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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



真の仕事はタイムカードのないところに。

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ケチャップとチーズだけでいただくトースト。パンという、ありふれてて素朴だが、しっかりとベイカリーした土台があれば、上にのせる具材はかなり自由度がある。ヒトにおける仕事も、同じことが言える(偉そうだ笑)

 

<働くことを時間で計量、制御、評価するなんて不毛のはじまり>


普通にサラリーパーソンをやってると、朝はまずタイムカードの打刻からはじまる。しかしこれを普通のこととして受け容れてると、ここからボタンの掛け違いが始まっていると思ったことはないだろうか?

タイムカードに象徴される概念、つまり時間による勤務管理って、いったい何だろうと思う。

 

(ここでいきなりだが余談。勤務と同じような言葉に「勤怠」「勤怠管理」ってのもあるけど、これは失礼な表現だよね。人の労働を監視するのに「いそしむこと」と「なまけること」、つまり「怠慢」が含まれることが前提になってて、それを言葉の段階ですでに織り込み済みだなんてヒドイ)

 

例えば営業職なら仕事で出先に向かうその往復の移動時間。自分で車を運転していく場合は特にそうだが、これは本当の労働時間とはいえない。商談に付随する労働時間だと管理側に「みなされて」いるだけだ。

 

まともな会社なら何ヶ月かに一度、業績や勤務態度なども絡めた総合的な人事評価がなされるにせよ、とりあえずの日々においては労働を、時間という単一の尺度の元に、規定量に足りてるか(短かすぎないか)、長すぎないかでまずは判断されていく。その延長の思考で、過労死やブラック企業の労働搾取とかの問題は、労働時間の長さを「過酷さ」の度合いとみなしてる。これが世間の「常識」。

 

でもね、みんな分かってるよね。働いてる時間に関して勘案すべきはその「長さ」でなく「質」なんだって。いやむしろ、労働時間の長さなんて2次的3次的なものでしかなくて、そこに「働き」の本質はない。そしてそこが論点になることはあんまりない。

 

論点になりにくい(と思い込まされてる)のは、「質」を「量」に転化して、言い換えれば「個別のもの」を「一般化」してお話をスタートさせないと、話が始まらないって自動的に考えてるからだ。けど、本当はそんなことなくて、個別のものに個別に向き合えばいいだけ。このあたりのごまかしというか、ツッコミ不足というか、怠慢というか、妙な物分りの良さが、状況の不毛を促進するんだなー。促進するのは育毛の方だけにしてほしいw

 

<真の仕事はタイムカードを無効にする>


労働を時間だけで管理する思考は、裏を返せば(返さなくても)仕事を金額(報酬)で考える思想と同じだ。時給がこっちよりアッチのほうが25円高いからアッチにしよう、春闘でベースアップが実現した、あいつは自分と違って高給取りだからな(裏山C・・・)、ってやつ。そんな枠組みだけで考えてると、自分自身も貶めてしまうのは明白。世の不景気ってのはこの一見分かりやすい評価軸、でもその内実は他律的な思考回路が正体だ。

 

いつまでやっても飽きない、時間を忘れて没頭するものがあって、それが自分の喰い扶持にならないか、それを真剣に考える時代が、もうとっくに、何十年も前から到来してる。


ここからがオンでここからはオフという一線や、リフレッシュ休暇のような、子供のおもちゃみたいなものをもらって、それが労働者の権利だなどと落着する、そんな短絡思考なぞ歯牙にもかけてはならない。

 

「休み」も「勤務時間」も超越し、それらが互いに溶け合うサマ、個人の人格をもって、全体最適をはぐくむ、そんなものを目指そうじゃないか。
働いてるだけでそれ自体が楽しみとなるので、他のレクリエーションなど不要になるような、あなただけの、あなたならではの、そんな境地がぜひ欲しい。当事者の意気込みをもって・まなじりを決して・でもしなやかに・自分の踊りを踊ろう。


そのことにだけ超・超・貪欲になれ。昇進とか人間関係とかじゃなく。


「こんなんでいいのかなぁ…」と時々ぼんやり思う会社勤めのあなたに捧ぐ。
よくないぞ。

 

<本当の仕事は個を目指す(つか、こっちも個人なんだから、それしかない)>


なんかテンション上がってきた。書き殴る。

タイムカードで朝が始まり、日中は組織の中でなんやかんやメールのパスワークだけして日が暮れる。

もしくは

実質商談30分で、行き帰りの移動時間が往復6時間、食事だなんだしてると日が暮れてその日はお開き。

 

会社員ならそういう日もあるけれど、そんなふうに惰性で過ぎていく日々もまた仕事したつもりになってたら、これはいかんぜよ。時間でしか労働を見ない、その制度の粗さに助けられ、安住してしまってることになる。

 

そのまま悪い方向に行くと簡易宿泊所で生活保護受給の無職暮らし、「他に行くところがない」とかいって生ける屍となってパチンコ屋通いのあげく多重債務者で自己破産、年金額の少なさみたいなレベルで世をはかなんでガソリンかぶって自己発電、しかも周りを巻き込んで、がオチだ。

いいか、燃やすものがぜんぜん違うぞ!居場所なんて自分で作るんだョ!

そうならないで済んでる多くの人はただラッキーなだけだ。転落のきっかけなんか今のニッポンそこらじゅうに・巧みに・エエ顔して・スマートなふりして・おいでおいでしながら転がってるぞ。例)クレジットカードのリボルビング払い、パチンコ、新築マンション(の住宅ローン)…

 

為政者も行政も、個人の幸福実現を主体的に本当に「考えた」ことなんて1秒もないんだぞ。


この政府レベルならこの先何百年待ったって、なんにもでてこないぜ。目くそ鼻くそみたいな生活給付金とかだけだ。それも難クセ付けて、隙あらば額を減らしてくるに決まってる。つまり、当てになんかできないのはわかりきってる。
あらゆる未来の中で、こんなにはっきり見えてる分野なんてねーぞ。

 

自分でホントの仕事を切り拓く能力、どんな底からでも、ゴミをつかんででもはいあがるわらしべ長者を、ドロ臭くてもいいからやっていく。

そんなガッツが必要なときが来る。

 


<じゃあ、どんな例があるのさ?そのホントの仕事とやらは?>

 

抽象的な話が続いたんで、↑のような声が聞こえてくる。じゃあここらで僕の具体事例の話をば、よかったら参考までに。

僕のプロデュース(笑)してきた中で、現在まぁまぁ成功してるひとつは、自分史ビジネス。
「自分史」。これテレビなどではあんまり取り上げられないようだけど、実は静かなブームだと僕は思ってて、世の中のニーズ的にも豊富です(需要は潜在的ですが…だからこそいいんだなぁ)


これからの日本の人口動態やら定年後の人生の充実やら生きがいやら超高齢化の進行から、すべてにおいて現代人にフィットする思い出創作ビジネスなんじゃないかなと思ってる。

 

製本という「製造」プロセス自体は自分で設備投資せず外注に頼めばいいし、技術的なハードルは低いと思うし、利益率も上げられる。「自費出版して儲ける」などと無謀なことを考える顧客には、考え直してもらわないといけないけどね。

 

僕はそこにさらにひねりを加えて、「思い出の写真」に注釈を入れる形で雑誌感覚で紙面を作りませんか?という、分かりやすそうな「写真自分史」を提唱して、そのテーマでHPを作って受注してる。サイトはこんな感じ↓

 

e-jibunshi.jimdo.com

 

みてよこのシロート感w。世の中の他のサイトが高級マンションなら、うちのは掘っ立てバラックだねww しかも無料サイトだよwww

でもね、サイトは1にアイディア、2に切り口、3にライティング(文章)。要はコンテンツってことで。

 

さて、この「思い出の写真に注釈を入れる形で雑誌感覚」って方向性が、紙面をイメージしやすいせいで好評を博してまして。

手前味噌ながら、こういうふうに自己満足でない、自分なりの付加価値を試みるのって大事だと思う。

 

<スタートアップはそれでいいとして、その次の戦略はどうするの?>

 

参入障壁が低そうなこの自分史ビジネス。ライバルが増えてきたら、今度はあなたの独自性が問われるから、特徴を絞り込んでアピールする段階にすすむといい。
安く請け負う形で数をこなす方向にいってもいい(おススメ度は最低だけど)。


プロデュース力で独自性を出すのもいい(本の編集経験者なんか、この方面にすぐいけるんじゃないか)


また、自分の前職に紐付けるのもいいかもしれない。例えば貴方が教職の経験があるんだったら、「教職経験者に対する自分史出版専門。私も教師でしたからお役に立てます」とか。お年を召した方で教職経験のかたには、特に効きます、この立場。
他には、エリアで区切って、仙台市東部にお住まいの方なら毎週確実にフォローしますとか。


その発想を発展させ、訪問介護業者とタイアップして巡回も兼ねるとか。

 

プロモーションは最小限の固定費で済むWEBオンリー。
お年寄りも以前のような情弱な存在のままじゃない。世代も変わってきてるし進化だってしてきてる。
スマホを使いこなせる人も、昔よりは確実に多くなってきてるし。
あと、ニーズは間違いなくあるけど、先述したように潜在的。
ある程度提案型で需要を喚起していくプロダクトなので、HPに魂を込めた文章を載せ、説得することが肝心。

 

お金の使い道が他にないっていうシルバー世代の方も多いみたいだし(詐欺被害の多さの遠因)、自分史なんて本人やその家族にとっては代替のきかないほど価値があるし、人助けにもなるし。自分の人生勉強にもなるし。

 

ということで、出版みたいなマス・ビジネスの中で取りこぼされた自分発露のニーズを、丹念に個別にうまく捉えていけばまたいいシノギになると思う。つまり、前述したテーマになぞらえて言えば、「一般化」の中に埋もれてしまった「個別のもの」を引きずり出してやるのだ。

 

なじみのある親族あたりに提案し、そこから受注をはじめられれば、スタートの足がかりもつかみやすい。

 

受注数は少ないかもしれないけど、いい物を目指せば、非常に中身のある仕事になるはずだ。人の人生や思い出に、ダイレクトに携わっていくんだから。


そしてかけがえのないそれを、書籍の形で結晶化して世に遺す仕事。
顧客に感謝されながら対価を受け取る収益モデル。時には出版パーティーにお呼ばれしたり、第2弾、第3弾といった続編の商談なんかもしながら、確実にその方の人生に食い込む、真のコンテンツビジネス。

ホントの仕事って、例えばこういうことじゃないかなって思うんだ。

 

この一連の仕事を時間で計量管理なんかできっこないでしょう?

勤務時間などという尺度なんかハナから問題にならんでしょう?笑

 

 真の仕事はタイムカードのないところに、って、そういうことなんスよ。

 

(もっと言うと自分史って予算比や前年比、目標設定みたいなものともそぐわない。要は数値に還元できるものとは相容れないフィールドなんだけど、これはまた別の機会にでも話そう)

 

<了>