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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



「世界を旅する系」のひとからだけ、ぼくはやたらフォローされるんだ。

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どうも 石王イシオウ (@fotobiginesu) | Twitter です。得意なことは意識高い系と意識高い逆張り系への、両方にリーチするイヤミなモノマネです。

 

2005年あたりの川島(下の名前忘れたが思い出す価値もない)ブレイク以降、インターネットには自称成功者があふれた。世界を旅するフリーランサーとか、南の島で毎日サーフィン三昧の、パソコン1台で仕事する華麗な人々のことだ。この流行はずっと続いてるようで、この手の人たちはいまだによくtwitterで飛来してくる。よりによってぼくのアカウントに、だよ?よくもまぁ彼らそんな地球の果てから、しかも振幅の大きそうなfunで染まりきった生活の中から、東北の半引きこもりでしかない、しがない47歳のぼくを親切にも見つけてフォローしてくれるものだ。感心することしきりである、と皮肉のひとつも言いたくなる。たまごアイコンの人とかも。

 

↓例。クリックしなくていいです。

twitter.com

 

これってbotでアカウント集めて一括で自動フォローしたりするんでしょ?詳しく知らないけど小ざかしい仕組みだわね。しかも秒進分歩のネット界、いや、リアルワールドの中において、きゃつらの手法は十年一日の如く変わらない。ナンセンスなだけでなく、立派な公害。もうこれだけで片腹いたいわ。でも、笑わしてくれるのは仕組みに関してだけではないのであります。自称での肩書きがそう。もうひどいのなんの。

 

いうまでもないがフリーランスやノマドワーカー ー要するに自営業ー には、旅するも旅しないもない。好きにしたらいい。また、サーフィンしようがしまいがどちらでもよい。いづれにせよ他者に言うべきことではないからだ。例えば「恋する正社員」(笑)みたいな自己紹介の言葉がもしあったなら、そんなの映画のタイトルじゃあるまいし変でしょう?恋愛とその人の勤務上の名称は関係なんかあるわけない。たとえその人がブライダル産業に従事する社員であっても、関係ない。それと同じことだ。つまり要らない情報である。偉そうに言うがそうやって不要な情報を垂れ流すより、まず己の恥を知れ。

 

職業に言及するなら、内容を述べるだけで十分。さらに業務評価は仕事ができるかできないかだけに向けられるし、その評価は自己申告制ではない。身分を自己紹介するときに、無関係な旅行や遊びの形容をくっつけるのは、相手に対し自分を欺く、いわゆる「釣り」意図があるときだ。それか、本当に中身のない人間なのかの、どちらか、もしくは両方だ。

 

したがってそういう手合いに限って、tweetの内容はペラッぺラのコピペ受け売りだし、本当の業務内容は不明である。というよりそいつの正体は、まず間違いなく何もしてこなかったし、これからも何もできない輩である。世界を旅行どころか、なにがしかの規範や殻や枠から、意識も体も飛躍した経験などないに相違ない。

 

・・・とまぁ、ここまでは世によくありがちな文意。ぼくなりの見解が含まれてるとするなら、自己紹介に変な形容詞が付いてたらそれがだましの目印って指摘かな。で、これからは少し話がズレつつ、独断の領域に入っていきます。

 

だいたいにおいて旅行とは、趣味という名の余裕を嫌うアマノジャク(=ぼく)の持論だと、「自分をゴマカシの中に麻痺させていく」というロクでもない逃避の代表格である。人は、何かの用で、特定の場所に赴くか赴かないかの事実があるだけだ。「自分の現場」はいつだって自分の内面堀りにあると思ってるぼくに言わせれば、旅とはその分自分を見つめることをおろそかにしましたと公言するような行いだ。

 

近代社会での旅行や観光とは、絶景(何という思い上がった言葉か)や名勝など、すでに権威によってお墨付きの場所や何かを、ひとりか何人かで追認していくだけの行為である。それは見えない「レール」の上で振舞うだけであるから、楽しさもどことなくむなしい。

しかし旅行という契機でなく、いま、ここで、自分が「見るんだ」という意識さえ持てば、そこらへんの草木だって虫だって新たな自分だって、すべて唯一の絶体的な他者との出会いである。その「発見」こそが、ものすごく豊かな体験になるはずだ。

 

だからよく聞く決まり文句としての「自分を見つめる旅」「自分探しの旅行」など、鼻白むだけの言い草である。旅先や観光に本物の自分や真の自由、充実などが落ちてるわけがない。もしそんな大事なものが落ちてるなら、ポケモンGOどころではない。みんなキョンシー(知ってる?)のように勝手にピョンピョンと、仕事も学校も子育ても、全部放り出してうつろな目でその辺をさまよっていることだろう。「ほんものの自分」というとんでもない宝がどこかに本当にあるのなら、人はそのユートピアやガンダーラを探すためなら何だってするだろう。

 

ということでここでの旅行を地方移住とか開墾、オンラインセミナー、名言botなどと言い替えてもいい。外部へのあこがれであればみなおなじ、同類だ。ネトウヨやヘイトだって憧憬とは反対に見えるけれど、根っこは同じであって、みな、みにくい。

 

また別の角度から言うと、旅行したとしてもそれは自分の中だけのお話であり、無関係の人様にはとくだん吹聴するものではない。関係ある人たちへ話すときや関係する話題につなげる時のみ、つまり言う必要のある機会にだけ、旅行に触れるってのが好感の持てる会話だ。聞いてもいないのに言われたら、そんなの単なる自慢話である。この部分も、ネトウヨやヘイトに相通じてると言えよう。

 

だから自称「世界を旅するフリーランス」さんに話を戻すと、彼は二重の意味でカゲロウそのものである。旅行と仕事(笑)という無関係二項を結びつける発想も、上に述べたように自分を定位できてないおろかさを浮かび上がらせるだけだ。目的はどうせ情報商材売りのための創作サクセスストーリーなんだから、売る方のキャラをもっと立体的独創的なものにしておかないとお話にならない。また、繰り返しになるが旅という「お茶にごし」に依拠して自分を飾り立てたつもりになってることも、ぼくの意見ではギマン行為だ。しかもこれらをぜ~んぶ自分から言う(そうせざるを得ないわけだが)形式をとってるのが、また噴飯ものの全体構図である。

 

旅に限らずスイーツだとか幸せとか、いま話題の「人生のレール」とか気付きとか、後からでも解釈をいかようにも変えられる、玉虫色のものを前面に押し出して寄ってくる相手には、今の世の中いくら警戒をしてもしすぎることはない。というより、はじめからそんなものに時間を割く必要はない。だから、そいつらに近寄らせない態度でいることが必要だ。一度でも甘い顔して話に付き合うと、かなり長期間つきまとわれると考えた方がいい。だからどうでもいいものの勧誘は、断固として、瞬時に断るのが鉄則である。

 

なにか面白いものないかなぁとか、誰かあたしに声かけてくれないかなぁなどといって、ものほしげにキョロキョロしてるからかえって危険を招き、カツアゲにあったりするのである(もしカツアゲにあったら撃退方法はこちら)。そう考えていくと、twitterで偽アカウントによく吸着されるぼくは相当にウカツなのか。この泡沫ブログでいくら偉そうなことを書いても、無効なようである。この記事の冒頭にアカウントを貼り付けるなど、その意味では愚行である。

 

だがブログのPVが、数としてはいくら泡沫でも、読んでくれる読者ひとりひとりを信じることからしか、ものごとは始まらない。このあたり、偽アカウントくんにゃ分かるまい。

 

以上、恋する正社員をめざす47歳独身オジサンの、たわごとでした。

 

(了)