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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



個人情報を越えるもの。

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ゆでパスタにミートソース。レトルトでも高いやつは美味しい(本文とは関係ありません)


<個人情報保護法や、企業のセキュリティ強化は本末転倒に向かう>


ここんとこ毎月大きなイシューが現れて、ネタに事欠かないわが国で、今日のエントリーでは日本年金機構(旧社保庁)が2015年5月、ハデにやらかした例の事件を題材に取り上げたい。

 

そう、年金情報をはじめとした個人情報の大流出と、組織側のセキュリティ・ディフェンスについてだ。

 最初は時代の流れと思って受け入れていたが、やがて違和感がでてきたもののひとつに、ここ10年ほどの世間のセキュリティ体制というのがある。

 

まずはじめに、今どき情報漏えいの抑止なんてなかなかできないよね。他律思考が蔓延しているわが国では、特にそうで。
漏洩防止のための手段なんて、社会に定着するとともにやがてお決まりの免罪符化(やっときゃいいんじゃね?的)をたどり、そして挙句にはその考えすらも形骸化し、思考停止してチョン。
当為としての行為(決められてるからただやるだけ)は、必ず最後は目的と手段の倒錯でおわる。

 

年金個人情報の流出も同じ。勤務者の心理を微分解析しないと流出なんか防げそうにないが、そういう心理まで踏み込むようなシチめんどくさいことを、あの当事者意識ゼロの、自分さえよければエエ組織、杜撰が服を着てるような組織がやるはずがない。
やったように見えても、どうせポーズだけだ。

 

よって、必ず次の情報漏えいは起きる。

 

コトはあの組織だけのハナシではない。

 

オフィスの中に扉をいくつ作ろうと、
カードキーをいくら発行しようとも、
暗証番号を際限なく増やしても、
オフィスのパソコンをどんなに持ち出し厳禁にしても、
外部メディアのPCへの物理的挿入を、いかに不可能にしようとも、
街中を公共施設を、なんぼ防犯カメラで埋め尽くそうとも、

 

いかに「完璧な」防御でも、日常で人為的に繰り返せば必ず惰性になる。そして悲しいかな惰性で動いてると人は思考停止になる。
そうすると「だれのため?」「何のため?」という本来の意義が(日本では特に)薄まる。
というわけで、情報を盗むやつは巧みにこのポイントを狙う。

 

システム問題が背景に遠のいたとき、替わりに立ち現れるのは人間の問題である。
人と、人にまつわる属人的情報との位相問題として、これらとどう付き合うのか?これが暗に問われている。

 

つまりシステムとか、オペレーションなどといった計量可能なものに還元できない、コアな問題に煎じ詰められる。

 

そうすると程なく、人間ほど分からないものはないっていう、哲学めいたものにぶち当たる。

 

繰り返しになるが思考停止の中で、単なるメンドくさい作業に堕したセキュリティ操作が漫然と繰り返されるだけなら、必らず次の情報漏えいは起きる。この国ではいつかみた光景。いつかきた道のデジャヴ。

 

むしろ漏洩対策の手法が硬直化すればするほど、サッカーのようにゴール前に空きスペースが生まれやすくなる。悪いやつらはふたたびそこを突く。かくして、いたちごっこは終わらない。

 


<じゃあどうするのか?>

 

そこでだ。漏洩が起きても、蚊に刺された程度の痛痒しか感じない。社会のほうをそんな風に変えちまえばいい。

 

それは、実現可能だ。どうやって?

 

僕の考えでは、各人がこれからでも、何歳になっても「本当の仕事」に従事すれば実現できる、って思ってる。本当の仕事とは、個々人が自発能動で取り組み独創性に富み、二ッチでもいいから他者にニーズのある「何か」のことだ。

 

こうした本当の仕事をしっかり続けられれば、その人には芯がある、もしくは芯が育ってるということだ。
芯がある人は、人生をしっかり生きることになる。自動的にそうなる。

 

現代教育という、蒙昧な個人を量産するだけに特化した体制の中では、大人になっても芯が育ってない人がほとんどだ。かくいう僕もサラリーマン時代を含め大分長い間、無知で蒙昧で矮小な歯車存在だった。けれども自営業を営なんでいくうちにホントの仕事とその価値に気付いたから、どんな人にもまだ道はあると思う。芯はホンモノの仕事を通じて養える。芯があるとは、ブレない人、信念がある人、と言い換えてもいい。


で、短絡的なようだがそういう芯を持つ人が増えれば、犯罪は少なくなる。事故だって減るだろう。

 

事情があって本当の仕事を持てない人でも、生活を良く暮らす人が身近にいれば、触発されないではいられない。
芯がない人は、芯を育てよう。いくつになっても内面は磨ける。

 

芯が育てば、事物の本質を捉えやすくなる。目くらましみたいなつまんないものに関わりを持たなくなる。そして、他人に心も開ける。つまり善良になる。
すると日本人による犯罪は減る。これ以上の抑止力は必要ないほどに、減る。

 

例:飲酒運転の最近の減少は、道路交通法による厳罰化よりも、人道や人情に訴えた効果だ。

 

こうして犯罪が少なくなれば、情報を盗むという行為の前提も少なくなる(国内では…ね、ここがこの話の弱い部分と認めよう)。
情報の盗難防止という「部分」にだけフォーカスしてるのでは、先に述べたように多分その対策は良くて後手後手、悪いと不発に終わる。対処療法にすぎないからだ。
そうじゃなくて、世の中っていう大枠で犯罪がしぜんと減っていって、その結果、情報漏えいも、いつの間にか無くなってるのがいい。
漏洩がひとつも起きない社会にまで、こうしてもっていけるかもしれない。

 

またもし漏洩が起きても、どうせその漏洩は詐欺(=ゼニカネ)の情報源になるのが関の山なんだから、詐欺に引っかからない、粒立って賢明な個々人と、開かれた透明度の高い社会の中で、「個人情報」の価値そのものが「何でもないもの」とか、「そんなの知ってどうするの?」的な地位に落ちているので鷹揚として居られる、ってな社会が理想だ。

 

(もっというと、金銭価値なんぞに血眼にならない姿勢にまで到達できれば、なおいい。100万円くらい騙し取られても、「また稼げばいいさ。失ったのはお金にすぎない。家族や想い出、自分を見失うことなんかに比べたら回復可能な分だけ、なんてマシなんだろう」って淡々とできる、そんな人に、僕はなりたい。)

 

「個人情報」とは、現代用語ではあなたとわたしの違いを計量的に示したものにすぎない。そんなものに神経質にならず、「わたしはわたしであなたはあなたで、それぞれが目指すものが違う」ってのが自明の理となって、それが知性や理性になってしまえ。

 

漏洩対策などというたいへんに不毛なことや、個人情報保護法という、どこか敗北的、後付け的、消極的なシロモノに時間を割かなくていい社会。「むかしは情報漏えいなんていうゴクローさんな問題があったんだよ…」などと、いまの時代に西部劇の銀行強盗を思い出すような感じにまで後退してしまえ。

 

いま犯罪等の「諸悪の根源」は、いろんな人が色んなところで指摘しているが、このようなあまりに単純な方策をすることで、その「諸悪の根源」の多くが解消された、人間を幸福にする前提が整った社会になるだろう。

 

本気でその社会を目指し、さしあたっては初等教育から「芯がある人」を目指すよう取り組めば、2~30年で手がかりはつかめるはずだ。そのくらいの周期で世代が交代するからだ。

 

最終的にはその取り組みが地球上のスタンダードになればいい。
日本はその方面で抜きん出たリーディングカンパニーになれないだろうか。
そうすれば姑息な外交も、国家間の小競り合いも、背景に霞むかもしれないし、民族主義や宗教対立と、それを温床としたテロ行為ですら減じられる可能性がある。

 

今の資本主義や貨幣経済は多くの方がお気付きのとおり、曲がり角にとっくに差し掛かっている。そして人間は進歩せねばならん。
そんな現代地球で、こうした人間本位の思想を次の100年に伝承できれば、わが国は世界中から尊敬を受けられるような品格にまで昇華できる。
こうして到達したものこそ、本当の国力であり、最高の戦争防止策であり、博愛精神に根ざした価値あるものだと思う。

 

ユートピアだと笑えば笑え。

 

だが、一人ひとりが善くなる以外に、地球規模で未来への道はあるのか?僕は目指すぞ。

 

この文が手始めだ。

 

<了>