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日本の演技メソッドに用がある…怒号、泣き叫びが多すぎる件

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*あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!って、勝手にやってなさい。


<演技・演出メソッドが単調でお粗末>

最近ではテレビはほとんど見なくなったが、わが国のテレビドラマは、役者のシャウトが実にじっつにウルサク、演技もたいへんオーバーで頭が痛くなる。

そう思ったことは、ないだろうか?

朝の連続テレビ小説など、15分の間でけたたましさを感じない回などないのであるからして、相当なものだ。
毎日毎日、キャラクターが驚いたとき、悲しんだとき、興奮の絶頂にいるとき、出演者は、あたり構わずギャーギャーとシャウトしてスクリームする。虫歯の治療跡が見えるくらい、大きく口を開けてる。
物語の舞台が戦前だろうと、現代だろうと、濃淡をつけるわけでもなく毎回おんなじギャースカ演出メソッドが繰り広げられる。

ここ20年くらいの朝ドラは、毎回こんな調子でありまして、製作側は毎回ヤマ場を作ってるつもりなのかもしれないが、見てる方は毎朝うるさくて迷惑である。朝だから余計にけたたましいのかとも思ったが、昼に再放送を見ても、やっぱりかしましい。だからもう断片的にしか見ていない。

テレビドラマだけではない。邦画を見に行っても、役者は男女問わず、耳をつんざくような大声で怒鳴り合い、懸命にワーワーと泣き叫び、これ以上ないほどヒステリックにわめき散らすのだ。

決められた尺の中で、全部怒鳴ってるわけじゃもちろんないけれど、演技面ではうるさかった印象が残るのは僕だけか。
ホラーやアクション大作はモチロン、恋愛ものでもコメディーでも感動巨編でも、みんな同じやり口。
ひとは普段こんなにも泣き叫ぶのかと驚くほど、毎度ギャースカやっている。
うるさくする必然性がある部分以外では、かなり耳障りである。

ドラマチックさの演出かなんかしらないが、こんな平板な演出の元での役者の叫びは、かえって予定調和でありリアルさにも欠けており、観る側のエモーションを損ないシラケを誘うと思うのだが、どうだろうか?
あれでは動物園か、応援団である。それか駄々をこねる幼児か。つまり、いちばん大声を出したものが勝ちなのだ。

僕は46年生きてるが、人前であんなに大声出したことなんて、5回もないんじゃないかな。
事故や火事の時とか震災の時とか、そういう非常用の時しかシャウトを発動したことないよ。


普通みんなそうだよね。


<単純な考えで演技を捉えてるわけ、ないよね?>

製作サイドや役者側は、大きな声で表現すれば、内面の苦しみや葛藤や本気さを表現できるなどと、短絡的に思っているのでは、まさかないよね?

目の玉ひんむいて必死になって、大声出さないと画にならない、なんて思ってないよね?

そんな戯画的な演技メソッドでいいだなんて、思ってないよね。

叫びは、演出上ほんとうに必要な時までむしろ抑制するのが、本当の作劇だよね?

洋画とかアメリカのテレビドラマ、あと映画黄金期の邦画では、演技がウルサイだなんて感じたことはないんだ。

ハリウッド映画だってモチロン怒鳴ってる場面はあるんだけど、よく観てると雄たけびを上げるときは周囲の音レベルも上げてうまく「散らして」るとか、演出上自然な感情の発露として叫んでるとかで、とにかく役者にムリヤリ声を上げさせてる感じはしない。
「アメリカン・スナイパー」みたいな戦争映画でもそうだった。

で、なんで日本の作劇だと、そんなにやかましいのか考えてみたのだけれど、答えは簡単にいうと、それは演技力も演出力もないから、なのでした(毎度偉そうです笑)

いつのころからか日本演技会では、抑制の利いた渋みのある、円熟した態度は脇に押しやられてきて、ついには忘れられつつあるという、いつもの話であります。

これは分かりやすいものしか受け付けなくて、人間観察もピラッピラに薄いという、製作陣の姿勢に由来してるに違いない。そして演技に集中する・させるというよりは、全体の筋運びを破綻させないだとか、プロットに整合性を持たせるだとか、完璧な衣装とメイクで仕立て上げるとか、CGの出来を完璧に仕上げるだとか、スポンサーに超気をつかうだとか、そういう演技以外の周辺要素に配慮配慮でやってきて、役者の演技は一番最後みたいな。

「ここは感情込めるところだから大声出してネ」でチョン、あるいは、「役者の解釈にまかせる」みたいな、いっけん自由なようでいて、単なる委託でおしまい、そんな現場なんじゃないか?

…なんて、内実を知らないで勝手に書いてますが、こちらの現場は自分の頭なんでありますので、勝手に言ってます。自腹切って映画見に行くと、演技付けにイージーな映画作りのそんな風景が、スクリーンから透けて見えるのさ。

 

声量がやかましい映画はたいてい、いったい誰が誰のために作った映画なんだろう?って不思議に思うヤツとか、タイアップというビジネス面がかなり強調されてるようにしかみえない邦画なんだよねw



<演技とは何だろう>

僕の考える演技とは、ひとことでいうと「憑依」であります。
役者による、忘我の境地を通じた、架空人物への魂乗り移り行為なんであります。
自分の思想も経験も人格も、限界まで透明にして、役になりきる。
そのためには自分を裸に出来る。
憑依行為ってのはこうしてみると、人が生きる本質に、実はだいぶ近いと思う。

自分のことを完全に把握できてる人は、有史以来いない。ギリシャ神話なんか読むと、神さまでも、その辺あやしい。


鏡を見れば自分を見られるじゃないかと思うのは間違いで、鏡に映ってるのは自分の形をしてるけれど「本当の自分」ではないし、他人の目に映る自分だとも断定できない。

それはある一面、ある一瞬における、自分的な人間が、見えてるだけにすぎなくて、それも鏡や周囲の空気や、自分の視神経(これが一番信用ならない)など、いくつもの恣意的なフィルターを通してたまたま写っている、人体の模造である。


子供のころ、鏡に映った自分の姿を不思議がった人は多いと思うが、その体験こそが、だいじなだいじな「自分を裸にできる才能」の原点だっただろう。

こういうふうに考えることができる、透明で特別な感性を持つ人にこそ、憑依の才能があり、その技術を先鋭化させていくことで、ひいては優秀な役者になりうると思う。


怒鳴るだけなら誰でも出来るワケで、それが演技の質とニアイコールじゃない。
その証拠に、全編怒号の嵐だった北野武監督の「アウトレイジ」は、緊張感あふれる画面の中で登場人物が怒鳴る必然がキッチリ感じられ、引くところは引く演技のできるキャストのおかげもあって、2作ともちっとも「やかましく」なかった。特に1は傑作だった。

演技人に限らず、たとえば優れたシンガーも憑依体質だし、別世界との交信者でもあるだろう。絵描きもデザイナーも漫画家もフォトグラファーも、無から有を生む人はすべてそうかもしれない。

彼らはイタコであり、受容の器である。対象のある瞬間を切り取るため、自分を打ち捨てて何かが降りてくるのを、言い換えれば何かが自分に憑依してるのを、待つかたぐり寄せるかする、そんなイタコ、器である。

いい俳優は、だから極論すればセリフを間違っても、現場に遅刻してきても、すなわち社会人失格であっても、その場で役に憑依されてしまう、何色であってもとにかく別の人格に染まりさえすればいい。
だからあれってスピリチュアルな商売なんじゃないかな、って思うんだ。


<日本での演技メソッドは、紙よりも軽い>

ところが日本ではギャーと叫べる人が役者として「使える」と見なされてるかのようで、お笑い芸人が、いつの間にやら役者化してたりだとか、ジャニーズのタレントがいともかんたんに(そう見える)ドラマや映画で主演を張る。
女の子アイドルが年齢的に上がった先に女優に転身するっていうのも、昔からのお約束だし、演技業界への間口が異様に広くて、それが芸能界システムにおける「上がり」、セーフティーネットみたいになってる。その割りに、演技が大根すぎて干された話は、ほとんど聞かない。


好意的に解釈すればお笑い芸人は、芸を磨く過程(というか、最近だと磨くのはトークの技術かな)で、「他人になる」訓練を経てるのかもしれないし、ジャニーズは幼いころから演技も含めた芸能英才教育を受けるシステムなんだろうし、アイドル娘も演技の世界に本格参入する前に、それなりに色々やってきたんだろう。

でも、なにか信じられない。ホンモノの演技の才能ってそんな簡単に世の中に転がってるのかな。
特にジャニーズはスターになるみんながみんな、優秀な役者として映画誌「CUT」では高い評価を受けてるみたいだけど、演技ってそんな簡単なものなんかいと信じられない気がする。

で、実際、映画を見ると、やっぱり懸命にギャーギャーわめいてるんだな。目で見て、分かりやすい演技しか標榜しない傾向にあるというか。

 

そういう若い役者たちは、彼らなりに奢りもせず一所懸命に打ち込んでるんだろうけど、演技のそうした方向付けがどうも気に食わなくってさ。それに出演者がバラエティー等で見せる素の姿への親近感、要するに「人気」に頼って、製作側が映画やドラマを作ってるようにも感じられちゃって。


そういう映画・ドラマでは、生え抜きの演技人とかが脇を固めてるから、内実を伴ったしっかりとした演技を見せて、主役とは対照的だったり。

いづれもこれまたよく内幕は分からないけれど、出演するドラマや映画って、芸能界におけるタレント事務所の力とか、スポンサーの勢力とかなんかの「外圧」で決まってるんでしょう、昔から、どうせ。

けれどもね。

かんたんな演技なら一般人の方が上かもよ。演技なんて物心ついてからあなたも僕も、みんなしてるんだから。
カメラの前で同じことやって、場数を踏めば誰でも役者よ。

なんてなwww

とにかくギャアギャアわめくのは、やめてちょうだい。勝負するのはホンモノの演技力であって、声量ではない。

 

これは例によって、お国のためでありますぞ笑

 

(了)

 

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