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お金に困ったら読むブログ

みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



感覚を研ぎ澄ませ。シャープな線を描くには、鉛筆の先を尖らせなければならん。

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夏の終わりに冷やし中華を頂く。

 

<どうしても惹かれてしまう釣り言葉に、ワナがある>

 

「格差社会の中、勝ち組になってみませんか」
「たった7日間で稼げる」
「自分の好きなことしてほったらかし」
「ネットビジネス最新ノウハウ」


世間に対しどんなに怪訝な姿勢を崩さなくとも、こうした形骸化した文字列に心をもっていかれるときがある。

ところがこれがアリ地獄の始まりなのだ。そうは思っててもついふらふらと…

 

<商いの王道は経済用語の外に>

ネットだろうがリアルだろうが、画面の向こうに人がいて、その人ひとりひとりに向けて商いするのは、江戸時代あたりからおんなじ。


手段は時代によって変わるけど、そうした表面上の事象には惑わされず、本質から目をそらさず、やっていきたいものだ。


僕はここ数年はアフィリエイトとネット拡販みたいなことを重点的にやってきた。ネットだと相手の顔がすぐには見えないから、商売する側は普通すぐ「効率」とか「オペレーション」「コンヴァージョン率」みたいなマーケティング用語に走るけど、それはつまづきの第一歩になりうると思う。

ネットの先、つまり目の前には、確実にお客さんが一人居る。ほかの誰でもない、あなたについてきてくれるかもしれない、そんなお客さんだ。


その人にしっかりと向き合い、言葉で説得し、ニーズを満たし財布を開いていただく以外に、人の世でのビジネスは1ミリも始動しない。

成功者といわれる人たちも、必ず最初にそんな瞬間があり、またそうした買い物の集積を必ず経てきている。

そしてこの段階に「効率」とやらの出る幕はないんである。


この一人のお客さんをもトリコに出来ないで、その後の拡販はなく、その過程において必要なのは、時間やコストといったいわゆる「経済用語」で割り切れる要素ではなく、販売側の「熱意」だからだ。

その後、関係する人、ものが多くなった(事業が大きくなる)時に初めてそういう経済用語で説明しなきゃならない段階が来る。

だけど、そういう段階になったって、なお、個々人に向き合う姿勢は依然としてあるし、そこから目をそらさないでいくというその姿勢がまた、次の流れを呼んでくれる。


その循環が、商いの本筋だろう。

そういう王道の方はあんまり見ないで「効率」みたいな言葉だけでふわふわやってるのが、いわゆる「経済ニュース」の大方の中身だと思う。

「一気に仕事をやる」「効率よく作業を進める」「手っ取り早く稼ぐ」という言葉には裏があることが多い。
生きとし人のなすことは、じっくりゆったりとした時間の積み重ねの先にしか成果がない。


本質でない仕事(作業と言い換えてもいいが)はイージーで小手先、トレンドに流されやすく、一方本当の仕事は、骨太で穏健な流れの中にある。

新自由主義と自己責任が日本の常識になってるだなんて、冗談だろ?
みせかけだけのペラッペラな「良識」が、大手を振ってるようにみえるだけじゃないか。本当の魂的なものはじぶんの熱中の中にある。

 

<作業的でないものへの指向性を大事に>

 

「職業に貴賎なし」なんて古い言い回しがある。この意味は世の中の職業はすべて等しく尊いものだから、他人様をその職で毀誉褒貶するのはまかりならんという、建前で一見謙虚な格言だが、ここでいう「貴賎」とは外部からの評価付けなので、本当の仕事とはまた違う軸の中にある。


その意味では例えば女性ならキャバ嬢だってぜんぜんOK。自分の核さえ持ってれば。風俗やAVは…んーアウトロー過ぎて評価不能だなー笑

土日だからっていうだけで自動的に休みモードに入ってしまうような人こそは、搾取される代表格だ。


「父の日」とか「母の日」、そして最近だと「ハロウィン」。こうした新手のイベントに、何の疑いも抱かずホイホイ乗せられたりとかしてるのは、次の搾取に向かって自らの首を差し出してるようなものだ。

また、自分の仕事は時間で切って17時まで。なぜって残業は上司がうるさいから。仕方ないジャン、これが今どきのスマートな時間管理さっていう人も、行動規範が他律的だから、詐欺にあわないよう気をつけよう。

だからといって自発的な姿勢にもレベルがあって、「いつ会社を解雇されもいいように…」みたいな、単に消極的な体勢では、他律的とほとんど変わりがない。

人が本当に、心の底から「関心がある」ことなんて、そういくつもないわけだが、そこに活路があるんであります。


そう考えると会社の仕事は創業者以外のほとんどの人にとっては「作業」であって、自分が、他ならぬ自分自身が「関心があること」とイコールではない。ガーン。当たり前だけどガビーン。

だって多くの人が「仕事ですから…(ニガワライ)」「しょせんサラリーマンですから…(自嘲)」なんて、2015年の今でも言うじゃないか。


仕事だから、サラリーマンだから何なのさ。


言外に「自分の意志でない」「強制されてやっとる」感じを出してどうすんの?傷でも舐め合いたいのだろうか。
現代のあらゆるひずみは、無関心なことに一所懸命、自己暗示をかけてまでやってきてることから出てきてるんだ。

理想論?青臭い思想?違うよね。あなた分かってるハズ。
自分の本当に関心があることを生業にする。ブレずに。ひたむきに。もうこれが人生のテーマじゃんってことを言いたいんだ。


自己啓発ケッコー、人脈の拡大も結構。だけど最終的には本来的な意味で自己本位にならないと。


じぶんが搾取されるだけの存在だなんて、積極的に認めたい人なんかいない。資本家は「社員の幸福のために」なんていうけど、鵜呑みにしたらいかんよな。

間違ってはいけない。そうした個人個人の「本当の仕事」の獲得/生育行為こそが、本当の経済の動きだ。銀行の貸付けだとか、株価の変動とか為替の動きは、その周辺でワタワタやってる瑣末の情報に過ぎない。客観性という皮を被った人畜無害の情報は、テレビのもっとも好む素材だから、取り上げてるに過ぎないと思っていい(例:ペット、スポーツ、お笑い、自然、動物、そして株価と為替の動きなど)

感覚を研ぎ澄ませ。シャープな線を描くには、鉛筆の先を尖らせなければならんのだ。


<了>