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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



夏カゼの治し方

不覚にも夏風邪をひいてしまった。

 

猛暑の続く先日、たまたま雨の日があり、気温はやや低くなり水不足にも恩恵となり、それはまさに恵みの雨ともいうべきものだった。だが雨が上がったあと、かわりに置き土産のように襲来したのはジトッとした湿気であった。まだかなり残る暑気とブレンドされたそれは、室内でついうたた寝してたぼくの背中に、じっとりと変な汗をかかせたのだった。

 

暑いなら暑いままに暮らす方がかえっていいのが人の健康だが、えてしてこういう空気の変化が体に変調をもたらすものだ。「今日は気温が低いから」と、クーラーを切り窓も開放していたのが、またよくなかった。

 

ぶるっときた。背中の汗が悪寒を呼ぶ。すぐにTシャツを替えたが遅かった。案の定夕方になるころにはセキ(それも重いヤツ)がとまらず、体はややダルく、微熱もありそうな感じ。何とかかんとか食事を済ませ、風呂にも入らず早めに床に就いた。だがこの不調は、そう簡単には退散してくれなかった。

 

翌日の朝も症状は同じである。しかたがないので今日は仕事せず、治療に専念すると決めた。早めの対処が肝心である。

 

体調不良といえばすぐ病院という人がいる。幸いにして大病の経験のないぼくはというと、病院に行って診てもらうのはよほどの場合でないとしない。飲み薬をもらって服用しても、効いたためしがない。カゼや微熱くらいだと、人によっては病院で点滴を打ってもらうことで回復を早める場合もあるみたいだが、そうやっていわば「不自然に」治すのは、体のどこかに歪みが出そうで、まだ打ってもらったことはない。そういったわけで、ぼくは自分の治癒力で出来る限り治す方針だ。この選択が使えるのは健康であるからであり、たいへんありがたいことだ。

 

さて、カゼDay2。朝からへヴィーなセキがひどく、つらい。喉も痛いので、まずうがい薬でうがいしてノドスプレーまでする。夕べから着用してた下着を替え、顔と体を蒸しタオルで拭き、おかゆや梅干をいただく。塩分も少し摂る。

 

さて治療開始である。といっても寝るだけだが。

 

まずお湯を、飲めるような状態にして寝床に用意する。こまめに水分補給をして、いい汗をかくためである。水ではなくお湯にしたのはなんとなくであって、大した意味はない。それよりも肝心だと思うのは、風邪(発熱)の治療は汗への取り組みだ、というぼくの考えである。悪い汗で崩した体調を良い汗で駆逐するのが、カゼへの対処の基本である。そうすることで熱も平熱に戻り、リンパの流れみたいなのも正常になり、その結果としてくしゃみやセキ、鼻水などのシグナル的諸症状は緩和改善されていくのである。

 

こういうのが治癒の本来的順番というもので、市販薬などはそのシグナル症状の「部分」に対処するものに過ぎない。「部分」に効いた「結果」判断を基礎に、いろんなその他の考慮を経て定石の治療や、定番の薬になる。これがいわゆる対処療法の完成過程ではないだろうか。この「部分」のオフィシャル版・集合版が内科の病院ということになろう。これはけなしてるのではない。人の体など未だミステリーばっかりなのだから、今までも、おそらくこれからも、結局医療(特に西洋医学)は「部分」からアプローチして「結果」を積み重ねていくしかないであろう、という理解である。

 

ただやはり部分への対処は、本道の治療(人間の免疫、抵抗力、生存本能)にくらべると脆弱である。自分で治すのはその王道に100%頼る行為である。つまり、自分が治すという思い上がりではなく、自分の所属してるボディの健康回復力にすがらせていただく、ということである。

 

さて肺も破れんばかりにゲホゲホしてる、病2日目午前の僕であったが、夏なのでタオルケット1枚に、サナギのようにくるまって横に臥す。クーラーは入れず、窓は開けただけ。ちなみに今日は昨日の雨とは違ってよく晴れた真夏日になった。セミがうるさい。しばらくするとわざわざ窓近くまで寄ってきてミンミンしやがる。ハトなどもそうであるが至近距離における動物や昆虫の、あの生命力の全放出のような、ねぶるようなウルサさはちよっと比類がない。いま、その渦中に僕はいる。

 

しばらくするとセミはどこかにいった。ホッとした。

 

セミの声以外はヒマなので本でも読みたくなるが、我慢する。肩を出したりするとあっというまに冷えてしまうからだ。タオルケットの中で蒸し風呂状態になって発汗することが大事なので、たとえ足首のようなパーツでも、外に出して冷却しようなどとしてはならない。全身でこの熱さとじっくり対峙することが、自分の風邪としっかり向き合うことになるのだ。

 

サッカー用語で言えば「耐える時間帯」とでもいおうか。突破口がみつかるまで、辛抱強く待つのである。

 

さて午前中はうつらうつらしただけで熟睡には至らずであった。セミのせいだ。したがって大して汗もかけなかった。悪寒はさらにひどくなり、セキも大きく深くなり、心なしかフラフラするようになってしまった。これもセミのせいだ。

 

人体というものは湯治などにおけるいわゆる好転反応のように、治療してるつもりでも最初からはうまくいかない、いやむしろ、いっけんかえって悪化してるようになるものらしい。つまり何かする過程にかならずフェイントや後退が仕組まれてる。このあたりは病気も人生も同じである。ニクイねと思うしかない。

 

軽い昼食を摂って水を飲んでうがいして、気合を入れて再び床に向かう。念のため冷水で絞ったタオルも額に載せて、頭寒足熱の簡易版である。明日には朝から活動できないといけない、今日中になんとかしなければ。もし明日も不調ならあれしてこれしてあれは人に頼まなきゃ、でもそれならその前にあれを段取りこれを指示出しして…などと余計なことを床で考える。

 

こうした余計なことが治癒への集中を妨げるのだ。

 

焦れば焦るほどなかなか寝付けない、そんな耳をあざわらうかのように午後のセミは、いよいよやかましく、短い夏を謳歌するのであった。

 

結果午後2時から4時までの2時間、かなり寝られた。起きると汗が全身から噴出しており、Tシャツはビッチャビチャ、タオルケットも汗吸い重く、寝床も湿っていて驚いた。思わずラブホの清掃スタッフの苦労に想いを馳せてしまった。

 

しかし、明らかに気分が良くなっている。良い汗を媒介にして、体内でデトックスが正常に行われたという、しっかりした実感が残る。男が交尾をするとき、それほどは運動してないのに発汗量や発熱量が妙に多いのはなぜだろうと思っていたが、こういうことかと思い至る。つまり、排泄には意外にエナジーが要る、ということだ。またしてもラブホの清掃員に(以下略)

 

さて割りとすっきりした自分。もう早くも峠は越えた感覚である。濡れたものはすべて取り替え、濡らしたタオルで汗を拭く。これが清拭っていうんですね。

 

こうした中で思ったのは、風邪退治には汗も大事だが、睡眠とセットになって恐らくはじめて、悪い汗を追い出し体温を冷ます真価が発揮されるのだ、という経験である。意識を眠らせておかないと「あたしこのまま死ぬんじゃないか」とか、魔女の宅急便のように小さい自己が余計なことを考え出したりする。それがジャマして体内の自浄作用がすすめられない。だから、睡眠でいったんどいてもらう。自浄が済めば意識に対して起きてもいいよとサインを出す。このように人にとって無意識野とは、自意識なんかよりはるかに広大で宇宙サイズなんである。

 

また体温が上がると体感はホットにならず、逆に寒気がするというこの人体メカニズム。これに関しては医学的説明はあるみたいだが、この逆説の中にある「背景」にこそ、生態の命の端緒がぜったいあるはずなんだ。しろうとの偉そうな考えに過ぎないが、医学がどんな段階であれ単なる対処療法を越えはじめるのは、この「背景」の前に謙虚であることがスタートだろうと思う。

 

…と、こんな余計なことが考えられるほど、僕は回復した。ぶり返さないようにだけ気をつけて(例えば入浴のあと、油断しないでしっかり体や髪を乾かす、とか)、ぐっすり眠った。もうセミもどっかにいったみたいだ。

 

ぼくの夏風邪退治は、こうして終わった。思えばセミと1日中会話してたみたいなものだったな。

 

<了>