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お金に困ったら読むブログ

みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



政党政治と民主主義。武藤貴也クン問題における、このふたつの整合性はどこに?

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焼き餃子にはビールだなぁ(本文とは関係ありません)

 

<政党という制度と国民を立てる主義。このふたつの整合性はどこに?>


未公開株をめぐる金銭トラブルで自民党を自主離党した、武藤貴也衆院議員という35歳の青二才が話題だ。


人を利己的呼ばわりする例のツイートで話題の端緒を開いておき、次にそれこそ利己的なゼニカネごときに色気を見せたのがバレ、泡食って追及の場から逃げ出したという、子供には見せられない醜態を晒した坊ちゃんである。



その一連の詳しい経緯とかは知らない。知らないがどうせまたこの手の話だということで、唾棄していいレベル確定。
首相は「説明責任を」とか眠たいこと言ってるけど、言い訳だったらいらないから自分の言葉で自分を総括してみたまえ。



「武藤は辞めた、なぜだ!」「坊やだからさ」なんてな。



あと今までの給料はノシつけて返すんだぜ。忘れんなよ。どうせ大した仕事してないんだし、自主返納は認められてるようだから。



そういや党は違うけど、いい気になって夜遊びして大事な国会休んだ「浪速のエリカ様」上西小百合なんてのもいたなぁ。あれは今年の4月の話題だったなぁ。



格好のネタというか、ばかばかしいまでに見事なオチを付けてくれる奴が、永田町には目立つわ。狙ってんのかっていうほどだ。

国会の定員数って衆議院475人、参議院242人、合計717人と、なかなかの企業並みの人数なのに、これじゃあ不純物が多すぎて、国政の場って人としてダメなのの集積なんじゃね?なんて思うんだぜ。
これじゃあ戦争なんてできっこないわ安心したww
いや、むしろ戦争するって決めたんなら真っ先に現場に行っていただきましょうwwwお国のためですゾ。

 

<僕たちのほうがどんだけエライか>

しかしこういう話題になるといつも気になるのはこういう問題を起こしたやつらのその後。何ヶ月か経ってほとぼりが冷めたあと、どうやって暮らしてるのか、ずっと気になってるんだけど。だってメチャメチャ高給取りなんだから国会議員って(後述)。給料泥棒みたいに後ろ指さされても文句は言えない場合もあるぜよ。

泥棒…そんな汚名を顔に塗ったまま、おめおめと一生重い十字架を背負って…ってそんなワケはなく、どうせその辺でぬけぬけとよろしくやってんだろう、薬でつかまった芸能人のその後のように。

そんなのにくらべたら僕たちが生活立脚してる世界の方が、よっぽど誇れる、規律と民意の世界だよね。

こんな一覧表もありまして↓

戦後国会議員の辞職・失職


どうせ議員辞める・辞めさせられるなら、もっとマシな理由で、どうぞご勝手に。

さてさて、漫才以下の話はこのへんでお開きとしまして、本題に。


<事はとうぜん国政の場に限らない>

議員というものはそれが県議会であれ、国会であれ、所属の場の規模に関係なく、国民や住民に属している代理人だ。

センセー方よ、この意識をゆめ忘れてはならぬぞ。

くだらなさ過ぎる不祥事が国会周辺で時々起きたり、隠しごとをごまかし正当化するため会見で号泣するやつなんかが湧いて出るのは、議員は代理人制度にすぎないという「見限り」が、議員さんの中でボヤケやすいからだ。


これを助長してるのが議員は特定政党に所属してないとほとんど何もできないという閉じた制度であり、かつ議場、特に国会は、たいていは市井の人がうろちょろなんかできない、いわば象牙の塔みたいなものだからなのではないか。

 

(話は脱線するがそもそも国会議員とは、第一義に誰に従属している存在なのだろう。個人としての議員には「所属政党」と「選挙民(いわゆる地元といってもいい)」(これもなんかおかしくて、広く普遍的な国民っていうのが正しいんだけど)という帰属系統が二つあって、その2項は何となく同一視されてるけど、とうぜん違うよね。色々難しい解釈がありそうなんだけど、そのどっちに正統性があるのかな。つまり簡単にいうと何かの意見がその2系統で分かれたら、その議員はどっちに付くのかな。そしてその議員の考えが、また別のところにあった場合、その自主性の落とし前は、どこに付けるのかな…脱線終わり)


政治家だけでなく官僚も公僕だし、市役所の役人からおまわりさんに至るまで、公務員なのだ公僕なのだ、本来は。

今の議員は(今だけじゃなくずっとそうだが)、党内の上司の方を向いて日々こちょこちょ活動してるだけの矮小な存在だということを、今回の武藤ちゃんの件で再認識させられた(させられたくないんだが)。どうせ裏で圧力かけて辞めさせたんだから、トカゲの尻尾切り。

で、公務員のくせに議員とは、いろんな既得利権が立場上、自動的に付与されるみたいで、特に国政の場におけるセンセイ稼業は、いちどやったらやめられまへんなーってなところだろう、いまだに。

いま、人類の歴史上たまたま自分が、たまたま現代の、たまたま日本で、それも選挙などという対立候補の質にも、人口分布にも左右されるようなノイズの多い恣意性の高い制度によって、たまさか選らばれて、政(まつりごと)に参加させて頂いているが、いづれは任期が終了したら市井の人間に戻るだけ。次の人にバトンを渡さねばならない。

 

…という謙虚さを、職務規定あたりに明文化されてなくても、常に心に湛えていないと、「ホントの仕事」なんてできないんじゃないかな。



<あたりまえに行なってることを疑うのが、議員の仕事の始まり(議員だけじゃないけど)>


議員・政治家って世襲が多いのも含め自分たちに激甘だよね。政治の世界に入る前から、そういう資質のが集まるようになってるし、政界に入ってさらに勘違いさせる構図もちゃんと(?)準備されてる。そんな構図、許可した覚えないんですけどw

政界向きな人間ってのは、一般的に言ってエリートさんなんだろうけど、エリートって、与えられた路線の中では最高のパフォーマンスを発揮できるよう、躾(しつけ)の行き届いた人種のことだもんね。こう書くとホメ言葉みたいだけど実はまるで逆で、発想に振幅の少ないこういうエリートさんは、杓子定規な分だけいったんモラルが外れると、抑制なく勘違いしていったり、ハジけたりしちゃう。


上に挙げた武藤貴也クンなんか、そういう感じの典型じゃないかな。経歴見ると、外の多様な世界もあんまり知らないみたいだし、純粋培養系の人物なのかな。

当選以降は挨拶もろくにせず、野心だけは強くて政治信条は朝令暮改型。思い上がった言動も見受けられ、遅刻も多いなど、周囲のコメントは芳しくないものばっかり。ずいぶん格下の人間性が偲ばれる。


エリートさんは発想に振幅が少ないって書いたけど、そういう柔軟性に乏しい硬直化した資質のままだと、旧帝国陸軍の将兵とか、ふた昔前くらいまでの企業戦士みたいで、現代だと弊害が多くて。


政(まつりごと)は本来、いろんな柔軟性の中でクリエイティブにすすめていく仕事なんではないのかな。



議員は誰でも新人の時に研修会があって、みんな部屋に閉じ込めて授業スタイルでお勉強させる制度がある。講義内容はよく分からないけど、まあ想像はつく。だけどこれがまずよくない。


素直なエリートさんたちだから、研修会、勉強会と聞けば無条件にすぐ、ためになることだと思っちゃうだろうけど、そこからボタンの掛け違いが始まるんですぜ。


研修なんて会社でも何でも、新人の瑞々しい感性を、ムリヤリ枠にハメちゃう儀式みたいなもんなんだから。


受けなきゃならないことになってるんだろうから、そういう場ではルール的なことをふんふんと聞いてればいいだろう。

大人なんだから大事なのは、議員研修に向かうお利口さんな姿勢なんかより、本人に普通の人の感覚が残ってるうちに、つまり政界や業界に染まらないうちに、まずは自分も含めた周囲にフレッシュに接することの方だろう。

「あれ何だろう」とか「こんなもの、必要なんだろうか?」とか、「どうしてそういう過程でなきゃダメなのかな?」など、当たり前に存在するものに目を向け、違和感があったら先輩議員にどんどん質問して困らせたらいい。


その時点では「自分の目=国民の目」である可能性が高いのだから。


会社員でも何でも、新人なら同じことだよね。
その瑞々しい観点の連続、シロート同然の目線は、時としてベテランのウンチクを凌駕することがままあって、決して封印したり飲み込んではならない。
企業が毎年新人を、莫大な経費をかけて雇うのは、こうしたフレッシュさを含めた多様性が、何年にも渡る何よりもの財産だって分かってるからじゃない(あとは人員自然減とのバランスと)。

ということで議員の仕事の始まりは、永田町や県議会で日々、当然のこととして行なわれてることの数々に、疑念の目を向けるものであろう。製造業とかじゃないんだから、定量的な作業なんかに時間を割く必要はあんまりなさそうだし、その分、アイディアマンを目指せばいいんじゃないかな。

イマジネーションとプロデュース能力で自分のテーマを見定めて、政治スタイルのあらたな可能性を目指すのをおススメしたい。それは議員を辞めたあともその人の役に立つ資質だろうと思う(辞めた後のこと、撤退戦のこともいつも考えておく)。



<反面教師として。政界に入って勘違いが進行するのはこんな人だ!w>

勘違いってのは、以下に書く物事の順番を追わない人だなーって僕は思ってて。

まずは政党制度の根底には民主主義がある。そしてその民主制度下での王様は有権者というか国民である。


その国民の前にあっては、政党はもちろん、政府機構も閣僚も官僚も、みんなひとしく国民の家来であり下僕であり従属組織である。
(一方国民側には納税の義務がある。正当な課税なら、きちんと収めなければならないし、毎日否応なしに徴収されてもいる)

国民にとっては政党(政権)運営やその人事、与党の総裁選挙など、閉じた世界の内部はどうでもよろしいし、政治家がそんなところに時間や資金を勝手に割くのを許可した覚えもない。


党の会議みたいなのは党員たちの間で既定的、慣習的に、おそらくは毎日行なわれているが、惰性で行なわれてるのなら、国民としてはそれに対する異議は大アリ。
なぜなら政治はただひとつの方向、すなわち自国民に対してのみ、行なうものであるのだから(国際社会や地球環境に関することなどは、ここではとりあえず外しておく)
所属政党の上役や同僚の顔色を伺いながら行なうものではなく、ましてや経団連や電力利権、ゼネコンの方を向いて行なうものでもない。そうした彼らが立場上獲得しうるものは、他のなんでもない国民が自然享受するものを超えてはならんのだ。

 

そうした本筋をまっとうするためだけに、議員には報酬が与えられる。

また民主主義の運営テクニックとして、直接制と間接制(代議制)があり、効率等を考えて、また、おそらくは性善説を当然の前提として、現在は間接制をメインに採用している(だけ)と僕は解釈してる。

つまり構図的には主権者(国民)が代表者を選出してその人に業務委託してるだけであり、議員センセー方におかれましては、権力的なるものが生来的に自分に備わってるんだなんて1秒でも思ったら大間違いだわ傲慢すぎるわで、その時点で辞職に値するのであります。

つまり、市井の人々、それも何の団体にも所属してないような個人の状況、暮らし、幸せを、想像できない、あるいは想像が足りない人が、政治を狂わせて行く。


<議員に告ぐ。自分の給料の大元を考慮せよ>

市民の生活を想像すること、それを忘れないでいることなんてかんたんなことだ。
議員の君たち、自分の給料の大元を考慮せよ。きみたちの給料は自動的に、財源から定期的に支払われているわけでは、実はない。いや表面上はそうだが、そう見えてるだけで、内実は1円1円が、僕たち普通人が血と汗と涙で上納している税金だ。

給与だけではない。

各審議になると当たり前のように各席に置かれる、ペットボトルの1本1本、弁当ひとつ、トイレットペーパーの端に至るまで、われわれの税金なんである。


為政者よ、君たちの雇い主は君たちを食わせておるのだ。議事堂の中では自分の財布も出すことはあるまい?

給与が振り込まれても何も感じない時点で、自分を総括する必要があるだろう。
また、自分で自分の給与(歳費とか言うらしいが)の額を決めることができる現行の制度を、社会通念に照らし合わせ、自ら改正するくらいの心意気がないとダメだろう。

元来僕は、給料とか年収のような、個人にまつわる可算できるもの、目に見えやすいものに対しては、気になるけど無理してでも、なるべくソッポを向くようにしている。そっぽを向けば向くほど、事物の本質が掴みやすくなるとさえ、思ってるくらいなのだ。

そんな僕でも、Wikiの「歳費」項目に、"日本の国会議員は年額約2,200万円(手当てを含めた総額は約4,200万円)と、世界最高水準と優遇されていることから議員特権であるとして批判されることがある"などという表記を見るにつけ、これじゃあ甘い蜜をもらいにぶんぶん来るやつもいるよなぁと思う。

平均で1年で4,200万、それもほとんど汗水たらした労働もしなくていいのなら、家1軒が1年でプレゼントされるようなものである。

国会議員は元々もらいすぎなのだ。自分たちでそこんとこメス入れてよ。こんなテーマで国会が紛糾したら面白いな。

報酬の多額さ、余禄の多彩さ、そしてこう書くとバカみたいだがチヤホヤされること(昔ほどじゃなかろうが、今でも厚遇されることはあると思う)、こうしたレベルの低い部分に惹かれて、政治家を志すようなボンクラどもが、興味を示さない程度にまで報酬を自らの手で切り下げたらどうなのさ。


そうすると、給料の本質みたいなものを考えざるを得なくなって、その思考回路そのものが、次の政治にいかされてくるよ。なにしろ官僚のお手盛りじゃなく自分の頭使うからね。

 

そう、外野から言われたからじゃなくて自発的に検証していくのさ。考え抜いた結果例えば、実は本当の問題は給与や手当てに関する規律が一律すぎるってことであって、成果按分の考えを導入し、もらって相応な働きをした人には現在以上の年5千万、そうでない人は年500万にしてキッチリ差をつける、なんてのもいいんじゃない、考えぬいた結果なら。(本当のところは知らないのであくまで例です)

 

こういう人が、「テーマを持ってる人」になっていき、観念論や傍観主義からじゃなく、実務面から政治の停滞を打破していくんだね。

 


<なんかこう、もっとひとりひとりがうまく輝ける制度にできないのか>

政治形態の歴史、民主主義の進展過程、ほかの国ではどういう慣用なのか等々は、僕は不案内なので、分からない。


分からないが物心ついてからというもの、自民党(与党)のおかげで自分の暮らし向きが良くなったと感じたことは、実は一度もない。


漠然とした感想だが自民党は僕だけでなく、国民を幸福にしたことがどのくらいあるか。


いままでの自分たちの政策をどう検証し、どう評価付けしてるのか。特に定期的なアピールはない(あるんだったら教えてください。特に失敗と位置づけてるものの自己総括を知りたい)


だいたい「自由」も「民主主義」も、まともに扱えたことがないのが人間じゃないのか。そのへんの謙虚な思想がベースになってないと、何も信じられない気がするけど。

多数決で決めてしまうことに乱暴さを常に感じて、審議を進めるときにもやましい気を常に持ってないと。
個人的には疑問があるのに、自分の所属する機構のほうでは推進する(原発とか、薬漬け医療行政とか)ときの、自分の心の中のわだかまりを、スルーせずに見つめないと。
だいたい、議会で扱うイシューなんて、何千もあるわけじゃないし、それらを個別に丹念にみていく姿勢を大事にしないと。人の意見には専門家も素人も分け隔てなく、しっかり傾聴しないと。


投票率が全世代で70%以上はある、正当な選挙で支持され、選抜された個人による間接民主政権なんかいいなぁ。10年に一度くらいの感覚で政体を気軽にシフトチェンジできないものかしら。


政党の看板も後ろ盾もない、しゃきっとした、何ものにも隷属しない良識ある個人どうしが、自身の資質と規律を持って、審議し合う。それでいいじゃないか。それがいいじゃないか。


政党という集団があるせいで、どれだけの維持費や時間が空費されてるのだろうか。
体裁を整える(つまり多数決の時に役立つ)ためだけに存在し、党員の隷属状態と思考停止の温床になるだけの議会民主制なんか卒業できないか。

総理大臣を、公正明大な選抜制でわれわれがチョイスすることが、ずーっとできないなんて、おかしいよ。AKB以下だよ。
国民感情より、政治機構の都合が優先されるのは、本末転倒だと思ってくれないと(国民あっての政治じゃんか)。

ということで、分かったかね、世襲議員の僕ちゃんたち。


分かったら今日からまじめにやりまたまえw

 

<了>