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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



政治で脅迫状を出すなら、国会の中の人に。

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<いまそこにある倒錯の現場>

 

冒頭にリンクを張ったこういう記事を読むと、いまの政治体制の怠慢を感じる。増沢諒(食べる政治代表)という人の嘆きの記事だ。SEALDsの奥田愛基さんへ脅迫状問題(なんともくだらないハナシだね)を取り上げつつ、政治活動を続けるこの若者の、政治家になれない現状へのもどかしさが書かれている。

これを読んで思ったことを結論から言うと、いわゆる政治家を志望してないのに、政治家になれて「しまう」のが、いい政治システムだと思う。政治家レールに乗るのにあたふたしたり、あくせくして自分をその定型に押し込めることほど、本当の政治から離れていく行為はない。そして政治家は、就活などして入社するタイプの「職業」ではない。

例えば選挙活動、たとえば支持母体、たとえば活動資金。

こういう政(まつりごと)にとって余計な不純物は、ほとんど最小限に縮小させるか、なくすくらいでないといけない。
そうでないと当選後の議員さんのいわゆる政治活動の7~8割は、そっち方面の維持運営、マネジメントに費やされてしまうことになり、実際に現状はこればっかりなのだが、とうぜんそれは政のスジが違うのであって、政道をゆがめることにしか寄与しない。

議員さんがまばたきひとつなく、視界の隅から隅までバッチシ見つめるべき対象は、そっち方面ではまったくなく、市井の人々の暮らし向きであり、そういった人々の個々の将来であり、ひいては総合的なこの国の行く末やコンセプトである。作家は表面上は編集者や出版社の方を向いて仕事をするが、実際は読者のほうを向かないとホントの仕事にならないのだ。

 

<退却する勇気>

所属政党など、個人議員にとって制度上の帰属先程度の意味まで、後退してしまえばいいのに。

政党政治という、自分たちを取り巻く前提制度を一瞬でも疑ったことのない議員さんに、また疑ったとしても「仕組みだから仕方ないよね」ってすぐに思考にフタをしてしまうようながさつな議員さんに、現状改革なんかできるわけがありまッせぇん。

しかしこの「後退」が部分的にでも実現すると、政治家になるための行動(例えば選挙活動など)に骨身を削らなくて済むので、手段が目的化してしまうこともだいぶ退けられるし、そうなるっていうと、政治資金の問題もおのずと遠ざかっていく。
そして政治活動本体にフォーカスできるし、「政治」っていったい何だろう?「民主主義」のよりよい形って何だろうというような、ぼんやりとした模索をも許容するようになってこれが本当の政治余裕だと思う。

理想論だろうか?違うと思う。逆に今よりもずっとシンプルさを目指してるといってもいい。
物事の核心のみを捉え、そこから一時目を離さない姿勢で、そういうシステムを構築することに懸命さを賭けるんだ。
それは現状ではたぶん政治の「中の人」でないと出来ない。
その「中の人」を突っついて、システム変革する気を起こさせるのが、外堀でいろいろロビー活動するよりも、トロイの木馬みたいにしたたかで有効なのかもしれないと思ってる。

 

だから、脅迫状を出すなら、国会の中の人に。内容は案件レベルじゃなくて、制度の見直しを要求する文面で決まりだ。たとえば、このブログみたいにねw

 

<了>