お金に困ったら読むブログ

みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



税金が高いと思ったら読む話

帝政時代のロシアには「ひげ税」という名の税金があったという。それは17~18世紀の大昔ですら、国際社会では時代遅れの風習に後退してたアゴヒゲが、往時のロシアでは個人(男)の威厳を保つため奨励されていた、と。その国内風習をダサいと感じた皇帝ピョートル1世が、国際トレンドに倣ってヒゲを禁じ、なおかつ罰則手段として税金を設定したという。

 

これを過去の珍妙な税制だと笑うのはたやすい。世界の歴史にはほかにも、細かく見れば山ほどのトンデモ税があっただろう。だが、いまの日本の税金制度は、果たしてこのヒゲ税を笑えるほどごリッパな合理性を備えてるだろうか。

 

自動車税、法人税、ガソリン税、酒税…洋の東西を問わず税金にはナントカ税といった名目が必要ということになっているが、そもそもにおいてこれは変な話ではないだろうか。税金が必要なら細かい分類など無用であって、ただ社会運営のための必要経費として税金を個人において請求し、粛々と徴収していればよい。形態だけの表現をすれば人頭税への1本化だ。そうしないと税金のダブルカウント、トリプル徴収などが起きやすく、整合性が取りにくいという弊害もある。そのかわり収支決算的に使途は明瞭に開示する、と。その方がスッキリするし、税金にまつわるもろもろの手続きが廃されることによる、いわゆる経済的恩恵も大きい。詳しく計算したりしないが、その恩恵の大きさは、個別のなんとか税をひとつ丸ごと廃止してもおつりがくるくらいの規模であるはずだ。

 

またそれ以前に、為政者側は税金額の前提やコンセプトをしっかりさせることも、忘れてはならない。つまり、今後10年くらいに渡って、国家はこういう運営を目指すから、そこから逆算するとこれくらいかかるから、あなたの税金は今年これこれだ、と。それが筋であって、それこそが本来の税務だ。マルサとか査察とか、そんなくだらんもんは要らんよ。

 

逆に当初の計画よりも早くいい社会が実現できたから、今年は免税減税するよ、という年があってもいい。ただたんにある部分を減税してそこだけハッピーになっても、他の場所に課税のしわ寄せがいくだけだったら、およそ知性の所作とは思えない。

 

ではなぜこうした本筋が実施できずに、あるいはやらずに、現代ではこまごまと税金は細分化されてるのか?それは為政者が、生活のあらゆる局面で毎日、いや毎時間ごとに税を奪って、しかもそのトータル性を人々に知らしめたくないからである。また、税務にまつわる雇用を確保したいからである。租税など取れるだけ取ってしまえばこっちのもん、という焼き畑農業的無計画性が、仕事の粗さになって表れているのである。課税の細分化は、課税の丁寧さとは全然関係ないことが分かる事例である。いや、はっきりと全然逆だ。

 

消費に課税を伴わせる、なんてぇのは税金の存在をことさらに希薄化し、なんとかドサクサに紛れて個人の財布からかすめ取ったれ的な、ぼくらの生活に真綿をかけて首を絞めるようなことである。課税の大元から最終の支出まで、過程を全部はっきりさせていくのがホントの公共事業なんじゃないんか。

 

いま遺贈なる制度に注目が集まってるというが、生きてるうちはみんな非課税で、死んだら財産資産は税金として、後世のため公正に、全部没収くらいの強権制度がいいのではないかな、なんて思ったりして。どうせ日々真綿で首絞められてるなら、自覚的な方で死ぬのもいいい。

 

<了>