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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



柿食えば、腹が減るなり法隆寺。

バランスのいい食事をしなさいなんて盛んにいわれるけど、そんな栄養満点の食事、この数十年を除いては、人類はできたためしがないんじゃないだろうか。

 

農耕をやってれば、ある年のある時期には、採れるのはキャベツばかりとか、逆に大根が不作で壊滅状態だった、なんてことの方が普通で、他の人の作物と交換しながら、なんとか食材のバリエーションを増やしていたってのが昔の人の常態だったろう。

 

耕作だけでなく食品の保存方法だって未発達だったから、バランスのいい食事なんて考えてこともなかったに違いない。野菜は塩漬けにする程度の保存しか、長いことできなかったし、漁師にとって魚介類の大漁は、自分たちの胃袋以上のそれには(あんまり)意味がなかった。

 

そもそも、1日に3度食事を摂取できる時代が到来するなんて、人類史上つい最近の、革命的出来事だったはず。たとえようもないほどの空腹・飢餓との連日終わりなき抗争が、人の歴史の本体だ。

 

ただひとつの例外は戦争。国土を賭けた総力戦としての戦争は、この、人間本来(?)の歴史をすぐに目覚めさせる。太平洋戦争、戦場の兵隊はもちろんのこと銃後の市民も、とくに戦争後半は、くだらないことをやってるヒマはなかったろう。

 

ぼくは自分だけ健康になる式の、お手軽なサプリメントを、理解はするが支持も実践もしない。どうも信じられない。なぜかというと、わかりやすさや善良の陰に潜むいびつさは、静かに人をむしばんでゆく、という直感があるもので。ヘルシーなんて、なんも考えてない人が発する戯れ言じゃないか。「健康のためなら死んでもいい」なんてジョークがあるけど、このおかしさは、こうした心理を皮肉にうまく言い当てたものだと思う。

 

食との向かい方で理想に思う態度は、仕事やなにかに集中してて、ふと空腹に気付いた時、ファーストフードやインスタント食品を10分ほどでガっついて、また仕事に戻る、というものだ。ジャンクフードは時代の産物、つまり人の営為の現れなのだから、むしろそいつにどっぷり漬かりたい。漬かりながら、健康を意識しない健康、健康そのものがそっちのけな態度、目的のためだけにまっすぐわき見もしない姿勢を堅持したい。この身体ひとつが自分にいま、備わってればいいという、ある種ぶっきらぼうな姿勢が、明日をはぐくむ、と思う。

 

長距離運転をしてると眠くはなるが、案外腹は空かない。それは体を動かしてないという理由もあろうが、目の前に集中しながら頭の中ではいろいろ考えてたりして、自分そのものが運動体になっているからだ。車なんて人にとっては道具に過ぎないが、こういう役立て方もあるのだ。

 

運動するんじゃなく、自分が運動そのものになる、という現象。逆説的だがこの実践が長生きのいちばんの方策だね。空腹の概念がなくなるまで自分を希薄化していく、これが古来からの飢餓への知恵じゃないかな。栄養なんて、口に入ればなんでもいいよ。自分の身体は自動的に自分のもの、などと思いあがってると、身体に復讐されるね。

 

<了>