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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



毒見社会の到来。


Culture Club - Church Of The Poison Mind

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*カルチャークラブの初期ヒット曲「ポイズン・マインド」…毒つながりで。

 

水清ければ魚棲まず

 

いつものように唐突&暴論だが、人には、いや生命には、個体を維持するため「毒」が必要である。といってもいわゆる「カラダにいいもの」を摂取するのが前提条件ではあるのだが、しかし一方で、ある程度の毒素こそが、生命を大幅に進捗させるという確信を、筆者なんぞは持つのである。むしろ「いいもの」だけでは命は虚弱であり、人の性質はいびつになる。これはちょうど挫折や失敗、叱咤や反面教師の教えこそが、人生における飛躍経験になるのと同じである。

 

poison、venom、一口に毒といっても3種類ある。そのひとつは致死量の設定があるタイプの真の毒。たとえばフグの毒や水銀、青酸カリなどのマジヤバもんであるが、本稿は残り2種類の毒についてである。それは片方は善玉、もう片方は悪玉の毒である。

 

(「毒の善玉や悪玉」などとは、おかしな表現に思われるかもしれないが、この論旨だとそういう言い方になるのである。甘受して読み進められたい)

 

善玉の毒とは、人が大昔から付き合ってきた素朴な必要悪だ。卑近な例だと素朴な形での飲酒や葉巻、魚のハラワタや動物のキモやカビや腐った(発酵)ものを、ニガくてもマズくても食す行為、行動だと迂回や夢想、恥っかき言動などである。マイ論理世界では、「毒」の組成はオーガニックであればあるほど、また、その行為が無意味であればあるほど、善性の毒を適量摂取することは生命にとって非常に有益である。「良薬は口に苦し」。

 

いっぽう悪玉の毒とは、経済の恣意的要請に応え、おもに科学的手段で後から生成されたもので、たとえば人工甘味料や食品保存料、人工着色料みたいなものである(それらは最近あんまり名前を聞かないが、現代でも形を変えてはびこっている)。それ以外の悪性の毒は、無形の例だと宗教なんかもそうであるし、ブラックな社会ストレス(会社での陰険な人間関係や、情け容赦のない雇用実態や貧困、時間に追いまくられること)などもそうである。このタイプの毒をいいかえるならば、テメーのことしか考えてない態度の結晶した鬼っ子、もひとついいかえれば人にとってはよそよそしい「他者」である。こいつが、毒の種類の中でもいちばんタチが悪い。

 

いまの世間はご存知のように毒性はすべて排除し、きれいきれいに隅々まで消毒し、場合によってはヒステリックなまでに良性で満たそうとするのが是とされているのであるが、これはほぼ視覚上のキレイさだけ追求したうわべだけの納得であり、その裏にしっかりこびりついてる不潔からは目をそむける行為にスリ変わる。実に怠惰で幼稚、かつまた、真の「純潔」とはほど遠い対応と言わざるを得ない。

 

先に述べたように毒は毒でも善玉の毒の方は人生に必要である。なんとなれば、人がそもそも毒だからだ。人はみな、フィジカル面ではぐちょぐちょの体液のダーティーさの中から、排泄物まみれで産まれてきて防疫や代謝の能力をはぐくみ、またマインド面では自分の内部にダークサイド、不幸なる毒性の種を抱え、日々こちらも育んでみたり、対立してみたり克服したりしている。この点に謙虚にも気づいてる人を賢明と呼ぶのだ。

 

また、毒なら見境なくすべてを、即時に、抹殺し駆逐せんとするその現代のヒステリー自体が(悪性の方の)毒特性に酷似している。繰り返すが人は毒だ。人は微量ではあるが一定量の(善玉の)毒を抱え、それを自生成したり外部から取り込んででも生きている。むしろそうした「毒性」こそが、生を照らす。毒に向き合い毒を吟味し、毒の性質によって応対を変える、それが生命の多様性と底力だろう。

 

ごリッパな菜食主義と禁煙徹底が、そして「汚れなき」古典音楽を「純粋に」鑑賞する態度が何を生んだか。ヒットラーである。自らの内なる毒性度合に対する見極めの粗さが、外部に敵を設定することを容易に助長し、「穢(けが)れた」ユダヤ人を排斥し、単なる肉片として次々と殺処分するホロコースト感性を育てた。

 

スポーツに過度にのめりこむこと(過剰な筋トレなど)や、サプリメントで食事を済ます合理性などは、筆者の独断だと推奨できない行為だ。悪性の毒を培養する土壌は、いつもポジティブさや利便性の合間に潜んでいる。

 

世間のいう「正しさ」はたいていニセモノだから無批判に従ってると、病気になるよ。ガン患者の増加に拍車がかかったのは、コンビニと健康志向が世に蔓延したのと軌を一にしておる。水清ければ魚棲まず。憎まれっ子、世にはばかる。遠慮せんと自分の違和感に対峙し毒づきたまえ。ぼくなんかも後先考えずにやってきたけど生きてるよ。

 

<了>