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【書評】「ひとまず、信じない―情報氾濫時代の生き方」 押井守(著)

 

ひとまず、信じない - 情報氾濫時代の生き方 (中公新書ラクレ)

ひとまず、信じない - 情報氾濫時代の生き方 (中公新書ラクレ)

 

 

セカイがつまらないと思ってるあなたに向けて。

対談本の出版が最近続いたが、久しぶりの押井守単書が登場した。いままでの筆者の主張が、仕事や政治、幸福と言った切り口から入って、平易な読みやすい文体でつづられている。たいへん良い内容で、いろんなひとに薦めたい。

サクッと読めるが奥は深い。過去に読んだなにかの焼き直しでもないので、新鮮味を失っていない。よく多数の著書を出せるものだと、感心してしまうほどだ。著述家として一流である。映画監督の才能の延長に思える。

内容は前半は老若男女に向けた、ほとんど究極の人間指南書。
甘ちょろいものや、おためごかしに惑わされない芯を教える。
後半は絵空事としての映画の中に魂を盛り込まなければ、映画監督はテーマを持てない。テーマがなけりゃ仕事じゃないという、これまた「芯」の教えである。

書名の「ひとまず、信じない」は、本書のどこにも直接記述がない。
編集がつけた書名なのかもしれないが、これでいい。何から何まで言わなくていい。

私はよく書評を書くが、書評とは本の内容を自分なりに言い換えることだと思ってる。
よって本書の内容を私なりに言えば、以下のようになる。

セカイがつまらないと思ってる人は多い。
でも「つまらないこと」の検証を怠ってるなら、つまらない対象はつまらないままだ。
「つまらないこと」の方からは干渉してこないから、そのことに、自分で気づいてあげないといけないのだ。

となる。とにかくこの本はいい。読めば分かる。
 
<了>

インスタ映えとは何か。

クルマの中のハエ

 

一匹のハエが車の中を飛び回ってる。彼にとってこの空間は無限だろうが、しかし人から見たら狭い空間である。しかもハエは走行中の車内で飛ぶことによって、自分の飛翔能力以上に空間移動できてるという錯覚も生じる。

 

これが現代人の姿でなくて何か。

 

今度は対向車とすれ違う。車窓に貼り付いたハエ君は、対向車のウィンドウに、同じように貼り付いてる自分と同種のハエを見る。向こうでも気付いて、お互いを窓越しに数秒見つめ合う。しかしすぐ離されていく。お互いがなんなのか、考える間もなく。

 

これも現代人の姿でなくて何であろうか。

 

ひとはいつも蠅のように迷子だし、錯覚をエサに生きる。スマホをのぞいても解は出てないし、SNSもヒマつぶし以外のなにものでもない。

 

これがホントのインスタバエ。

 

<了>

無駄を省くという「ムダ」

「みなさん、よく考えてください。毎回○×をやっててそれに3秒かかるとして、またそれを1日に何回もやってるとした場合、年間で計算すると○×分ものムダじゃないですか。これでは貴重な時間をどぶに捨てるようなもの。その悪癖をやめ空き時間を生みだし、自分にしかできないことに、その分注力しましょう!」

 

こういうたわごとを、したり顔で述べる輩が後を絶たなくて、ハタ迷惑極まりない。時間を累積の算数次元に落とし込め、それで損か得かなんてやってると、自分の本分を見失うことになる。「ムダだから」なんだというのだ。ひとはみな、「ムダ」の落とし子ではないか。考えるおまえはムダそのものである。

 

いまは、流れつづける瞬間連続のピンポイントである。前の瞬間は、次の瞬間の母胎であり、連続という現象は必然である。生命に、無駄は過程はなにもない。ムダの概念すらない。人は自分一人で生まれてきて、ひとりで育ったのでないのと同じである。

 

無駄を省く、か。人は有史以来、だれしもムダ省きに懸命だった。現代だけそうなのではなかった。しかしそうやって爪の垢に火をともすがごとき思いで貯めたその「貴重な時間」で、人は本当に価値ある何かを生みだせた試しはない。そのかわり生みだしてきたのは、せいぜい賃労働への従事やカネ儲け、出世や殺人くらいである。ムダつぶしはプチプチつぶしに似て、ヒマつぶしに伍たる自由への没入。むしろ、不随への跳躍。

 

自由か。本物の自由は不自由の中にあるに決まってる。自由を定義づけるのは不自由だし、本当の自由は、自由など考えたこともない境地に存する。無為無策の中に本当の自由がある。

 

<了>