国(死刑制度)もカルト教団も、オフィシャルな戦争もパーソナルな殺人事件も、内実は全部おんなじ。人が絡んでる以上、問題とやらに段階も局面もない。なぜなら根は隅から隅までおんなじだから。
その根とはなにか?それは傍若無人さである。ある傍若無人さが、別の傍若無人さを滅した。それが今日のできごとだ。
一方で、死刑判決も刑執行も、わたし自らが行ったり作ったりしたのでないから、尻馬にのって安直に騒ぐわけにはいかない。騒いだらそれはまた、別の形態の傍若無人さを、うっかり発現してしまうこととなる。
それが新たな不幸の起点となる。
この全体の円環図に気づいたとき、したがって、暗澹となる。死刑の執行に冷淡に他人事でコメントするのはこのSNS時代において簡単なことだ。だがそのカンタンな態度が次なる新たな抑圧を生む。わたしとて、こうしてその円環の中に取り込まれて終了と相成る。
関連する拙ブログ記事「全員加害者社会。」
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