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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



無駄を省くという「ムダ」

「みなさん、よく考えてください。毎回○×をやっててそれに3秒かかるとして、またそれを1日に何回もやってるとした場合、年間で計算すると○×分ものムダじゃないですか。これでは貴重な時間をどぶに捨てるようなもの。その悪癖をやめ空き時間を生みだし、自分にしかできないことに、その分注力しましょう!」

 

こういうたわごとを、したり顔で述べる輩が後を絶たなくて、ハタ迷惑極まりない。時間を累積の算数次元に落とし込め、それで損か得かなんてやってると、自分の本分を見失うことになる。「ムダだから」なんだというのだ。ひとはみな、「ムダ」の落とし子ではないか。考えるおまえはムダそのものである。

 

いまは、流れつづける瞬間連続のピンポイントである。前の瞬間は、次の瞬間の母胎であり、連続という現象は必然である。生命に、無駄は過程はなにもない。ムダの概念すらない。人は自分一人で生まれてきて、ひとりで育ったのでないのと同じである。

 

無駄を省く、か。人は有史以来、だれしもムダ省きに懸命だった。現代だけそうなのではなかった。しかしそうやって爪の垢に火をともすがごとき思いで貯めたその「貴重な時間」で、人は本当に価値ある何かを生みだせた試しはない。そのかわり生みだしてきたのは、せいぜい賃労働への従事やカネ儲け、出世や殺人くらいである。ムダつぶしはプチプチつぶしに似て、ヒマつぶしに伍たる自由への没入。むしろ、不随への跳躍。

 

自由か。本物の自由は不自由の中にあるに決まってる。自由を定義づけるのは不自由だし、本当の自由は、自由など考えたこともない境地に存する。無為無策の中に本当の自由がある。

 

<了>