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お金に困ったら読むブログ

みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



規範とは、いったいなんなのだ。

 

正直者は損をする~情報「解禁」とは何か

 

情報に関しインターネット時代になっても続いてる誤解のひとつが、情報とは本質的に拡散してしまうものなのに、解禁日という閉鎖的権威の線を引くことが今でもある、って点だ。昔から噂ばなしは、かん口令を引けば引くほど漏れるし広がるものである。

 

情報解禁の発想は、商品の売買でいえば発売日の設定に似てるだろう。

 

たとえば13年ほど前までぼくは音楽CDの流通会社に勤めていたのだが、就職当時に違和感があったのは、CDやレコード、DVDの新譜に設定されてる発売日(水曜日がほとんど)は、実際には1日遅れである、ということだ。つまり火曜の午後にでも店に行けば、その明日発売のはずの新譜は売ってるのだ(その会社に入るまでぼくはその慣行を知らなかった)

 

ご存知の方も多いが改めて述べると、音楽流通業界では正式発売日の前日に、商品はショップに入荷している。しかもその前日時点で販売してOKなのだ。これは業界の不文律である。

 

この不文律は、同じく発売日が設定されている他業界を考えるにつけ、異端である。例えば書籍業界。月刊誌や書籍などは店も発売日を守る。これが常識である。フライング販売に対するペナルティがあるのかどうかは知らないが、とにかく本屋はみんな発売日を守っている。当たり前だ。有名無実を前提とした制度など、茶番という別の名で呼ばれるべきである。

 

(なお月刊誌などで号数が、発売月より2ヶ月先になってるのは、発売日のゴマカシとは違う。いわば夏の盛りに秋冬ものが並びはじめる衣料店のような「先取り」なので、ここに罪はない)

 

CDやDVDの発売日フライングは、オリコンチャートへの反映や配送事情などといった業界側の構造上の都合はあるにせよ、律儀に発売日を待ってるお客さんを半ば公然と裏切る行為である。潤沢に在庫があるCDならまだいいが(いやホントはよくはないのだが)、音楽ビジネスでは例えば人気アーティストになればなるほど業界を挙げ、初回限定版で初動購入を促す商法が採用されるのが一般的であって、そうやって購買欲をアオる一方で発売日を1日欺くかのような行為は、限られたお小遣いを握り締めた、音楽ファンの多い10代の子供たちの心に、小さな猜疑心といびつな他人出し抜きの要領を植えつけるものだ。事前に予約するという手もあるが、お客さんからすれば発売日の扱いが元からアンフェアなんだから、それが予約への正当な動機付けに用いられるのは釈然としないだろう。

 

なぜCDやレコードは発売日が一日だけとはいえ、有名無実化したか?その経緯はよくわからないが、まぁ容易に想像がつく。たぶんレコードが商品流通として力を持ち始めた初期の時代は、ほかの業界と同様に発売日遵守だったのだろう。それでいて規律正しい日本人のことである、メーカーは発売前日にはキチンと店に納品していたのだろう。

 

しかしある日、大人気グループのアルバムをフライング販売してしまった店が現われ、しかもその店は、そ知らぬ顔でフライング販売を続けたのである。そうなるとほかの店は大損害である。

 

今と違ってレコードが大人気だった時代のこと。発売日遵守に法的拘束力はなく、違反店に対し他の正規販売店が抗議してもそいつは聞く耳を持たず、販売有力店なのでレコード会社も仲裁や制裁に動かず、状況はラチが明きそうもない。第一こうして手をこまねいてる間にも、そのライバル店では人気レコードが飛ぶように売れていく・・・と。ふと自店の倉庫を見ると、同じレコードは当然ウチにも入荷してるではないか、これは売ったって文句を言われる筋合いはないはずだ…

 

こうしてあっという間に、全国でなし崩し的に発売日の前日販売が定着してしまったというわけである。

 

つまり発売日前日にモノが届くことの意味を自店の利益のためと勝手に拡大解釈した店は、ルール以前に自分の矜持で販売を抑制することができなかった。そしてそれが「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式に付和雷同的に全国拡散した。そのため建前が崩壊し、正直者(お客さん)がバカを見る構図だけが残ったのである。

 

たかが音楽ソフトの発売日の話であるが、みなが看過する小さな問題にこそ、大きな目くらましが潜んでいるものだ。この発売日フライング発祥の話などは、筆者の憶測にすぎないが、これは日本社会を象徴するようないつもの手ではないか。表面的にはスパッと白黒つけたがるくせに、手法は常に顔色伺いの及び腰的グレーさに支配され、従って方針は常に玉虫色。例外をアンフェアーの観点から追求したり撲滅したりという気骨ある根性は、常に少ないというヤツだ。

 

以上のように、ぼくらはよく本音と建前などというがその建前は形骸化しやすい。いや形骸化を織り込み済みとすら言える。形骸化とはなにかというと、理想の現実負けであるが、それはさっき書いたように一部のものの都合のいい拡大解釈がトリガーになっている(ことが多い)。良かれと思って、公平さが失われないように機会均等の制度確立にいそしんでも、ズルするやつは必ず出現する。で、そいつ一人で全体は崩れる。

 

規範とは、いったいなんなのだ。そう思わざるを得ない。

 

<了>