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お金に困ったら読むブログ

みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



出会いとは何か

何兆年あるか知れぬこの宇宙の歴史の中で、あなたと私が睦みあえるこの瞬間こそが奇跡である。そこを見据えていこうではないか。

 

そこを見ないで、いったいどこを見るというのか。

 

年齢の差、境遇の違いなど、ありはしない。


同じ空間で呼吸しあえるその1点のみが、確認できる唯一の永遠だというのに。

 

<了>

 

 

「さっさと~するべし」とか、 「~すればいいだけ」とかの調子いい物言いは、愚鈍への先鞭だ。

違和感のある言い方がある。
ホリエモンやイケダハヤトといったネット有名人がtwitterなどで多用する「さっさと~するべし」とか、「~すればいいだけ」という、切捨て型・集約型の口癖のことである。この手のいいかたが以前からどうも鼻について仕方がない。それらはひとことでいうと「イヤミ」だからだ。

 

これは批判を内包した、ある意味建設的な「皮肉」ではなく、もっと気分的なものの方の「嫌味」である。こいつを読ませられると、僕などは何やら毒気にあてられたみたいに感じになってゲンナリしてしまう。

もしかしたらこうしたイヤミ表現は、その裏に含みを持たせた、難易度のきわめて高い「芸」なのかなとも思う時もあるが、考えすぎであろう。文字通りの意味しかないはずである。

 

このイヤらしい言い方は、たとえば「さっさと電気自動車普及率を100%にすべし」などという感じで制度や環境に対してなされることが多く、その場合直接特定の誰かを非難する文言ではないので問題にはされにくい。しかしだからこそ悪質なのだ。こうした体(てい)のいい表現で世の中の方向性を集約できるなら、世界とは彼ら(ネット知名人)にとっては実に単純明快でお手軽な対象であーる。しかも言った本人はズバッと断言してカッコよく落着し、行間でドヤ顔を垣間見せる始末。まっこと、いい気なもんである。

 

ネット有名人にそう軽々しく一刀両断のもと論評される現場を考えてみる。そこでは理想論はそうであってもなかなかそうはできない個別の事情、あるいは段取りの過程にあるもの、細々とした障害なるものが、存在してると想像できる。

だって、みんな馬鹿じゃないもの。ものごとを利口に進めたいに決まってるじゃないか。100の頭があれば100通りかそれ以上の考えがあるのだし。

 

意見をいうのはいい。しかしその際、まずは当事者を慮ることが大切な姿勢だと思うのだ。状況の只中にいるひとが、たとえボンクラ官僚などに見えたとしても、(意識の中で)軽くヒネリつぶしたり超越してみたり、見て見ぬフリをしたりするのはまずは控える…

 

そうした「中の人」への想像力こそが、豊かな全体考察への第1歩なんじゃないの?ネット知名人のいう通り、現状が明白にグダグダな状況だったとしても、それが改善できない理由にまで少しは踏み込んで語るのが、バランスの取れた姿勢だと思う。否定的なことをふわっと言い放つだけなら、だれでもできるけど、キミたちは有名人で影響あるんだからさ。

 

もし何か言うのであれば、自信満々なイヤミスタイルでなく、もっと情けなく、へっぴり腰な態度でモノを申すべきだと思う。ちなみにここで言う「情けなく、へっぴり腰で」っていうのは謙虚さに由来するものであって、最近はやりの両論併記とかいう、制度に甘えた及び腰報道姿勢とはぜんぜん違うからね。

 

ものごとを断固として言い切るために対象を突き放すことは、修辞としてはあることだし、一方いわゆる「残念な人」「残念な状況」は確かに存在する。

 

しかしそれは上から目線の「イヤミ」で対処するのは違う。むしろ必要なのは対象と刺し違えるような覚悟である。また、刺し違えるだけの価値のある対象でないと踏み込んでは言えないものだ。

 

だからめったなことではこの刃は抜かないのだ。むしろ調子のいいイヤミを連発してると、いざという時の切れ味が鈍る。

 

やたらと「さっさと~するべし」とか、「~すればいいだけ」といってしまうのは単なる詠嘆でしかない。それも選民意識からくる詠嘆である。それをコンテンツと詐称してるのが、言語に対する認識を根底から誤っているアカシであり、醜く、ブザマである。

 

何でもフランクに、正直に話せばいいってもんじゃない。思ったことをのべつまくなし発言するのをグッと飲み込み、したがって言うことは歯切れが悪くモゴモゴしてる。そのカッコ悪さこそが信頼の前提だ。自らを疑うことで自らを超える、それがつつましい知性の、ひとつの伸ばし方なんじゃないだろうか。

 

<了>

 

アイドルに切りつけるやつは幼稚で孤独で無効なテロリストであるがしかし…

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画像引用元

http://www.irasutoya.com/


アイドルに切りつけるやつは幼稚で孤独で無効なテロリストであるがしかし…


またアイドルをめぐる事件があったので、アイドル産業をそれにハマる心理面から、あえて上から目線で考えたい。

アイドルとは基本はまず動物園や水族館、ペットショップのようなものである。
あらかじめお前用に周到に用意された制度の中、主導権はお前にあるかのように当初は粉飾され、お前は安全圏にいながらにして好みの対象タレントを選択する。しかし本当は最初にそこに行った時点で、すでに何かの術中なのである。


好きな異性へのダイレクトな想いは、用意された制度のなかでこうして最初から高みの見物としてねじ曲げられている。そこには「卑怯さ」が織り込まれ済みである。


人と人とのホントの出会いなど、用意された器の中にはない。そこにあるのは他者がお前を食い物にしようと撒いた「錯覚」という撒きエサだけである。世間にいま定着しているのは、経済(金儲け)と結びつけるアイドル体制側の乱暴な引き寄せでしかない。


アイドル業界とは全体にいびつな構図を擁する。男側(ファン側)だけでなく女性側も、だ。若い娘がアイドルに憧れ、業界に身を投じるということは、女性にもゴマカシの世界が用意されており、そのチヤホヤ世界の中に自分を埋没させてゆくことである。

 

エンタメ界では、アイドルになる訓練もいろいろあるんだろうから大変な部分もあると思うが、問題は、何を目指して苦労していくのか、ということである。
「自分の夢を実現するため」というせつな的でちっさいもののためなのか?ならばその点においても、ファンの男もアイドル女も平等にうかつなのである。


男側に話を戻すとアイドルにハマっていく過程はヒロイン、スター、偶像崇拝、つまり抽象への帰依で主体をごまかす作用に徐々に慣らされて、自分で自分に催眠術を無自覚にかけてゆくこと、といえる。
「だって好きなんだもん」「ハマるわ~」「アガるわ~」等々が、そうしたセルフ催眠術の、最初の釣り文句である。
それはいいかえれば、他者への自己投影の反動として、自分をみにくく、愚鈍に落とし込めてゆくことである。
コンサートで振る奇麗なだけで空虚なサイリュウムの光景は、そのメタファーだ。


そうなった責任は、うかつな自分にある。欠落はだれの心にもあるが、その欠落が代償を求め、やがて欲望に移り変わる。そして今度はその欲望の奴隷となる。
そうした変位の瞬間瞬間を確認していなければ、お前の目は覚めないままだ。
まず毎日の充実でもって、源初の契機たる「欠落」を最小限にする試みに、着手しなくてはならない。


今の時代、個人の欲望がまずあって、しかるのちに欲望充足のシステムがあるのでない。いや今どころか近代の日本はずっと、その逆である。つまり欲望充足システムが喚起剤になって個人の世界に重くのしかかっている。無為の、欲しがらない、お前の素直な気持ちは、いつもそうしたシステム側で蹂躙され、ものほしげな自分に矯正されている。そしてシステム側の人間も、その呪縛の中にいる。


この錯誤に関し、決定的な犯人や、確信的な画策者はどこにもいない。この歪んだ構図を不幸という。
「自分のやりたいこと」など「システム」に提供されたワンノブの、取捨選択作業にすぎない、という冷めた視点。
ここに気づいて修正していくのは、おまえ自身しかいない。そしてそれは世界の修正に直結している。
なぜならお前は私であり、全員でもあるからだ。お前の存在は共有財である。
「錯誤」が拡散できるなら、その「修正」も同じく拡散できないはずはない。


いいか、自己点検の著しく欠けたおまえ個人の「善意」は、この世のすべての意識的「悪意」を凌駕するのだぞ。過去の戦争も殺戮も虐殺も犯罪もテロも、すべての初源はこうしたメンタリティから生じてきた。アイドルにハマることだって何の違いがあるか。


女性アイドルは、男側からの性欲希釈の象徴であり、端的にいえば代償行為である。


SNSでの親しみ演出、会えるアイドル、それと反して高まるセキュリティ、住まいへの侵入、ストーキング行為、そこらへんは表面的なことに過ぎない。


根っこは全部同じであって、要するに(前にも書いたが)ノゾキ穴からデバカメする悪しき客観主義のひとつのあらわれにすぎない。自分の中身はカラッポであり、覗く対象は逆に輝いてるように見える。そしてどの段階かで、対象がお前を簡単に「超えてしまう」ときがくる。
そうなったら乗っ取られるような形で主客転倒が容易におきる。
おきないのは対象に無関心なとき、飽きたとき、忘却したときくらいだ。


その結果がなりすまし行為や、親切や世話を超えた粘着になる。お前の空っぽ度合いが高ければ高いほど、インターネットがその最適な助長手段となる。そして空っぽの人こそが、アイドルを求める。
したがって迷惑行為がない方がおかしい。みんな心の中では全員が犯罪者の芽を持っている。それは大昔からある(例えば、美空ひばりは顔に塩酸だか硫酸をかけられたことがある、など)


このように、アイドル産業自体がハナっから人間疎外である以上、傷害事件の種は最初から蒔かれている。


切りつけられたアイドルは気持ち悪い粘着にほとほと困り果てていたというが、その気持ち悪さは何かと考えると、自分の領域へのスライムのようなベターっとした侵犯が、無人格な人間によって無考慮に、一方的に行われていたからだろう。


自分はカラッポなのだが、感情だけはあるので、拒絶されるとキレる、とくに男は外見とは逆にヒラヒラしてて弱い生物なので、被害妄想に陥りやすい。


何かに似てないか。そうオウムのようなISのような、エセ宗教である。
つまりアイドルに切りつけるやつは、20年前に地下鉄にサリンを撒いた奴の相似形である。

そしてその安易な構図に陥ってしまう深淵は、すぐそこに穴を開けてお前が落ちるのを待っている。
たとえばシェア記事をサッとッ読んでいいねを押す。ヤフーニュースを次々と閲覧してヒマをつぶす。安易なRTを繰り返してコミュニケーションをとったつもりになっている。
そんなわたしもあなたも、全員があの切りつけ事件の加害者になる手前にいるのだ、安易という名の慣れの中で。


いまやイチ個人の崩壊や自滅は、ひとそれぞれの問題などといって切り捨てたり、うっちゃっておいて涼しい顔などできない。先に述べたとおり社会性とは、全体性。すべて自分の問題になりうるのだ。それも悪意方面で。


もういい加減にしないか。刃を向ける相手はぜんぜんちがう。安易さでなく困難さの方にトドメを刺そう。
それはお前の本丸と同義である。お前が街を歩けば、美しい娘などそこら中にいるんだぞ。
人との関係を築くのを躊躇する、声をかけるのに踏みとどまる、傷つきたくない複雑なお前こそ、お前が真っ先に刺す対象だ。


すべての起点となる自分のコアは、その傷跡からしか生えてこない。

 

<了>

 

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