいなことである。

自分の心が自分で定位できなければ、意思疎通活動は(自分からは)はじめられないし、たとえスタートできても、続かない。続かないのに続けようとするとムリが生じ、仮面夫婦みたくなったり、ひいては(カンタンに)離婚と相成る。


自分が分からず、ガラスのハートだけは持ち合わせているから、異性とのお付き合いも疑心暗疑のおっかなびっくりの、応用の利かない、よちよちコミュニケーションにならざるを得ない。

また、年収や肩書き、年齢や出身校、出身地、資産や美貌、スタイルやスリーサイズ(!)といった、先に挙げた「視覚情報と本質の錯誤」に、大いに絡めとられ、マスコミのおもしろくはやしたてる「婚活あるある」みたいなノイズが、また自分の素直な視点を曇らせる。


あなたがまずしっかりと捉えるべき対象は、物欲や世俗的な価値から離れた、いま判明してる範囲めいっぱいの、ハダカの自分の意志であり、次に感取すべきは相手の顔形と全体人格であって、その他の属性はすべて後回しである。


ところが、婚活サイトでも何でも、まず入り口はなにか。年齢と年収ではないか。これでは標本とか図鑑みたいなものである。入り口からして間違ってるのだから、なにもそこからは始まりもしないのである。婚活産業は、雰囲気産業である。


<人は誰でも本来的にコミュ障であり、引きこもりの可能性を持ち、大人でも自分がわかんないけど、そこを超えないと景色は見えてこない>



実はここまで書いてきてなんだけど、原始時代ならいざしらず、「自然と」結婚でき、「おのずと」子供をこしらえることができた近代の「一億総婚姻状態」の方が、個人のなにか大事な尊厳を、けっこう踏みつけにして成立してきたランボーな制度であって、全体に無茶であったと、ぼくはいまのところ勝手に思ってる。

 

(自分が結婚に一度失敗してるのもあるけどね)

昔からモテるためのノウハウ本はあまたあって、僕もモテたくてそれらを相当読んできた(浅はかな)クチだが、あるときからそれらは全部売り払って、生身の自分で女性に行こうと思った。それで彼女が出来たときもあれば、空振りに終わったこともあったのだった。


本当に異性にモテたかったら、くどいけれどもその前に自分を見つめ、徹底的に自己を分析し、その過程で異性に対する恐怖みたいなのを克服する方が、はるかに重要なのである。プラス、相手のニーズへの想像力、共感力である。


就職面接を受けるのに自己のエントリーシートを書く。その際、自分を見つめるのと相手企業のニーズとをはかりにかけて悩みながら書くのと、似ているといったら分かりやすいだろうか。

男女が個と個とで分かり合うなんて、本当にまれなことだ。自分でさえ何なのか一生不明なのに。だけどお互いが分かり合うことのカケラをつかむくらいなら、不可能ではないんだ。自分も相手もしっかり見据えるという、この超基本さえできてれば、人の可能性なんて無限なのだから。

 

(逆に言うと、自分とは何なのか、自分なりに模索し、格闘し、自覚したひとでないと、本当の性も生も仕事も、な~んも始められない。始められることといったら、他の人から与えられた制度に乗った何がしかだけであり、それは牛刀でつめを切るにも等しいことだ)

 

だから昨日の記事の冒頭で、


"卵子にしても精子にしても膨大にムダ多くして、女は毎月血を流し、男はまいにち精を出す。このこと全体になんの意味があるのか"

 

と、問いかけの形で書いたように、人類には卵子も精子も量的にはメッチャ過剰な準備が与えられ、それだけでなく、哺乳類の中でもずば抜けて長いライフタイムと、長期間に渡る生殖可能な時が用意されているのは、種としてのホモサピエンスが、そうしたいわば個の覚醒みたいなものに「賭けている」意志・時間なのではないだろうか。

 

そしてそれは人為的な婚姻制度など歯牙にもかけず、大空に悠然と控えていて、動物も虫も、有機生命体はその摂理にみんな気づいて粛々として居る。ところがこの地球上で唯一それに気づかず、テメーでこしらえた性差とか貨幣とか宗教の前で物欲しげにウロチョロしてるだけの存在は、皮肉にも高等生物といわれた人類なのである。

 

歴史とは、いつもそうであるように、虫も風も遺伝子も、自然はすべて黙して語らないが、ひとたびそのささやきに気づけば、じつは饒舌極まりない存在なのであった。

 

かくして、The answer is blowin' in the wind.←特定化する「the」は、この場合外さんといかんよ、ディランくん。

 

<まとまってないけど、まとめ笑>


ということで、少子化対策の私的結論は以下です。ちなみに冗談ではありませんぞ。

貨幣や競争の世界とは別の論理で動く分野を真空ドームのように社会の中につくり、婚姻制度は強要しない。
恋愛と子供、家族はその中ではぐくみ、生まれた子供は、男女差をことさらに意識させず、自分をしっかり見つめる方向にのみ特化した教育を施し、自分とは、分からないものである、ということにしっかり向き合い、かつ他者を尊重する気持ちを教育する。
すると次世代からは円滑に子供が出来てその繰り返しになる。

 

そのこう配を繰り返せば、ほんの何世代かで人類は単性生殖生物に「進化」できるでしょう。

 

この過程の中でのみ、「少子化対策」などという、小さい小さーい問題は、誰も気づかぬうちに抜本的解決をみるのであります。

 

こうして産まれたニュータイプ、ニューチルドレンに、乾杯であります。

 

<おしまい>