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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



卓球女子団体にハマッてしまったよ

卓球女子団体で銅メダルになったチーム3人娘が話題だ。その中で最年少でありながらコメント力も貫禄もスバ抜けたものを持つ伊藤美誠(15)が語った言葉で印象的だったのは、「みんなでつかんだメダルということで、シングルスよりももっともっとうれしいメダルだったと思います。」という発言であった。

 

この子は「先輩たちを手ぶらで帰すわけにはいかない」や「(メダルを)獲る獲らないでは大違い」という昭和時代の男もまっ青の野太い発言を、ニュアンスを交えながらもたびたびしていて、そのつど15歳にあるまじき"大物感"に感心していたが、それらの名言(?)に引き続き、またもや恐るべき洞察力が出た言葉が「みんなでつかんだメダル」コメントだ。

 

そう、みんなで達成すると、人数分の数倍は大きな歓喜となって還ってくる。分野はぜんぜん違うが、バイオリニストの高嶋ちさ子が、音楽番組で葉加瀬太郎とか五嶋龍とバイオリン共演をして、「ひとりで演奏するより何倍も楽しい。もうソロできない」みたいなことをいっていたのを思い出す。

 

集団の中の人は、この境地に至るのがカギなんだろうと思う。なれあいとか、責任転嫁とか、個性を集団の中に埋没させるとかでなく、一人ひとりがしっかりと引き立った人格と力量を持ち、個別に輝きながら、自分の仕事や分担、役割を出し惜しみなく着実にこなしていく。そしてその結果を持ち帰ってみんなで引き継いでいき、吟味して共有して自分の肥やしにもして、ひいてはチームの中で(規模は小さくても)普遍化していく。

 

規模は小さくても、と書いたが集団の頭数は関係ないな。たとえ2名であっても、その2名の間で普遍化できないような仕事や成果は、まだまだなんだ。

 

この「みんなでつかんだ」うれしさの本質は、メダルや表彰台、世界ランキング順位なんかといった外部の話じゃないよね。ひとりでは到達できない領域に、全員ではじめて登れた充実。お互いが硬く響き合ってみんなでひとつになれた感激だ。業界主導の成立にせよ、卓球に団体というカテゴリーがあってよかったね。

 

自分の命はまず何といっても、はじめからしまいまでみんなの共有物だ。エゴや自我なんかはるか手前で見切りを付けて、魂の根底から生命真理の端っこに触れられた人は、例外なくみずみずしい顔をしてる。スポーツの団体戦はそれがいちばんよく可視化できる現場だ。だからみんな観戦に熱中する。ボルトみたいにひと握りの傑出したスタープレーヤーの活躍を見るのも悪くはないが、競技観戦の醍醐味はなんといっても団体戦である。あえていうとぼくらと大して違わない市井の人が、一皮もふた皮も剥けるその過程のことだ。

 

オリンピック。始まる前は例によって「フンなんだこんなもの」と思っていたが、あの卓球女子団体にはさすがに少しばかりハマってしまった。息詰まるような、見てる方にも集中力を相当要求する長試合。チームの全体経緯も波乱万丈で、ドラマとしても流れや勢いといった起伏がある。

 

福原、石川、伊藤。みんな容姿も普通、体格も小柄で、一見どこにでもいそうな若い女性だが、そんな普通の彼女らが織り成す、三姉妹のようなチームバランス。そして美しき団結力、お互いの尊重の上に存立した鋭い集中力(アタシが足を引っ張るわけにはいかない!)。めったに見られるものではないからこれにはすっかり惹き付けられてしまった。ほかの国のチームもそれぞれにまた美しく、負けた方にも苦味という、にじみ出る深い味わいがある。ここでスポーツ門外漢ながら思うのは、こういうのは野球もそうだけど、強い選手をただ単に集めただけっていうドリームチーム的足し算とは違うのだねってことだ。

 

福原愛さんくらい競技生活が長い選手だと、こういう境地は違うメンバー間でなんども到達してるんだろう。だけどそれぞれ毎回が、違った手ごたえ、かけがえのない充足なんだろうと思う。仲間がライバルになり、また集ったりして、個人プロの厳しい世界も垣間見せつつ。

 

そしてそんなふうに事後に個人同士で対戦したときの光景も、どちらが勝っても負けても何かを残す、しっかりと実のあるものになるんだろうね。

 

銅メダルは結果にすぎないが、今回いいもの見せてもらいました。

 

さてと感激に酔うのはこのくらいにして、ぼくは自分の仕事現場に戻ろう。

 

<了>