流行のアイテムを着こなすことと、おしゃれに装うことは違う
仕事と作業は違う
まじめさと真剣さは違う
値段と価値は違う
感動話と泣かせる話は違う
性格と魂は違う
性欲と快楽は同じことの両端
老人と幼児は同じことの両端
主観と客観は同じことの両端
おもしろいとつまらないは、同じことの両端
どちら側からものを見るか、という位相の話
データの収集と陳列は単なる情報(information)なのだから、それだけでは何の益もない。世にいう勉強や学習は、ここまでのレベルのものが圧倒的に多い。それをインテリジェンス(intelligence)という、ひとつ上をゆく次元まで昇華できるかどうかは、情報の咀嚼力、すなわちデータと向き合うにあたっての、確固一貫した哲学を持てるか否かによる。
本当にスマートで先鋭的な仕事、それはいわゆる第一次産業などの根源的なものがそうである。現場は泥臭くて汗くさいが、そこで大事なのは、スマートで先鋭的なのはその仕事自体じゃなく、「何に対して」「何に向かって」スマートなのか、先鋭的なのか、という提起だから。農業を始め第一次産業(「産業」とはいかにも不遜な表現だな)の専従者の目指すは、ある「摂理」に対する素直で謙虚、熱心でひたむきな態度だ。
したがって、いかにも都市型の、最先端のイメージのあるIT業界人は、業界に従事してるだけだったらスマートでも先鋭的でもない。そういうタイプの、スマートでインテリジェントたらんとする方向性は、「自分に対して」であるから見かけだけである。
明日をはぐくむ仕事は、いましかできない。そして人間にしか取り組めない。本質と差異を日々検分していけばいずれ何かに昇華・結晶できる。さすれば見えてくるものがあるだろう。
<了>