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ビートルズの「A day in the life」という曲に寄せる雑感(永遠と日常と虚無の3点セットを、あなたにお届け)

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*ザ・ビートルズの8枚目のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)
 
 

ビートルズの「A day in the life」という曲に寄せる雑感

 

芸術や表現に込められた意味を知ってるか。

 

それはキミをして「普遍」の入り口に立たせることだ。有限の生を「永遠さ」に統合するための助走路になることだ。

優れた表現の前では人は単なる触媒、受容体に「堕ちる」し、最後に自分は溶けちゃう。空虚になる。つまり対象にピンときたら、人はたちまちそれそのものになっちまう。

 

このレベルの表現はレア中のレアであって、めったに出会えない。だからこそ出会ったら、逃さず受け止めなくてはならない。逆にこのタイプ未満の表現はキミにとって全然意味はない。そんなのがたとえ掃いて捨てるほどあっても、量は全然必要ないし関係もない。で、その「未満」の方が、世のほとんどを占めてるわけだけど、量でゴマかされるのはもう卒業。はてなブログとかそうだろ?

 

表現に対しては心や涙で感動したり楽しんじゃう状態が圧倒的に多いけど、これはピン!とくる「同化」のほんの序章で、さいしょに起きる生理現象に過ぎない。感情で処理できてるうちは終着点じゃないわけ。鑑賞なんて余興の態度よ。「普遍」とか「永遠」ゾーンに入っちゃったら、魂から感情は抜けて無垢になるんだから。衝撃を受けて動けなくなるんだから。

 

表現の中でも特に音楽、とりわけロックやEDMは、その「同化」をもっとも成し遂げやすい特権的手段だ。リズムや旋律が強調されてるから、音と人が一体化する手がかり(耳がかり?)がつかみやすいし、即効性も抜群。繰り返しに耐え麻薬性も期待できるし、対象が音だけなので演奏者からすれば純正さや緊密さの構築も比較的容易だ。しかも音楽を生み出す手法も、音を聴く再生手続きも、世にあふれててほぼ誰でも参加できる。

 

そう音楽くらい時間も空間も初めから超えてる「用意された媒介」なんて、そうそうほかにない。スゴイ!

 

だけどね、音楽のこうした驚愕特性に自覚的な音って、実はほとんどない。だいたい恋愛とかクソッタレといった気分の再確認や、風景的詠嘆の曲ばかり。音で通じ合うこのとんでもない奇跡に対して、眠たい自閉症のものばかり。だから世の中ピン!と来ないのばっかなんだ。

 

そんな中、いつなんどき聴いても永遠と虚無を感じ取れる、個人的にオンリーワンの「トリップ」ソングがある。ザ・ビートルズの「A Day in the Life」だ。1967年リリースのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」ラストに収録されている曲。

 

これぞ極め付き。曲の途中とラストに、オーケストラが鳴門の渦のような、地獄と天国の両方が押し寄せるような旋律で盛り上げ、ピアノのトーンで締める構成なのだけど、この、特にラスト部分のピアノの余韻音が「終わらない」のだ。レコードだと、プレーヤーがオートプレイモード(盤の終わりにくると自動的にレコード針が上がる仕組み)であっても、針がいつまでも盤上にとどまってるループ状態になり(少なくとも僕の買った盤はそうだった)、実際の曲は終焉してもラストノートの周波数がずっと鳴ってるような錯覚にとらわれる。オーディオの前から離れても、音は耳にこびりついて離れない。やがてこれが生活の基底音のようになってしまう。幻聴じゃなくマジで音と一体化する人間になる。

 

あれはポール・マッカートニーがお遊びでくっつけたパートらしいんだけど、手が込んでる上に、ものすごい音の呪縛効果がある。

 

しかもこの曲、歌詞が日常風景の描写なんだ。新聞でこんなの読んだよっていう何気ない内容で、ジョン・レノンとポールが変わりばんこにヴォーカルを取るんだけど、どちらも歌唱スタイルがナチュラルで気負いがない。裸の彼らを垣間見せる。リズムもスキップするような感じで、人間の快活な生のリズムから逸脱しない。そこにさっき言った鳴門の渦のようなオーケストラパートが、モンスターのように切り込んでくる。つまりこれ、曲全体が「永遠ってのは、日常のすぐそばにある」で、「終わってしまえば雲みたく流れ消えちゃうもの」という偉大な指摘なんだ。

 

永遠性のサウンド表現と、永遠はぼくらからかけ離れた存在じゃないという指摘。そしてその終焉まで見届ける態度。こうした畏怖を5分のうち3つも含んだ曲は、この「A Day in the Life」以外、寡聞にして知らない。

 

(しかもこのアルバムは全体的にも冒頭のエレキギターのオブリからして、他のLPでは味わえないマガマガしさにあふれてる。どんなダーティーでラウドなヘヴィメタバンドでも、こんなビリッとした痺れるひずみ音をかつて記録したことはない。そのくらいギラギラしたムキ出しの異様な響き。あれは啓示に近い音)

 

オーケストラ部分だけでなく、歌詞、歌唱スタイル、リズム、エレキギターのトーンその他すべてでオーディエンスに自己溶解をうながすアルバム。インド音楽みたいな借り物スタイルも含んでるし、言われてるほどトータルアルバムじゃないけど、音楽で成功するって、こういうことじゃないのか。表現使命をまっとうすることだ。本当の仕事の結晶だ。

 

こういう音に洗礼されちまうと、世の中はスカスカなのがバレバレだ。ちょっと脱線してみようか。

 

合理性がなんだ、コスト高だから何だ、効率重視ってなんのことだ。

 

結果を出す?生き残る?自分なりの強み?スキル?キャリア?バリュー?いったいなにを言ってるのかさっぱりだ!

 

みんなの魂をそろって底上げすることが、自分も救われる唯一の道なんじゃないのか。

 

キミが執着するものは自分程度なのか。悔いのない幸せな人生、おもしろい体験いっぱい、自分さえ良ければ…って発想なのか。そんなの誰かにとっての「天国」が、ほかのだれかにとっては「地獄」であるのを看過する、チョーお手軽で無慈悲な発想じゃないか。それがいまのぼくらが社会が世界が、醜悪であることの、昔からずーっと続いてるたったひとつの原因じゃないか。そのヤラしさに、ギマンに、キミは気付かないで済むのか。言わないで済むのか。

 

だったらもう、goodbye 狂える world.

 

キミが今、生存してることの普遍性と隔てられたものなど、この世界にない。ぜんぶつながってる。ありとあらゆる思想、営為、表現、幸福、労働、科学、犯罪等々は、生命と無縁のものなぞ、人の世にひとつもありはしない。当事者律100%のこの世界では、AIだろうがVRだろうがIoTだろうがSNSだろうがクラウドだろうが、自分が不在ならぜんぶ虚空に念押しするようなものだ。どこまでいっても本質たり得ないオモチャだ。そこらへんに無自覚に、かつそのオモチャと本気で戯れることは、虹の向こうを探すような所業だ。

 

おーい響いてるかー。勝ち負けなどないし格差もない、そもそも人に器なんてないんだぞー。オギャーと生まれたときから一切は宇宙から許されているんだぞー。ビートルズのエレキノイズは、そのオギャーそのもの。実存の入り口。そこじゃ敗者の苦みも勝者の栄光も紙一重。その立場で君がたゆまず精一杯キミ自身であれば、まぶしくってだれも文句なんていわないさ。

 

音楽はそこを裂くし、そこで咲くし、そこで鳴るし、そこに成るんだよ。「A Day in the Life」が鳴っているのは、50年前からそんな地平。知らなかったではすまされないよ、こんなに音楽に囲まれた現代なのに。

 

<了>

 

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