*非常に優秀なアフィリエイトサイトを作った仕事名人さんの記事です。参考になりました。
<ネットのトホホなバナー広告に見る、連携仕事のむずかしさ>
なんとなくその言葉はよく聞くし、手軽に参入もできるけど、やってみるとまずぜんぜんお金にならない「アフィリエイト」。
ええ、ぼくも煮え湯を飲まされてますよ。大して稼げないから笑
そんなネット時代の新参稼ぎ手法であるアフィリエイトだけど、何回か書いてるとおり、中身は以前から存在してる広告代理のビジネスだから、かかわるすべてのものが高次元に統一されてはじめてユーザーさんの琴線に、そして金銭にふれるワケでございまして。
対象のユーザーがリアルでもネットでも、その商いの構図は江戸時代あたりから同じです。
で、ここでいう高次元に統一されてるべき「かかわるものすべて」というのは、具体的には、
①配信者側(GoogleやYahoo、Facebookなど)の、システムとしての優秀さ(たとえば掲載コンテンツと配信広告のマッチング精度や、閲覧者とのインタレストマッチ確度、システムの安定性など)と、
②広告掲載側webコンテンツの優良さ、人気度と、広告配信設定や配置箇所の最適化実施と、
③その広告自体の完成度
(対象の製品とかサービスの高いレベルも必須ですし、ECサイトの出来のよさも当然必要ですが、これらは話の前提なのであえて割愛)
以上の3つの足並みが揃ってこそ、最高にうまくビジネスが回るもんじゃないかなー、って偉そうだけど思うわけです。
ところが、前々回の記事(「ネット広告を斬ってみた。」)で晒しましたように、私見では目的も存在意義も訴えたいことも、ぜんぶあいまいな、あるいはひとりよがりなバナー広告が多いのではないか、と。いやもちろんいわゆるスパムやステマも含んでの話ですが、どうもハナから「クリックしなくていいですよ」といわんばかりのバナーが多い。
あの記事に掲載したバナーは、ぼくのこのブログに掲示されたものをキャプチャーしたものですが、当ブログのPV数たるや実に微々たるものなので、媒体パワーが低いと下位の広告しか配信されないという階層性みたいなものが、システムとしてあるのかもしれません。
でもぼくも一度googleに広告主として出稿したことがあるので、掲載に当たっていろんな条件設定が可能であることは承知しています。また上の記事でヤリ玉に挙げたようなバナー広告は、他のパワーサイトでも見受けられるので、どうも掲載メディア(=サイトやブログ)のレベルが、ことの本質ではないようであります。
やっぱり人の興味関心にかなりヒットしリーチする、見る人のことを考え抜いたハイレベル広告が、絶対数として少ない。もしくはネット広告出稿に、踏み切っていない、あるいは、ホンのちょっとしかやってない。
本当はそういうよくできたバナー広告が、常に切磋琢磨し合ってるってのがいい状況だよねぇ。
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で、この広告のクオリティアップに関しては、広告制作側(クライアントや広告代理店)の自覚度におそらくは一任されている、って推測してます。
サイト内で掲示位置をいくら変更しても、クリックされにくいバナーやテキストアドってのはいつも存在してます。
たぶんYahooJapanで最近顕著な、TOPページのオーバーレイ広告くらいの最上級案件であれば、Yahoo側でも広告の「質」に関与してくるのではないかと思いますが、それ以下の案件広告なら、ポータルサイト側でも受注して掲載するだけだよね、たぶん。
他方、GoogleでもYahooでもFacebookでも、ユーザー側から広告に関して意見を受ける窓口は設けてるけど、それは現状ではポータル配信者側に悪質な広告を通報するレベルのものでしかなくて、その上のレベルの、広告の質的向上を促すものにはなってない(しかも告知者に個別にフィードバックする仕組みもない、ブラックホールみたいなものです…これも由々しき構造問題だと思いますが、ここではその論議は割愛)
要するにネット時代になったからといって、広告出稿主、掲載媒体、どちらを向いても広告方策っての基本姿勢はあんまり変わってないように思えるのです。
つまり従来の、テレビや新聞などの既存マスメディアに配信/掲載するという、十把ひとからげにダラーッと拡散させる、精密な思考をあんまり必要とせずに済んだ宣伝スタイルが、インターネット時代になっても特には改訂されずに単に継承されているような気がするんであります。
本も新聞もテレビも現存はしてるけど、役割やら影響力は例えば30年前からみると位相変化してる。
他方、ネットネットとさっきから連呼してますが、その閲覧スタイルだってデバイスの多様化に主導される形で変化して来てるワケで。
その総体にほおかむりして、不特定多数に向けた、意地の悪い言い方をすればザル的な、インパクトのみ重視の広告づくりの姿勢のまま、インターネットでも広告をつくっている。この2016年になっても、個別に、細かく、効果測定もしながら広告の見せ方に改善を重ねていくってのが、なんかいまひとつ見えてこないなー、って思うわけです。
内実も知らないシロートが勝手に言ってますが、変なバナー広告を実際にネットでよく見かけるぼくの、これが偽らざる皮膚感覚です。
というよりも、従来からあるマスメディア用の広告だって、時代と共にいろんな部分を変化させざるを得ないはずなのに、広告業界は接待やおためごかしにかまけてばかりで、肝心の広告の刷新や革新を怠ってきた部分があったのではないか、と。
だったらインターネットにあわせた広告の研究なんかは、いまだに始まりもしないのも、むべなるかな(←言うに事欠いて決め付けが過ぎるよねゴメンね)
バナー広告の研究って色彩やデザインや文面と、クリック率やコンヴァージョン率との相関関係、広告の掲載位置、閲覧者の視点導線や心理など、解析すべき項目はチラと考えただけであまりにも多岐に渡るので、素人考えですが、たとえそれが暫定的なものであっても正解や方程式はありそうになく思えるのですが。
ただひとつ勝手ついでに言わせてもらえば、広告は、インパクト重視でノベ単な、中身なしスタイルから、地味であっても個別の、相手に寄り添った、共感型提案型のそれへの、スタイル推移だったら、自分はクリックするんじゃないかと。いやあ「そんなのいわれなくても分かってる」って怒られそうだけど、書いちゃったw
<ここで脱線>
憶えておられるだろうか?以前「あなたのパソコンがウィルス感染しました。いますぐスキャンしなさい」っていう、悪質な釣り広告が氾濫したときのことを。これは単にセキュリティソフトの広告で、ユーザーのローカルHDDをいちいち参照して警告を出す親切なシロモノではまったくなく、クリックするとマルウェアソフトがインストールされてしまう悪質な広告であった。
ぼくは自作のハイスペック業務用パソコンを組み立てて納品するのを仕事にしてるので、この広告の全盛期には大迷惑をこうむった。パソコンを納品した人から、電話が毎日かかってくるんだもの。
こんな広告のさばらしてたら損害賠償ものです!ってgoogleに電話したくらいだった。
こういうヤツのクリック率の高さから、何かを抽出して役立たせられないかなー。むろんポジティブな方向に。
<脱線おしまい>
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ということで長々と書いてきましたが、まとめると、バナー広告ひとつとっても大事な仕事の一要素であることは間違いないわけで、その観点に立って、冒頭の①~③と対応させながら書くと、
①ぼくはポータル屋だから広告じゃんじゃん持ってきてね。
②ぼくはブロガーだがらadsenseやアフィリエイトバナーの内容やデザインまでは踏み込まないし、踏み込めないし。
③ぼくは広告デザイン屋だからデザインして納品したら仕事終了だよ
っていうのが今まで。つまり部分最適のセクショナリズムの集積だった。
そんな棲み分けや分業なんか当たり前だと思う方は、偉そうだが仕事の範囲を自ら狭めてしまう人だ。
ユーザー起点で考えれば、サービス側はシームレスに連携しててしかるべきものだと思う。
これからはそうじゃなく、①~③の個々のレベルで、仮説でもいいから全体最適をイメージして、できるだけいい状態に着地するようにする。少なくとも次に「バトン」を渡す人との連携を常に意識する。
場合によっては自分が旗振り役を務めてでも全体最適の姿勢を貫徹するってのが、ホントの仕事に結実するんじゃないのかな。旗振り役がいない分野で、それをかって出る。あえて貧乏くじを引く、それでいて被害者意識に陥らず、軽やかな滅私奉公スタイルで全体を見晴らしながら仕事をすすめていく。究極のアフィリエイターってのは、自分の紹介するサービスを、入り口から出口まで全部手がける人だ、なんてね。あ、そうなるともう本職か。
いづれにせよ、仕事のできる人って全体最適視点の人だってのがぼくの持論です。時代は変わっても、そう。
で、もっというと、インターネットはそんな商売レベルすらも内包した、もっと高次元のものであってほしいんだけどね。この記事↓で書いたように。
<了>