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お金に困ったら読むブログ

みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



本はいっぱい読んでるのに、暮らしはちっとも良くなってない気がする人へ。

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おやつにがんづきをいただく。歯に粘り付くんだコレが。

 

<既存学問の外野にある人間の生>

ベストセラーのビジネス書を、読んでみるときがある。今月も2冊読んだ。それでこう思った。

統計学が最強の学問であり、心理学が人を理解するのに最適の学問であるならば、その2つを勉強してれば、人生それでよい。

仕事で成功したいなら、古今東西のビジネス書、自己啓発書、著名なマーケッターの著作の中から、ベストセラーを選び読んで、その内容を実践すれば、この上なく効率的でよいはずだ。

だが人生がそういうわけにはいかないのはみなさんご承知の通り。なぜか?

それは私見ながらノウハウやパラメーター数値に還元できない、すなわち学問などという小さい範囲(ここではあえて「小さい」と言う)の俎上に上がり得ない、人の微細な、取るに足らないと思われてスルーされがちな感覚こそに、真理めいたものがあるからだ。

今回はこの「感覚」に焦点を絞って、記事を書きはじめてみたい。


<毎日感じてることに何か大事なことが潜んでいる>

歯にオブラート1枚挟まっても感じる、違和感がある。

焼き魚の小骨ひとつ噛んだだけで異物感を検知して、口腔内から排除したいと思う。

水平でないところに立っただけで、その不均衡を感じ取り、コンマ秒レベルで自動的に均衡を保つ姿勢を取ってしまう。しかもその場合、違和感を感じる前にかかる修正は完了してしまうという素早さだ。居合い抜きの達人どころではないその俊敏さ。

「おはようございます」と言い終わらぬうちに、自分で自分の声の変調に気付き、自ら風邪を疑うという自己診断のすばやさ。


体内ではリンパ節という関所が、免疫という抵抗力が、外部から絶えず侵略してくる病原菌を自動的に効率よくブロックし、無毒化するなり排除するなりしてくれている。


スイッチオンオフの必要もなくその機能は24時間常時アクティブであり、人はそこには格別意識を割く必要もなく、健康をかなりの程度維持できる。そのおかげで自己本体は、自分の興味や仕事に、存分にまい進してゆける。


自分の遺伝子情報は、種としての知性のようなものも、個人の性格的知能的なものも、すべて細大漏らさず自分の精液に、卵子に、いつなんどきも絶え間なく、確実に伝達されていて、準備さえ整えばすぐに次世代に伝承できる。
しかもその受精時間は、人生の中でも相当長期間保全されている…


人は生まれた瞬間から老い始めると思うのか?いやそれは変化の旅が始まったと捉えるべきである。
ヒトの生は母の胎内で受精しときから自動的に起動し自己変化をパルスし始め、その後自殺でもしない限りは自分でその歩みを止めることなど一瞬たりとて無い。


これ以上の驚愕すべき現象があるだろうか。これでもイチ個体のホモサピエンスの能力のうち、ホンのわずかな一部を挙げただけなのである。


(いや、本当は地球上のすべての動植物がそうなのだが、ここでは人間の話だけにフォーカスしよう)

 

<人って不思議だ>

人間は表層の意識レベルで変化し続けることはもちろん、無意識レベルにおいても、いや潜在領域だからこそ、様相は高速で変化し続ける。一瞬たりとも停止せず、万華鏡のようにクルクルくるくる変わり続け、しかもそれは動力源不要の、まるで夢の永久機関のようなものなのである。核分裂や太陽エネルギーすら超越するんである。


寝てるときですらその歩みを止めない、この生存の基調メカニズムはいったい何なのか。同じヒトの知見は、今のところその正体のうち、表層を解明するにとどまっている。
科学、医学、人文、物理、AI研究、クローン人間やロボット開発、人工授精、宗教等々の諸分野が、束になっても、その生命活動の本丸は解体されるどころか近づくことすら許されぬ、いやいったんは近づけたと思ってもワケの分からぬ袋小路に逆戻りを余儀なくされるといった、そんな真理の領域なのである。


このように人間の知覚、感覚、生存機能は、まったくすさまじく良好であり、これがほとんどすべての人に生来的に、当たり前に、バランスよく備わっている。
まったく、信じられないような、崇高な存在が、あなたのまわりには普通に息しておしゃべりして、ウンチして、生活してるのである。


ぼくなんかが言うまでもない。あなたは、この宇宙上であなたしかいないかけがえのない存在であり、他者もその点において、まったく等価値の存在であって、「自分というもの」は、人類の頭数の分だけ、もう有史以来数え切れないほどたくさん存在してきている。

 

人にしかない、このような偉大な内実を、部分的にではあってもしっかり認識し、仕事なり生業なり他者への貢献なり表現活動なりに十全に活かし続けるのが、ぼくの思うに人の生きる営為というものであり、そしてその営為のほんの一部の発露が、このブログのテーマである「ホントの仕事」への指向なんである。


この基本的な部分を、バスに乗るときも、外を歩くときも、コンビにで買い物するときも子供と遊ぶときも、なにをする際にも態度認識とし、ゆめ忘れてはならない。


あえて俗な言い方をすれば、自分が「自分教」の教祖であり、広報担当であり、書記長であり、同時にまた熱心な信者である。他人も然りである。


こうした超包括的な視点を、あなたの世界観の中心に据えなければならない。

 

<人生の答えは本屋にもネットにも、少ししか置いてない>


超包括的な視座がないまま生活していくとどうなるか?

以下のようなありがちなお悩みに収斂していくのである。

人生は虚しい
しょせん会社の歯車だ
将来がばくぜんとした不安に包まれている
生きる目的ほしさに、いっそ戦争にでもならないかなどと、愚にもつかぬ発想をしてしまう
自分、これからどうなるんだろう
毎日が惰性の繰り返しでつまらない
年金や将来が心配だからいまお金がほしい
仕事のストレスがつらい
非正規から這い上がりたい
クビにされそうで怖い
いつ上司に怒られるか心配で、心が折れそうになる
すべてが面倒くさい
あいつが気に入らない
給料が上がらない
楽して儲けたい
一発で人生を巻き返せるうまい解決策はないものか
神様にでもすがれば何とかなるだろうか
毎日さびしい
リア充、ポジティブくそくらえ
やりがいがみつからない
なにがしたいのかも分からない
八方ふさがり
自分がわからないから自分探し
あのコかわいい(←これは関係ないかw)

…等々の、外部事情にまつわる悩みが、キミを待ち受けている。全部ここ数年のベストセラー書籍から引いてきた文言であるから、キミの悩みにもどれかは符合しよう。


冒頭に書いたように、本屋に行けば上記の各論に対する処方箋のような本が、自己啓発コーナーに山と積まれている。
しかしその書物はすべて一般論ノウハウが書いてあるだけで、その小さな範疇では役に立つかもしれないが、生きるための包括的技術書としての効果は極小である。


現代の書籍業界は、かなり限られた人数の著述家によって成り立っている。彼らがものごとの表層部分を、表現の位相を変えながら書き続けるため、本は物理的に種類的にたくさん発刊可能なのである。たくさん発行されればたくさん配本されるので、本屋では山と積めるのである。中身に効果なぞほとんどなくても、いやむしろパラパラめくれてスカスカの中身であればあるほど目には優しく、山積みとの相乗効果でむしろ多部数売れるのである。


世のベストセラーはだいたいそういうカラクリである。そして1度読まれればブックオフに売られ、かの棚は過去のベストセラーでパンパンである。

 

ネットはネットで、持論だとカン違いして発信される、単なる一般論が横溢している。これはその大半が意味のないノイズであってしかも、そのノイズに対する別のノイズの応酬で電脳空間(死語だねぇ!)は99.9%構成されている。このことは、もうみなさんおなじみのことである。

 

(このブログを、そんな状況への石つぶてにしようと密かにたくらんでるのは、筆者だけの内緒だw)

 

冗談はともかく、あなたのソウルに直接切り込んでくる健全な、あなたにとって100%ためになる本は、自分で自分に向けて超個別に書くしかないのであって、そんなものは発行してもあなたに対して1部しか売れないのである。だから本屋には永遠に並ばない、そう思うべきだ(ネットなら可能。このブログがそうであるので)

 

 

<ほんとうの害悪はみずからに内側に>


子供はしばしば問う。なぜ人殺しは良くないか、なぜ戦争は悪なのかと。

答えは上に書いた。すなわち人はなんぴとも偉大すぎるほど偉大で、例外は無い。
個々人の世界観に濃淡や軸足の違いなどがあるだけだ。その差異すらも偉大だ。
だから人が人を傷つけたり、いわんや殺したるするのは、その偉大さを、巨大な才能を、奪うもしくは丸ごと抹殺する行為なのでいけないことなのだ。


それは刑罰とか法律とか生存権などといった、後付けの論理が歴史的に確立されるそのはるか以前の段階で、重大な罪なのである。

そしてもっといえば人殺しは「もうひとりの自分、もうひとつの可能性を殺してしまう」ことと同義なのである。


したがって、この理論を敷衍すれば、自分で自分が本来持つ鋭敏さに気づかない、それを育成しない、それを欺いたまま暮らしてゆく、なまくらのままほっぽっておく等の行為は、自分の行為とはいえ怠慢のそしりを免れない点で、これまた悪徳なのである。


"The Sea Refuses No River"   (Pete Townshend)


つらさは、自分の外部に対して感じる種類のことではない。
生きることはツライなどというが、人生はつらいとか楽しいなどといった一面的な評価の埒外にある。折れないように心を強くする方法など、あるわけもない。

ホントの意味でつらいのは、生に鈍感なことと、その鈍感さに向き合わなくても、社会的には済まされてしまうことなのだ。

 

自分の中の鋭敏さを見つめれば、生や存在の答えは分からなくても鈍感さだけは浮かび上がってくる。そこに何か救済のようなものがある。そんな気がするのである。



<了>