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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



電話はそんなに悪いのか

自称インフルエンザーとか、界隈ホコリ芸人どもはこぞって電話がお嫌いのようだ。自分の時間が強制的に取られるから、なんだそうだ。電話はかかってきても出ない、電話を使ってる時代遅れの人とは仕事をしない、と公言してる輩すらいる。

 

いやまったく、おそるべき勘違いだ。

 

確かにいまはメールもあるしLINEもある。しかもひとくちにメールと言っても、電子メールの中身だって一昔前のプロバイダーメールほぼ一択から各種webメールへと多様化してるし、各種SNSにもそれぞれにメッセンジャー機能が備わっていて、連絡方法は実に多彩だ。

それらに比べると、もしもし会話ツールとして音声電話の後進性・単一機能性、オールドウェーブ感はあきらかだ。そこを鬼の首でも取ったかのように指摘して、電話に対してドヤ顔するのは、実にたやすい。

 

だけど、あとから登場・普及したものの方が便利に決まってるのだから、力点はそんなところにはないのだ。そんな前提部分なんかさっさと乗り越えて、次の視点に移れよ、と電話否定派には進言したい。

 

次の視点っていうのは、ひとつ上をゆく対応をするってことね。すなわち、「通信手段はどんな方法でもかまいません。あなたのお好きな方法でわたしにアクセスしてください。どんなツールでわたしにコンタクトを取って頂いても、可能な限りすばやく対応いたします。お気軽に、いつでもどうぞ」っていうこと。

 

電話がお嫌いなのは勝手だが、自分の勝手は相手とは違うかもしれないという「恐れ」がないのが、「勘違い」の元凶。電話のもつ「古さ」という、わかりやすいフラグに、安直にマウントしてるだけの自分の見えてなさ。これが勘違いのもうひとつの側面。「電話には出ない」だなんて自分の勝手を相手に押し付けてるだけで、わがままなガキと同じ。見かけはオープンで先進的なようでいて、内実は自閉症。みっともないなぁ、と早く気づけよ。

 

だいたい会話ツールがどんなに高度に多彩になっても、ツールの目的はコミュニケーションの契機づくりだ。これは電話よりはるか以前に、狼煙で通信しあったり、伝書鳩(!)を飛ばしてた時代から不変で、コミュニケーションの順番は、理解がいちばんあとで、まず最初に関係を取り持つことなんだ。相手の時間を奪取して、相手に干渉・浸食していくことなんだ。その先に、理解があったり決裂があるんであって、コミュニケーションはいわば乱暴な直接性をどこかの段階でムキ出しにしないと、はじまらない方法論なんだよ。

 

でも、そこからしか人の仕事ははじまらないし、それは生きることと同義なんだ。電話は電話ですぐれたインフラ大発明なんだよ、今でも。人の聴覚感性を鍛えてきたし、いろんなインフラの基幹技術になってきたし。そこを足蹴にするってのは、たとえて言えば、創業者の遺産で食ってるだけで、みずからは何も動かない孫が、おじいさんを古い存在ってだけでバカにしてるようなもので。

 

自称インフルエンザー、界隈チリ芸人よ。少し引いた目線で見れば、おまえたちは自分で獲得したものではない、世の中が用意した新しいツールをただ渡り歩いてるだけじゃないか。それはぼくだってそうなんだが、そこにタダ乗りしてものを申す以上、勘違いを抑え、少しでも謙虚になってみたらどうだい。そこに気づかぬ限り、話す内容もお里が知れてるよ。

 

<了>