セカイがつまらないと思ってるあなたに向けて。
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クルマの中のハエ
一匹のハエが車の中を飛び回ってる。彼にとってこの空間は無限だろうが、しかし人から見たら狭い空間である。しかもハエは走行中の車内で飛ぶことによって、自分の飛翔能力以上に空間移動できてるという錯覚も生じる。
これが現代人の姿でなくて何か。
今度は対向車とすれ違う。車窓に貼り付いたハエ君は、対向車のウィンドウに、同じように貼り付いてる自分と同種のハエを見る。向こうでも気付いて、お互いを窓越しに数秒見つめ合う。しかしすぐ離されていく。お互いがなんなのか、考える間もなく。
これも現代人の姿でなくて何であろうか。
ひとはいつも蠅のように迷子だし、錯覚をエサに生きる。スマホをのぞいても解は出てないし、SNSもヒマつぶし以外のなにものでもない。
これがホントのインスタバエ。
<了>
そんなに主張しなくてもと思った
「みなさん、よく考えてください。毎回○×をやっててそれに3秒かかるとして、またそれを1日に何回もやってるとした場合、年間で計算すると○×分ものムダじゃないですか。これでは貴重な時間をどぶに捨てるようなもの。その悪癖をやめ空き時間を生みだし、自分にしかできないことに、その分注力しましょう!」
こういうたわごとを、したり顔で述べる輩が後を絶たなくて、ハタ迷惑極まりない。時間を累積の算数次元に落とし込め、それで損か得かなんてやってると、自分の本分を見失うことになる。「ムダだから」なんだというのだ。ひとはみな、「ムダ」の落とし子ではないか。考えるおまえはムダそのものである。
いまは、流れつづける瞬間連続のピンポイントである。前の瞬間は、次の瞬間の母胎であり、連続という現象は必然である。生命に、無駄は過程はなにもない。ムダの概念すらない。人は自分一人で生まれてきて、ひとりで育ったのでないのと同じである。
無駄を省く、か。人は有史以来、だれしもムダ省きに懸命だった。現代だけそうなのではなかった。しかしそうやって爪の垢に火をともすがごとき思いで貯めたその「貴重な時間」で、人は本当に価値ある何かを生みだせた試しはない。そのかわり生みだしてきたのは、せいぜい賃労働への従事やカネ儲け、出世や殺人くらいである。ムダつぶしはプチプチつぶしに似て、ヒマつぶしに伍たる自由への没入。むしろ、不随への跳躍。
自由か。本物の自由は不自由の中にあるに決まってる。自由を定義づけるのは不自由だし、本当の自由は、自由など考えたこともない境地に存する。無為無策の中に本当の自由がある。
<了>