読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

お金に困ったら読むブログ

みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



しっかり謝らないのは一生の恥。

間違い電話ひとつとっても、しっかりした謝罪の形がある。

 

このあいだ、仕事でまちがい電話をかけてしまった。

 

ケータイ番号を以前メモしていた人に対し、数日たってからその時のメモを見て電話したのだが、かけた電話に出たのは別人であった。

 

ああいうとき、知らない人から電話が来たってことで、相手も電話口の向こうで警戒および緊張してる様子が、声や雰囲気でありありとわかるもんですね。人の感覚ってスゴイ。

 

いや感覚の話はどうでもよくて、電話の話ですが、こちらからかけた電話なので、当然ながらこちらから名乗るワケでして。


ぼく「もしもしあの~わたくし石王と申します。宮城県の業者でございますが…」
相手「…はい」

 

打っても響かない会話。この相手の様子。なんだかざわざわする…(あっ間違って電話したんだ)と気づいたぼく。

 

ぼく「あの、もしかして○○さまでいらっしゃいますでしょうか?」
相手「違います」

この時点で「すいません」「申し訳ない」とお詫びして、あわてて電話を切りそうになったがそこをグッとこらえたのがぼくの偉さだ(相手にとっては単に迷惑なヤツである笑)
ぼくはなおも会話を続ける。

 

ぼく「それは申し訳ございませんでした。それでは電話番号の確認をさせていただきます。(メモを読み上げ)090-○×○×-△△○○ではございませんか?」
相手「それ、ぼくの番号です」
ぼく「そうですか、それでは私が根本から完全に間違えておりますね。大変申し訳ございませんでした」(←なんかエラそうですなw)
相手「…はい…あの…なんかすみません…」(←この最後の消え入るような言葉も、この方に失礼だけど面白かった笑)
ぼく「それでは、失礼いたします」

 

こうやって電話を切ったのだった。

 

ちなみに正しい相手にはいまだに電話できてない。
社会人失格である。そこは分かってるんだ笑。

 

************

 

さてこの会話でぼくは「申し訳ない」と二回言ってるが、一度目のと二度目のそれは意味が違う。

 

一度目の申し訳ないはジャブ(シャブじゃないよ)であり直情の感情露出であり、それは反射神経のようなものである。
そしてそれだけで謝罪を終えてしまったとしたら、それは安易な逃げの姿勢である。
二度目の申し訳ないが、理性の面からいっても、本当の謝罪であろう。


しっかり詫び切るためには、当事者が原因と結果の因果関係を、しっかり把握・認識することが大事だが、その過程を経て、できれば相手にもその過程を開示・共有して、初めて人は心の底から詫びることができる。そうなれば相手だって謝罪を認めてくれる可能性が高いと思う。
その上で再び同じ事態が起きないように、抜本的な対策にも話をつなげていけたらいい。

 

上の間違い電話の例だって、番号自体が間違ってるのか、電話操作で間違ったのか、どの段階で間違いを犯したのかを、相手にもつきあってもらいながら検証しないと、結局はもっと大きな迷惑を、何度もかけるかもしれない。

 

ぼくが最初にドジったのがすべての発端であるのは明白であるが、それでもそのあとの検証をしないと、間違いをしっかり引き受けられない。

 

覚悟するとか、責任を取るなんて世間ではよく言われるけれど、それは過ちそのものや謝罪という行為に臆しない、へこまない、そんな態度が出発点なのではないだろうか。

 

日々のニュースでは偽装とか詐欺まがいの行為とか軽率な行為とか世間をお騒がせしたかどで、いろんな人が頭を下げている。昔からそうだ。

 

だけどそのほとんどはここでいう1度目のジャブとしての謝罪であって、しっかり検証と総括を済ませた後の、ホントの謝罪はどのくらいあるのだろうか。

 

程度の差はあれ、人はどうせ人に迷惑をかけて生きていかねばならない。

 

だったら、しっかりとあやまる訓練だって必要だ。

 

ずいぶん当たり前のこと書いてるようだけど、あやまる時のホントの心構えって、意外と言われてないような気がする。しくじり先生ってのが人気らしいけど、その人気は、間違えること、失敗することだけでなく、謝罪や反省まで含めた話が共感を得てるんだね。

 

しかしま、とりかえしのつかないレベルの間違いだけは、起こさないでいこうお互いに笑
(いま話題の元野球選手の話じゃないよ…将来のしくじり先生の大ゲスト決定だけれども)

 

追記:英語にはイディオムとして、謝罪をまず受け止める際に遣う専用表現がある。例えば"point taken”や”apology accepted"などだ。英語は、ぼくは必ずしも全肯定できない言語だけれど、これはフェアーで明るく、人間関係を円滑に照らす、いい表現だと思う。日本語だとこの表現に相当するものは「分かりました」などになってしまうが、これだと相手の謝罪を初めから受け止め損なってる感じがしてならない。

 

<了>