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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



ライバルも効率も考えない、というスタンス。

zasshi.news.yahoo.co.jp

*「私見ですが、私は『競合を見てはいけない』と思っています」だそう。仕事に関する久々に実のある見解が感じられる記事だった。

 

ライバルも効率も考えない、というスタンス。

 

能率の悪さを改善する、そこを目指すのが仕事の本体だっていう「錯覚」がある。みんなうまくやりたくて仕方がないようだ。確かにそれはあって試行錯誤だって大切だ。しかし、トライして向上できる作業効率などというものは、じつは大したものではないという視点もまた、必要だ。それは自動車工場で極限まで上げた生産性が次に、雇用調整や勤務時間の短縮、果ては解雇を生み出すようなものである。その効率化は何を目指してるものなのかが問われてないと、自分の首を自分で絞める結果となる。失業で済んでるうちはまだマシやね。

 

真の効率化が目指すべきは、自分のなりわいが今の、みんなが生きてるこのヴァイタルな社会の中で、どういう文脈を持つのかを考えて、そのなかで絶えず自分の仕事をリセットしたり位置付けることである。すると、苦しいときにも必ず活路が見えてくる。繰り返すが、必ず、見えてくる。これが巷間よく言われる「ユーザー本位の視点」ってものの、本当の正体だからだ。言うまでもないが、すべては変化してゆく。ただ前人の方法の、無考察な引継ぎではなく、そこに自分なりのものを加えていくことが推進だ。そういう思考の中で、まだ形になってないものを目指すのが仕事の本来だってのが、最近分かってきた。半世紀前のカップラーメンやチキンラーメンの「発明」は、食の時間の扱われ方が家庭内で変わってきたことを肌で捉え、そこに「即席」という概念で対応する商品具現であり、当時も今も、その概念が有効でかつ、味も支持されてるから、超ロングヒット食品なのである。他の、それ以降のインスタント食品は、その真のオリジナルの亜流やアレンジ、はたまたバリエーション違いに過ぎない。

 

だから「効率化」は、そのロングヒットに至る分節点や手段の一つであろう。本当に大事な仕事に対しては、能率などという「のんき」で「すました」尺度は相いれないものである。例:情熱、愛情、生死、誕生etc

 

冒頭に掲げた記事は、ペットボトルのお茶ひとつとっても、その思想が息づいてることの指摘だ。記者の文がまたいい。以下に引用する。

 

出版業界の真のライバルは、電車通勤・通学時間や夜寝る前の時間を奪っていった「スマホのゲームや動画」なのではないか?

トヨタ自動車のライバルは、日産ではなく、自動運転車プロジェクトを急ピッチで進めるGoogleなのではないか?

 

このスタンスで考えるクセが、やがてあたらしい分野を切り開くほとんど唯一の道に思える。すべての仕事は発明であるべきだ。どこを向いてるのか分からない、だれに向かってるのかもわからない、そんな空虚な作業でなく、周囲をしっかり咀嚼しきった、あなたなりの今がそのまま詰まってて、かつみんなの役に立つ、そんないい仕事を残したいものだ。少しでも前進した結実でありたいものだ。その点でこの記事は、たいへんいい刺激になった。

 

<了>