お金に困ったら読むブログ

みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



【書評】「悪魔とのおしゃべり」 さとうみつろう ~「忘れようとしても、おぼえてないから、忘れられないのだ」ー 天才バカボンのパパ

 「悪魔とのおしゃべり」 by さとうみつろう from サンマーク出版
 
 
「忘れようとしても、おぼえてないから、忘れられないのだ」ー 天才バカボンのパパ
 
かの有名な「悪魔の辞典」に似た書名。悪魔を語る書物はすべてそうであるが、自分でEvilを名乗るものはそれだけで知的であるが故に、内容はすべて正しい。
本書の中身すら疑えと読者に訴える点には、読み手への信頼さえうかがえる。
この本に書かれていることは、あんまりよそでは読めないが全部当たり前のことである。けだし当然のこととして、世に流通してほしいことばかりである。

錯覚のために生きる倒錯、それをもってして倒錯を制す、そうしたそもそも論が多いのがいい。
根源にさかのぼった思惟の跡がみられ、科学宗教哲学と考察の範囲も広いが、それらはあくまで素材としてのみ利用し、本分は自分の違和感力に求めている点も正しい。
よそよそしくない当事者意識がある点を高く評価する。

「人間スーツ」から「世はすべて幻想」に至るあたりは、香ばしい文面も多く、科学などぜんぶ大錯誤だと思ってる(た)私に、量子力学や素粒子物理学の、哲学に近いゾーンを紹介もしてくれた。

「わたしは宇宙の座標にすぎない」など金言も多く、個的に分断された世界観と価値観と幻想が、ついには人を疎外するという、いいところに気づいた本である。

筆者の他の本もブログも講演会も、私は一切触れたことが無いが、傾聴に値するホンモノである。

本書で言ってるのは、人間は普遍の出先機関だということだ。
すべてのひとに人類の来歴が詰まっていてハナから勝利者だということだ。
それはこの本で言えば「真のブランコ乗り」だ。通俗的にいえば全員が神である。

修辞のウマさが光る。悪魔の問いの立て方が秀逸である。加えて構成が読ませることに徹している。
小説のような起伏もあるし、このあたり本文にも言及があるが筆者の講演会の成果なのではないだろうか。

でも論旨にはひとつだけ難点。この本には「あなた」がいないyouがない。
自分の周りの誤解を解いてあげる視点がほぼ9割だが、言うまでもなくそうした人生指南書などクソくらえなんである(この本は違うが)

Youは(深読みすれば)「One」という包括概念で言われてはいる。I&Youがひとまとめになった形で。
「体験」への言及は中途であるのだが、実はその先がある。I&Iの先がある。コミュニケーションだ。
そこら辺は次回作あたりに持ち越されるのではないかな。巻末(「デビる仲間を増やせ」)にそれらしき予感も漂うし、何といっても、大切なことはそんなにありはしないのだし。

ちなみにこの本は対談形式を模しているが、対談とは一人称に鏡を設置することだから、すべての文は対談でなくても対談である。内なる自分との会話がメディアの本体である。
本書での対話者は悪魔だけでない。話者の娘や息子、大学教授などを招来して、時間も立場も繰り延べながら論を進めてて上手だ。登場人物間での展開もあるし。
 
架空の上位者を設定して対談形式にするのは、書きやすいのでわたしもこのブログでたまにやる ~裁判官縄文人(!)、悪魔(!!)~

何が書きやすいのかというと、啓蒙だ。説教だ。誘導だ。イヤミがあったりトゲトゲしいことほど、仮設の人格にゆだねることで劇薬を飲み下しやすくできるのだ。

ただしこの手法は注意がいる。エア人物の仮設が照れ隠しの免罪符にならないよう、細心の注意が必要なんだ。長編であればあるほどそう。
本書はシリアスさをオブラートに包んで照れ隠しするその一歩手前で、なんとか踏みとどまってるが、それでも第9章「この世は、勘違い合戦」は予定調和なビジネス書になりかかってる。つまり世俗的な蛇足に少し染まってる。
自分の文が自分を「裏切っていく」その断層が少ない。だから読後感は淡白。
「楽しむ」なんてわりとライトな言葉も、あんまり詰めないまま全編で使ってしまっている。寓話形式の限界だろうか。

(ちなみにこの「楽しむ」は、私なりに言えば「飽きる」ことと理解している)

性善説の本である。罵倒や見下し、否定は少ししか出てこないし、出ててもギャグめいたおちゃらけで塗りつぶされてもいる。その分安心して読めるが、同時に上に書いたように淡白だ。

本書評のタイトルにバカボンパパの「忘れようとしても、おぼえてないから、忘れられないのだ」という名ギャグを持ってきたが、ここで再度マンガを引き合いに出せば、この本は「AKIRA」や「エヴァンゲリオン」である。ひとつは全体であり、宇宙にはその原理しかない。

世にはびこる目くらましで全体が見えなくなってるのは、円満な死にとってはむしろ回収面で幸いである。

立場も思想もない!あるのは煩悩とその取りまきだけである。
違いを見つめるのでない、同じポイントをみてゆくのだ。

気分や感情は捨てねば始まらないという私の誤解をやや緩めてくれた、この点も本書の私的功績だ。
外で石にコケてつまづくのにもセカイを観取する。「これでいいのだ」
<了>