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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



【実録】スマホ欠席裁判 ~なにがひとを追い詰めるのか~

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いま、裁きを待つ。神妙な顔つきのdocomo製被告人たち。

 

<スマホ、はじめて法廷に立つ>


本裁判は、人民に広く普及したスマートフォンの、真の犯罪性に着目し、司法の名において検証を加え、ひいては弾劾するものである。


■第一回公判

<検察側起訴状朗読>
本件はスマートフォン、以下スマホと略すモバイルデバイスの持つ公害性、非顕在的な暴力性に関する提議である。
多機能を誇る同種の端末であるが、とりわけ撮影ツールとしての機能に、指摘の焦点を絞って審議を進めるものである。
世間では昨今どこでもいつでもスマホをかざし、あるときは芸能人、またあるときは風景、またあるときは飲食物に、いづれも対象の許可を得ず撮影行為がなされるのが、いつのまにか通常の光景になっているが、その肖像権の侵害が、撮影者側のあたかも正当な権利の行使と自動的にみなされ乱用されている昨今の風潮に、かすかではあるが暴力の萌芽を認め、異義を提示するものである。

<罪名>
おのれの肉眼で見るのみにとどまらず、現代社会では広くSNS拡散の可能性の主因ともなる最初のきっかけたる「撮影」に、静止画動画の形態いかんを問わず、源初の永続性を認め、そこに撮られた方のいやな感じを、ストーカーやリベンジポルノなどが横行する現代社会一般の傾向の中で、いわゆる犯罪性まで拡大解釈せざるを得ない不快感の契機として、問題提起する所存である。

よって罪名は、

一、撮られる方における守秘権利の、撮る側による一方的破棄罪。

以上を提起するものである。


<被告人側意見陳述>
ただいまの起訴状によれば、検察官によるスマホ撮影解釈なるものには大いなるバイアスがかかっているとしか申し上げられません。
いまやスマホは、イチ業界の供給によるインフラの枠を超え、全国民的に必須の携帯装置としての地位を完全に与えられております。
第一ほかならぬ検察官ご自身も、この法廷にいる全員も、私も含めその利便性に浴しているのは、自明すぎて申し上げる必要もございますまい。
それほど広範囲に普及したスマホの、それも代表的な機能のひとつである撮影を、「いやな感じ」などと情緒レベルでいまさら弾劾するなど、笑止千万のきわみとしか申し上げられないのであります。
撮られる側の権利など、当事者同士の良識に任せておけばよろしい。その後の拡散についても同様であります。
検察側の、現実に即した大人の対応を望むものであります。


■第二回公判


<冒頭チン述(検察側)>
被告人側、すなわち弁護人側の先だっての意見陳述はまさしく暴論、スマホの社会的普及をタテにした論理の放棄に他なりません。
撮影には撮影側と、被撮影側の二者が存在し、いうなればこれは撮影側は主体、被撮影側は客体となぞらえることができますが、撮影という行為は、主体による一方的な客体いぢめであります。
その後のSNSでのいわゆる拡散行為も含め、この一方的な犯罪性を本件では問うものであり、弁護人側はそれを不当に矮小化する論理に終始しております。

 

<弁護人>

何が、どこが矮小化なのかを、現実の声で論証するため、ここで証人を喚問いたします。


<弁護人側証人、そのへんにいたギャルA子ちゃん(33)>
だってぇー、おいしい焼肉行ったら、友達と撮りたいじゃないっスかー!
けんぽーには人は自由だって書いてあるっけよ。
肖像権とかむつかしいことは分かんないけど、とにかく楽しければいいんじゃね?
ここにいる陰気なオヤジたちだって、同じっしょ?


<引き続き弁護人陳述>
かように無邪気な理由が世間でのスマホ撮影動機のほぼ100%を占めていると断言してよろしい。
したがって本件そのものが茶番であるとしか申し上げられない、以上。


<検察側>
証人にお尋ねする。あなたが焼肉を友人と食したときの楽しさ、うれしさ、おいしさは、撮影によって補強、増幅されたのか否か。また、スマホによる記録にかかった数秒で、何か大事なものが見逃されてしまった、失われてしまったと感じたことはないのですか?

 

<ギャルA子(33)>

は?なにいってんのこのオヤジ、キメーんですけど、ウケルしwww


<弁護人>
裁判長!検察官による個人の嗜好および思想への介入は、うんちゃら法の第ほにゃらら項第二条に基づき、権力による検閲とみなされ固く禁じられておる通りであります。
この子が自分の撮影の動機をここまで厳しく追及されるいわれはないのであります。
第一この子はまだ33歳のOLちゃんであり、世間の本質たるディープな部分は何にもわかっちゃいないのであります!いまどきのアラサーはこんな程度なのです。

さて検察官氏に尋ねたい。貴官の本当に意図する対象は何か?


スマホというデバイスの是非でも、撮影アプリの存在意義でもないことは明白である。
撮影という行為自体も、フィルム時代というずっと以前から存在していた行為であり、SNSでの拡散行為も、規模は違えど、今世紀に入ってからは見受けられる行為であり、個人レベルでいえば、さほど問題になっていないような戯れレベルである。
せいぜいがいわゆる炎上や、バカッターによる一時的な暇人のアクセス集中に、その影響範囲は収まっている。

「撮られる方における守秘権利の、撮る側による一方的破棄罪」とのことであるが、対物であろうと対人であろうと、世間のすべての対象は見る見られるの相関の中にあり、見られること、注目されることは、むしろ栄誉であるというのがテレビ時代以降の大衆コンセンサスである。


誰でも30秒は有名人というのが現代の世界スマホ文明の共通恩恵であり、時代がここまで高度になった以上、素直にそれを享受しておればそれでいいというのが本官の主張である。


<検察官>
裁判長、ただいまの弁護人陳述は、現状追認以上のものではございますまい。
確かにスマホおよびその機能は世間に定着しており、しかも日々アップデートされております。


しかし、肝心なのはデバイス側アプリ側といった客体側の進歩ではない、それを使う主体たる人間の意識の方であり、これは機械が人を疎外しはじめた産業革命以来の、時代を超越した真理であります。


客体の進歩、というよりも変化に、主体の人間の方が引きずられ、いやおうなしに従属させられている。しかもあろうことか対価まで支払わされながら。この現代の構造そのものが、まさに本件の告発の底流をなしており、それは弁護側の言う「時代の高度化」とは真逆の現象なのではありますまいか。


またさらにいえば、主体の人間の方がそれらによってアメ玉よろしく生きる本質すら目くらましされている不毛が、この法廷、いや司法も、いや国家体制すらも実は覆っているのが、かかる大問題の実態なのであります。


■第三回公判


<(検察)論告>
だいたい似たような感じw


<(弁護側)最終弁論>
これまたおなじような展開www


■判決

主文
全国民に告ぐ。日々新しい目くらましの契機となリ得るスマホやタブレットを封印し、動画や静止画の撮影に象徴される記録至上主義を今すぐ生活から排除せよ。


理由
検察側の主張を当法廷は全面的に支持する。ただし、撮られる側の権利に論拠を求めるものではない。肖像権や著作権などは後付けの倫理にすぎない。そうしたものよりも、撮る側の意識の方に、本判決はより根源的な反省を促すものである。

なるほど弁護側の主張のように、人には自己顕示欲がある、また、記録に残せるものなら残したい、そんな未練はいつでもある。スマホはそれを実現するツールである。しかし、だからこそあえて言う。

あとになって動画を見返すなどといった甘い考えを捨て、今を、現場をとりまく空気そのものをまさに己のその五感にしっかりと焼きつけながら、事物を十全に感取する力を取り戻すのが人間本来の活動である。

滅びにいたる門は広いという。すべての物事をヒトゴトに帰してしまい、その結果自分とのかかわりから遠ざける、そんな悪しき客観主義の初源となる犯行現場は、まさにあなたの日々のスマホでの、安直極まりない撮影行動そのものにある。そう看破せよ。


ポータブルデバイスの使用を自らの意思で抑制することが、自己を、他己を、本当に解放する契機となるのである。
そうした思想に自らを至らしめるよう、当法廷は訓告するものである。


カジュアルでお手軽な撮影など、悪しき客観の現出である。現場では上手な撮影やシャッター数などという些細なものに忙殺され多くのものを見逃し、撮ったら撮ったで撮影したこと自体に落着し、安堵を得る。ここでは何か大事なものが置き去りにされ、麻痺させられていると、感じない方がどうかしている。そう指摘せざるを得ない。


いまこのひと時が大切なら、それを一瞬たりとも損なわず味わうことが、あなたの感性にとってなによりも先決であり、人生への本当の関与である。周囲のなにもかもが、一秒たりとて同じ様相ではないのが、われわれを取り巻く世界ではないか。卑近な例でいうと、クルマを運転するときの気構えを思い出すがいい。

 

この世界の只中に生を受けて存在している以上、人はたかが外部記録装置の使用による客観記憶づくりにかかわってる暇などなく、大事な大事な主観育成の契機は、一瞬たりとてスマホの操作ごときに汚染させてはならないのである。


後生大事に取っておくものは記録ではない。生々しい、ライヴの、生の記憶である。人類の歴史は、スマホやデジカメはおろか、写真すらない、そんな記憶オンリー時代の方が未だ圧倒的に長く、かつその時代は少なくとも幸福度では、現代に勝るとも劣らない、いやはっきりと勝っていたはずである。なぜなら今のすべてを観取するチカラと、それに付随する記憶力は、人の根源的な生命の正体だからである。

 

そこに気づかなきゃ、撮った画像の保存場所も思い出せない、撮ったことすら忘れちまった記憶喪失気味の、空っぽの老後が、あなたを待ち受けているだろう。


繰り返す。スマホを封印せよ。とりあえず撮影機能の不使用からはじめ、依存度を下げていきたまえ。撮らないことへの心配など無用である。さすれば現代の種々の苦痛からも、徐々にではあるが解放されよう。解放の度合いは、スマホへの依存度減少と正確に比例する。

 

以上をもって閉廷する。


<後日談>
この司法界の判決は、世間を大いにゆるがし、裁判の本質はさておきスマホ擁護派と反スマホ派の単なる対立と、細々としたガラケー擁護派の争いに矮小化された上で、その程度のレベルで世論は沸騰分裂し、武力闘争にまで発展し日本は停滞。


結果として米アップル社とグーグル社による日本介入と独裁を招き、ついでスマホによるマイナンバー制度の強制執行と、数年後の米グーグル技術によるスマホの人体埋め込みが義務化され、撮影はいつでもOKで即時SNSへのアップロードが可能な代わりに、日本国民は名実ともに、いとも簡単に家畜化してしまったとさ。

 

こうして皮肉にも、家畜の名の元に正規も非正規の格差も、勝ち組負け組みも差別も、すべて解消した現実が到来したんだわ。スマホ様々、めでたしめでたし。

ちゃんちゃん♪

 

<了>