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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



お盆のまんなかで、愛を語る

「地球の中心で、愛をさけぶ」なんて、激薄の水増しウイスキーみたいなベストセラーがあったが、ひどい話である。なぜなら自分中心のああいう発想が間違いであって、それが自己疎外の元凶だからだ。あそこで主張される「世界の中心はどこだって自分なんだ、自分を信じることこそが大事なんだ」という甘~い、そしてある意味耳タコなスローガンは、実はゴーマンさの隠れ蓑である。ベストセラーだけあって論理的な誘導が巧妙だが、そこにだまされてはいけない。

 

世界の中心=自分ではない。自分が世界そのものなのである。みんなその点のみにおいて平等なのである。世界とは、ずいぶん漠然とした言い方だがこれだけは断言できる。つまり世界とは地図になったり、天体として観察できるもんじゃない。会社の延長でも国家体制でもなく、ニュースのネタになったりするものでない。世界とは言ってみれば空気、そして関係性の平野だ。つまり、目に見えないものだ。だから自分と他人はおんなじ、世界の出先機関なのだ。愛を言うなら愛はそこにしか生じない。それ以外の、いわゆる「愛」はエゴの妥協と、孤独からの逃避である。

 

また、叫ぶのは愛を認めてほしいためじゃなくて、愛を偽った自分をアピールしたいから、要はかまってほしくて叫ぶのである。ないものにカタチを与えて視認したいから、わめいたり泣いたるしてじたばたするのである。

 

いまはお盆期間だが、あっち(彼岸)とこっち(現世)を分けるのも間違いだ。墓参りはあっちもこっちもつながってるんだってことを確認する儀式だと、捉えなおそう。

 

<了>