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テレビ各局の社風を斬ってみた。

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地上波テレビ各局の社風を、番組から想像して独断で斬ったぞ

 

物心ついたときからいつのまにか世に存在してるテレビ。ふと気が付くと、どんな友達よりも仲良しで、親兄弟よりも付き合いが長い、そんな存在です。

 

いくらインターネットが発達しても、スマホやソシャゲが隆盛を誇っても、だらだらスタイルにはやっぱテレビであります。そんなテレビを番組単位でなく局単位で、人にたとえて語るという、尊大で大きなお世話的記事を書きました。

 

題して「地上波テレビ各局の社風を、番組から想像して独断で斬ったぞ」。

 

読者諸氏には内容に関しどのくらい共感して頂けるか拙者には分からぬが、まずはTBSから斬ってしんぜましょう。

 

 

TBS…孤独な都会人のひきこもり自画像

 

www.tbs.co.jp

たとえタレントを多数集結させて華やかに番組をつくったつもりでも、どうも全体に寒々しく空々しい、そんな雰囲気を感じる局である。スタジオのセットも民放キー局の中では一番書き割りっぽい、よそよそしい風情がある。むかし「8時だョ全員集合」はセットを回転させてコーナー転換したが、ああやって舞台裏を全国に晒して恥ずかしげもなく堂々としてる「合理性」が、TBSの論理という気がする。緑山スタジオの多用とか、収録スタジオの電気が夜には落ちるとか(「うたばん」)、セット豪華主義かつ内輪にしか通じない楽屋落ち傾向があるのだ。

 

同局が好んで取り上げる番組テーマには、ここ20年ほど観察できるひとつの特徴がある。それは熱血路線やスポーツに偏重してるという点だ。古くは「風雲たけし城」あたりに源流を持つ、炎の体育会系とか筋肉番付のようなスポーツバラエティ番組が、その例である。それは自分の雰囲気が寒々しいから、熱き情熱とか熱血のストーリーを扱うという、 一種の自覚に基づいたバランス感覚からの対応なのではないか。だとしたら熱血も、かの局には素材でしかなく、その、足りない栄養素をサプリメントで補うがごときピンポイント補填主義は、やはりそれも冷めた合理姿勢からくる発想だと感じる次第である。

 

自作自演(ヤラセ)を交えてでもホットであるのが宿命のテレビ界において、TBSの、この独自ではあるが冷ややかなスタンス。「ザベストテン」も「金八」も「うたばん」も、なにか孤独でさびしかった。ワーワー賑やかしで盛り上げようとすればするほど、むなしさを感じたものだ。私見ながらこれが同局のポジションがハンパである理由であろう。

 

この冷たさは、大都会のスマートでクールな体温に由来していると思っている。だからつまり、東京なのである。TBSとはその名のとおり、東京のみを見つめ続けている放送局である。なんとはなしに閉鎖的で孤独。人を描くのは、あまり得意でない局だ。

 

ところで単なる偏見かつ大きなお世話だが、かの局は、社内人事なんかも冷淡なような気がするな。

 

 

フジテレビ…家族でわいわいやって低脳へまっしぐら

 

www.fujitv.co.j

「たのしくなけりゃテレビじゃない」のキャッチフレーズのもと、楽しさや軽薄さで80年代から世をリードしてきた同局だが、それも含めてこの局の根幹をなすものは「ファミリー」演出だと思う。フジに出る時は自局の若手アナもベテランアナも外部タレントも、要するに社内外問わず、出演者はみな平等の扱いである。 まさに和気あいあいといった感じで、みんなで番組をつくっているんだぞ、という雰囲気を色濃く感じる(めざましテレビ等)。したがって最終回のカタルシス や、出演者が卒業する際のオーラス感はとても大きい。

 

番組編成も50年くらい前から家族ムード推しだ。思い返せば70年代、日曜夜の「オールスター家族対抗歌合戦」とか、アニメの世界名作劇場(「フランダースの犬」とか)などの牧歌路線が、その最もたるものだった。言わずもがなの「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」も。

 

またバラエティーも一貫して血の通ったにぎわいを感じる。芸能人のともだちに電話をかけさせて、それをそのまま次回のトーク人選にしてしまう(初期の「いい とも」)発想のはんなりさ。この点が先述した「東京ローカル局」としてのクールなTBSと対照的だ。フジは、だからややドンくささも残る「地方」「田舎」 である。新宿区河田町にあった時代の旧本社は、まるで雑居ビルのような外観を呈していたのだった。

 

ただフジテレビのほんわかさは、人の良さが出てるだけなのが弱みといえば弱みだと思う。だから世間をうまく乗り切る戦略とか、多少ズルしてでも相手を出し抜くとかいった狡猾さや鋭利さは、あるようで実はない。フジの凋落はよく喧伝されてきたが、自局の地位が下がっても、ほんわかファミリー基調に特に変更はないようである。戦略がなく、資質だけでやってきたから当然だ。後述する日本テレビのように、自分の特色を対象化して捉え、うまく切り取って成長させて新しいフレームをつくる、といったことがどうも苦手、どころかそれを意識したこともないのではないか。

 

いっときはバブルの絶頂、時代の寵児だったが、いまでも当然、一定の(そして相当の)収益はあるんだろうね。フジテレビの話に限らないが、儲かることは鈍することでもあると知らしめてくれる。地方には案外金持ちも多く、その姿は悠々自適の好々爺、しかも思考停止ぎみのそれというキャラが少なくない。フジはそれだ。たぶんずっとこのまま続いてゆく。

 

 

テレビ朝日…ぜんぶ上滑り。たとえれば、マズいレトルト食品。

 

www.tv-asahi.co.j

タイアップ大好きでメディアミックス命。特に、別にそんなに面白くもない自社放映ドラマにゲタをはかせて映画化し、なにかというと「大ヒット上映中」と大風呂敷を広げるのが、お得意のワンパターン。 十年以上に渡ってそれ一辺倒の持ち上げ方法論にはもう飽きた。自局の番宣が他局にくらべても目立ち、かつ自前でのヨイショぶりが大仰。この傾向は日本人の控えめな国民性を超越しており、ほとんどステマレベルである。

 

また、親分である朝日新聞仕込みの底の浅い正義感を振り回したり、これまた同社刊の週刊誌「AERA」のように、ジャーナリズムを気取っていながらその実、単に世相をはやし立てるだけの番組(「TVタックル」「朝まで生テレビ」など)を長く続けるなど、たぶんキー局のなかで一番うぬぼれ感度が高い。常にエエとこ取りだけをしてテメーだけこざかしく世間を渡っていきたいという、虫のいい社風が透けて見え、浅薄な啓蒙主義をその絶好のかくれみのとして使う。深夜帯の番組が妙にユルいが、それはそこら辺の裏返し現象であろう。

 

勉強はできるが知恵はなく、言動も人格も奥行きが浅い。しかしその欠点を隠して金儲けだけはうまい。そんな似非インテリが巣食う伏魔殿。まるでパッケージは豪華で値段もそこそこするのに味わいは薄い、そんなレトルト食品のような局だ。ちなみにわたしはライバル局の回し者ではないぞ(笑)

 

 

日本テレビ…超安定チーママ。その磐石ぶりには死角なし。

 

www.ntv.co.j

国内テレビ業の王道、象徴、保守本流。産業でいえばゼネコン、鉄鋼、自動車メーカー。重厚にして長大なる長期安定政権。同局のバラエティー番組における大箱感、それこそ大船に乗ったような安定感は、長年ゆるぎない同社の特徴を照射してあまりある。例:笑点

 

あまりに保守すぎて、同局は愛で地球を何度も救ってるし、そのたびに自分で自分に感激、号泣してるが、さすが本道、善意の裏でゼニ回収はキッチリ完遂。泣くフリも最初から上手である。このあたりのサジ加減は水商売業のセンスと紙一重。

 

他局とは趣を異にし、あまり自我を出さない。黒子役に徹することが多いのも保守を感じさせる要因である。「電波少年」のようにバラエティー分野でときどき破綻、というか破天荒な番組を出してくるのは、はぐれ因子も社内に擁せる余裕のなせるわざか。このはぐれ因子が、さっきもフジのところで書いたが、自社の毒見役でありまして、実験的なことや非難を浴びるような噛ませ犬みたいな役目を割り振られている。まるで中国における北朝鮮のようなものであるが、それでいてこの分野でもヒットも飛ばす。さすが保守、長期政権の運営術に長けている。伊達にボスとして読売を据えてるわけではなさそうだ。

 

これからも日本テレビの時代は続くだろう。そして次代の日テレの変容度合いは、戦後ニッポンのレジームが完全に崩壊するときの、社内異分子の飛び出し方如何で決まるだろう。

 

 

NHK…官僚と政治機構が放送してるようなもの。

 

www.nhk.or.j

教育はあのままでいい。かずかずの実験的な取り組みが見られ、語学番組などは世界でもまれにみる丁寧な番組づくりではないだろうか。長年のノウハウの蓄積があり、かつ再放送でお茶をにごしたり、マンネリに陥ったりは最小限。だからときどき番組を見ると目を見張らされる。というか、「ときどきだけ見ればいいや」という気にしかならないことの方が問題。

 

そしてNHK総合はというと、これが教育よりはるかに問題。全体に頭のてっぺんからつま先まで迎合主義に染まっており、全方位にウケようとムリにムリを重ね、紅白のように結果はスベッてばかりという、なんともお寒い方向の中にある。NHKさんは準官僚組織なんだから、民放の模倣もほどほどにしてもっとムスッとしてていいのではないか。むしろムッツリした雰囲気が支配する時代の重さを、いまに伝える唯一メディアとしての自覚を高めてほしい。いまのままでは「生活の心配のない人は余裕があっていいな」としか言えない。

 

ただ「伝えてピカッチ」という新感覚のクイズ番組は、人選も含め他局にはない発想とテンポの良さがあった。しかし3月の改編で終息。なぜあの路線を広げないのか理解に苦しむほどの良質さであった。思い起こせば「連想ゲーム」など、総合はたまに目の付け所が良くて品もある娯楽作を出してくる。本物の知性が社内にいるのだな連綿と。そのあたりもいい意味で官僚機構的である。人材が引きもきらずに揃ってるという意味で。

 

 

テレビ東京…見なくて七癖。うめ草、みちくさ、根なし草。

 

www.tv-tokyo.co.j

みんなのガス抜きのための局。テレビ界の排気弁の役割を担う。だがそれが同局の自虐点となり、「世界でひとつだけの花」の腑抜けた歌詞と共に、日本を代表する逃げのエクスキューズにもなってる。

 

ただ皆さんとうにご承知のように、テレ東はそれだけに得意技も冴えている。なんでも鑑定団やバス旅、モヤさまなどに見られるように、放浪系の、根無し草的な ニッチフィールドに絞り込ませたら、テレ朝の深夜枠に勝っても劣らぬユルい妙味を醸し出す。消極性、タルさ、仕方のなさと憎めなさ。そうした価値観があってもいい。そんな気分をバックアップする、テレビ界のヘタレ「しんがり」。どんな境遇になってもどっこい生きてるシャツの中といったおおらかさには、勇気付けられることもしばしばだ。

 

こうした独自視点の番組を頻度高く放り込んでくるあたりに、 他局には感じられない柔軟な企画力を確認できる。つまりアウトロー的なのが特色。それも寅さんのように、安心できる逸脱なのが鉄板だ。まさに庶民のための安全弁である。同じ「東京」でも言うなれば多摩地区。TBSのようなお高くとまってる感はゼロ。

 

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以上、テレビもとうの昔から多チャンネル(これは地上波だけでないって意味であって、本当に多様化したわけではないけれど)時代に突入し、リモコンも操作ボタンがやたら増えた形状になってから久しい。パッとつけた番組の雰囲気でチャンネルをなんとなく当てるという芸を磨いてるうちに、このような記事となりました。

 

やっぱり、なんだかんだでテレビにツッコミ入れるのは好き。笑

 

<了>