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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



「知らんホトケより、しっとる鬼の方がマシじゃげの」(by 菅原文太)…「仁義なき戦い」の名セリフから学ぶ人生訓。

 

無自覚な偽善は、自覚的な偽悪よりタチが悪い。

 

こういう話↓が2ch掲示板に挙がっていて、自分の知り合いにも同じような人がいて身に覚えがあったし考えさせられた。長いけど、全文引用してみる。

 

その神経がわからん!その21

135名無しさん@おーぷん :2016/06/11(土)23:04:49 ID:wP4 ×
高校時代に世話になった先生が、定年退職後にカフェを開いた
もともと人権意識が高くて障害者福祉や動物愛護に関する活動をしていた人でなおかつ芸術に関してもかなりの教養がある
カフェもそういった分野に関わる人たちの憩いの場になればという趣旨のもの
ただお店の構想を見たときに、それ以外の一般人には敷居が高く感じられるだろうなと思われるものだった

いざ開業してみると、やはり一般のお客さんには入りづらい感じになった
おかげで駅近なのに、平日は閑古鳥が鳴いている
レビューサイトにも「居心地が悪い」と書き込まれることがあった

高校OBや現役生はなるべく足を運ぶようにしたけど、平日は皆仕事や学校があるのでどうしても土日にしか行けない
しかもその高校は県外に進学する子が多かったので、次第にOBたちも来なくなった
現役生は試験勉強で忙しいし、先生の教師時代を知らないので、そこまで義理立てする気持ちにもならなかったようで、やはり足が遠のいた

そのうち「お客さんが少ない」「赤字がつらい」と先生がFacebookに投稿するようになった
見かねたOB(飲食経営に詳しい人)が、一見さんでも入りやすいお店作りをアドバイスしたが結局先生は最初の方向性を手放せず、そのOBとも喧嘩別れしてしまった
136名無しさん@おーぷん :2016/06/11(土)23:05:14 ID:wP4 ×
その先生はもともと反自民・反原発のナチュラル志向だったんだがお店の経営がきつくなるのと同時期から、その傾向がどんどん表に出てきた
Facebookの投稿もそういう記事のシェアが増えた(しかも人工地震とか陰謀論とか眉唾物ばかり)

私は遠方の大学に進学し、原子力関係の仕事(非原発)についたんだけどそれも先生は気に入らなかったらしく、たびたび辞めて地元に戻ってくるように言われてた
その後、病気が原因で退職したら大喜びされたので、個人的にはその頃から先生が嫌いになっていたけど、その病気も原子力のせいにされたので、大喧嘩をして縁切りした

それ以降はなんとなく同級生から風の噂を聞くくらいだったのだが結局、そのまま大赤字を抱えて閉店してしまったらしい
先生のFacebookを久しぶりにのぞいてみたら、それも「安倍政権のせい」って書いてあった

教師時代はとてもいい先生で、病気で休みがちだった私をとても熱心にフォローしてくれて評判のいい病院を探して紹介してくれたくらい、いい人だった
どこでどうなったんだろうと思うと、切ないなぁ・・・

なんて思っていたら、つい先日、先生から友人経由でメールが届いた
「今のお仕事(出版関係)は順調ですか。今度手記を書こうと思うので、あなたの会社で出版してもらえない?」とあった
あんだけ大喧嘩したくせに・・・と思ったが、当時の恩を思って久しぶりに会う約束をして原稿を見せてもらったら、自分のカフェ経営を振り返る内容だった
でも自分の失敗は全部「自民党のせい」となっていたのでだめだこりゃとがっくりきた

http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1465140047/ 

 

さて上の引用にあるとおり、人権意識が高く、障害者福祉や動物愛護、慈善事業やボランティア活動などに、張り切って精を出してる「いい人」が確かにいる。そんな人の中にこそ、イマドキはネットでの陰謀説やいわゆるネトウヨ言説などのマユツバ系に絡めとられやすい人がいて、じっさいぼくの周囲にも2~3人いる。

 

いいひとなのに不思議だ…という印象を持つが、それは違うだろうな。自分の中身がなく、他者の正義感にもたれかかって慈善事業にいそしんで来た、そういうタイプの「いいひと」ほど、別軸の価値観にも染まりやすいのだ。上の引用での「先生」の今後は、新興宗教などにハマってケツの毛までむしり取られるパターンではないかと。

 

これは完全に私見だが、自分の内発的善意から発した善行は、相手のニーズを見つめた上で対応したものと違い、えてして前のめりで独りよがりのものに陥る可能性が高い。突き詰めた個は、全体視野を獲得するものであるが、そこまでいってない個は害悪になるのだ。

 

自分の外側にある存在に対して浅い親切を施すことなど、ニセの愛である。ホントの愛とは、そう簡単に親切を与えないことだ。自尊心やニセの親切心から有意なものが生み出された事など人類史上一度もないのであって、本当に役立つものは文学でも音楽でも、自分をカラにするとか限界までダメ出しするとか、自分を木っ端微塵に破壊するとかのパフォーマンスから、つむぎ出されるのである。

 

どんなに性格がよくても、情緒的で生ぬるい対応しかできない人とばかり付き合っていては共に沈没してしまう。それより性格が悪くても正鵠を射た指摘や、辛口の戒めをキメてくれるひとに影響されよう。

 

もっというと、自分がそういう「冷酷さ」を身に着けていこう。無自覚な偽善より、自覚的な偽悪を目指せ。

 

「知らんホトケより、しっとる鬼の方がマシじゃげの」ということだ(「仁義なき戦い 代理戦争」より)(1973年)

<了>