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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



主体と客体の解体新書 ~新聞勧誘マンを相手に、大それた実験をしてみた~

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太平洋を撮ってみたがかすんで見えないぜw

 

<サギ対策にも有効な、勧誘を断る方法>

 

いまのご時勢、世にはびこるしつこい勧誘を、スパッと断る方法をあみ出したから聞いてくれ。


オーナーズマンション、宗教、投資、新聞、詐欺、洗浄器などの押し売り、女性の場合はナンパ師と、どんな勧誘元でもほぼ一発で撃退でき、それでいてハッキリ断るわけではないので、気の小さい方でも躊躇なく実践できる、そんなスグレ技です。


それは、他者とゼロ距離の、のっぴきならない、不分割の、不可避の、そんな堅い関係を目指して会話するってことです。


なんのことやらさっぱりですねw


これはですね、最近のぼくの実例でいうとこうなる。


新聞勧誘員(このご時勢にもまだいらっしゃるのだ)がウン十年ぶりくらいに拙宅に来て、新聞を取る取らないの話をしたことが先日あった。もちろんぼくは購読するつもりなどない。


「○×新聞ですが、1ヶ月でいいからとってくれませんかね~」
「洗剤セットもおまけしますから」(←3~40年前とおんなじ手法!)
「見本紙置いていきますんで」


これは一見仕事の話のようでいて、この段階では実は一般という名の下の、ゆるふわボンヤリした関係の2名で構成される、仮想空間でのお話みたいなものである。


レベルは違えど一般的な商談は、ほとんどがこのタイプといえるだろう。


ところがこれを、さっき述べた個人と個人の、のっぴきならない話に転換すると、内容はこう変わる。


僕「新聞新聞というが、新聞に対するあなたの熱意、総括、意見などを聞かせてください。納得すれば、購読を検討します」


もしくはやや異なった位相からの発言だと


「○○さん(勧誘員の個人名)、あなたこういう勧誘の仕事に疑問を感じたことないですか?」


などとなるのである。

 


前者の発言は、相手からすると面倒なヤツが出てきたと最初は思うだけだろうし、後者はまぁ大きなお世話だ。
だけどこれはぜんぜん面倒な話じゃないし、大きなお世話でもないのである。
むしろ僕に言わせれば相手に対し、個人対個人である以上はこんなに誠実な、意味のある言葉のキャッチボールはないのである。

逆に言えば、この会話がやや鋭角すぎるように聞こえるのならば、普段の自分の会話がいかにぬるま湯的なもの(「空気を読む」とかね)に泳がされているかの、いいバロメーターになろうと思う。


面白いことにこういう風にして対象とゼロ距離の、比較的腹を割った会話を、はじめにこちらから提示すると、相手の顔がキリッと変化したり、目を泳がせたり下を向いたりなんかしてしまうのである。


勧誘員にしてみたらゲームだと思ってエアガンを持ってたら、実銃が出てきたようなものである。

こちらにしてみれば、相手に実弾を放ってみて、被体がキリッとなったなら、会話の「有効弾」がしっかり届いたということ。
それ以外の表情やしぐさを示すようなら、その人のあいまいさのみが浮かび上がる、そんなリトマス試験紙みたいなものである。そして、試してみれば分かるが、ほとんど全員が引き下がるのである。


本気で対峙すると、底に悪意のある勧誘の場合(昔の新聞勧誘は、悪質なものの代名詞だったのだ)、やけにあっさり引っ込むことが、経験上よくあった。この場合は勧誘側も、自分で自分のうしろめたさを少なからず自覚しているのであろう。しかける側もやはり心根というものがあって、相手(=あなた)のドーンと構えた態度や、隙を作ることを恐れない、堂々としたあけっぴろげさに、少し飲まれながら会話を切り出しているのである。
このあたり、ロシアの小説家セルゲイ・アクサーコフが「家族の記録」という本で書いた通りであるし、武道なんかにも通じる心得である。


あとは対象のモノにあわせて、さっきの会話文中の「新聞」を、「宗教」や「株」や「洗浄器」に替えればいい。

たかが玄関先での勧誘話に、そうした会話を自分から切り出すやつなど、それもある意味戦略的な意図を持って話すやつなど、ほとんどいないだろう。


でもこれがどの自己啓発本にも載ってない、本当の会話術だとぼくは思ってる。


営業側の立場になって考えてみても、新聞に限らずなにかを勧誘する、提案するという仕事を、いつもしっかり自己に引き付け、その本質を分析できてれば、そして惰性で仕事(その場合は作業といった方がいいが)をやってなければ、上のような本気の問いかけには即答できてしかるべき答えが、彼彼女には常に用意されているであろう。
まして相手は、勧誘しようと自分からしかけた相手なのだから。

 

この境地は仕事に対する姿勢だけでなく、自分の資質までも照らし出す。

 

その相手の意図をひとまずは汲んで意見を受け止めその上で、こちらとしては反論するなり、賛成するなり、疑問点を提示するなりの次の段階に進む。これが本来の会話の運びである。だからこちらも、内実の充実した中身をいつも懐に持ち錆び付かせず、いつ何時でもそれを発動できるようにしておかなくてならないのだ。それ以外の会話は、ムダとまでは言わないが、まぁ雰囲気の確認しあいっこ、情緒のなすりつけ合いみたいなものが大半で、本気の対峙の合間における、息抜きのようなものである。そして言うまでもなく、本気の対峙を避け息抜きばかりしてるのが現代なのである。


最近は東京や大阪のオーナーズマンションに投資しませんかとか、宗教に入りませんかという勧誘が多いのだが(ぼくだけか?)、僕がぐっと相手の目を直視して、いつものように実直に語りかけると、みんな尻尾を巻いて退散するんだな。


いやーこうなると、本気のコミュニケーションを目指すってことは、疫病神みたくなることと、そう変わらないんだなw

 

むしろ、ホンマもんの疫病神になっちゃおう。

 

 

(了)