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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



全人類必読。自分の居場所のつくりかた。

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塩おにぎりで軽く済ますお昼。しかしいい塩といい海苔を使えば味わいは深い。

 

<居場所のつくりかた>

 

以前「自分の居場所は自分で作る」と書いた。そしてそれこそが、かけがえのない「本当の仕事」を個々人が獲得する奥義だ、みたいなことも。
今日はその「居場所を作る」方法について、僕なりの考えを書いてみる。なに、難しいことじゃない。

 

それは実際、簡単な方法だ。自分の好きな物事を細かくしていく、割っていく、分けていく、砕いていく、大きく言うとこれだけだ。
そしてその細分化の過程一段階一段階で要素を見つめ、「そうじゃない」「違うだろ」と、自分で自分にツッコミを入れていくのだ。批評といってもいい。
その細分化と批判を繰り返す過程で、居場所の端緒が見えてくる。ネット上でもリアルでもそう。

 

具体的に言うと、たとえばあなたが映画好きで、ナゼだか知らないが2週間くらい映画館に行かないとイライラするほど好きだとする。そして映画に携わりながら実利も得ていきたいと、ぼんやり思っているとする。
そしたらその漠然とした想いを、こう分析していく。

 

映画→ジャンルでは洋画を好むことが多い→洋画といっても色々だが、監督で映画を鑑賞することが多い→じゃあ好きな監督を何人か挙げてみる→その共通作風を考えてみる。そこに自分の好きの手がかりがあるようだから。
→で、考えてみると風景や時間の推移表現、演技者の表情が好き→そう考えると自分が本当に好きなのは洋画だから邦画だからとかじゃなく、映画監督でもなく、撮影方法だったと気付いた→なので映画のカラー撮影について考えてみる、あるいは撮影監督という仕事について考えてみる、

 

ということで、ずいぶん図式的に書いてしまった単なる例だが、こうして発展していくと、動くものを脚色演出して撮影する仕事方面にのめりこんでいくことだとか、機材としての映画用カメラに特化したサイトかブログでも作ってみたりすることが、まずは考えられる。特に後者(Web系)は、自分のモチベーション一つで進んでいけるから、かなりいい方法だろう。

 

ネット、リアルのいづれによ、自分の本当の「好き」の核心部を掘り続けていき、世間ともシンクロしていけば、それは必ず自分の資産になる。それも金なんかでは勘定できないし、したがって破産もなく、他人との代替もきかない、目には見えないかもしれないが本当の意味でオリジナルでゆるぎのない「自己資産」になっていく。

 

ただ気を付ける点が一つあって、その実務とオーバーラップしていく際の話なのだけれど、外部の権威には、まずは頼らないで自力でやってみることだ。つまり上の例で言えば映画や演劇、あるいは映像に関する専門学校とか、サイト制作の外注みたいなものがいろいろあるが、参考書を買って読むくらいならいいが、まずは自分のやり方でやってみて失敗なり修正なりをしていくことが大切だ。

 

なお、映画が好きと一言でいっても話題作を時々見に行くだけ程度で、自分の中で話が広がらないようなら、これは深追いできないテーマなので、ここに居場所を作ることはあきらめて、別のものを探す。自分の一日の行動を見つめてみれば、ヒントは必ず転がっている。

 

<なにも出ない人なんていない>

 

こういう「割っていく」方法で、自分のホントの「好き」を探ってみる。
するとだれでも、かならず、なにか、自分の中に鉱脈がある。それも複数あることも多い。
音楽、ファッション、書籍、旅行、車、オーディオ、楽器、料理、子育てなど、人に関わるあらゆる森羅万象に可能性はある。モノやコトの方は同一でも、人の方はみんな違う。したがって受け止め方も感じ方も千差万別だからだ。そして自分が本当にのめりこめる土壌を自分で育ててそこに依って立つ。

 

この前テレビを見ていたらアイス評論家の「アイスマン福留」さんって人が出てて、「アイスが好きで食べるだけから、いつしかアイスと向き合うようになった」なんて言ってたけど、たいへん面白い「居場所」を作ったものだと感心したし、外見は身軽だが、内実は自分の言葉を持ってる人だ、とも思った。

 

www.conveniice.com

 

このお方、自分で(勝手に)「アイス評論家」と名乗ったり、キャラとして山高帽を被ってたりなど(僕は帽子のサイトもやってるんで、帽子には反応してしまうのだ)、なかなかシャレてて、出しゃばりではなく、自分から人の評価の場に積極的に参加していくという開示意思を感じる。また、テレビに呼ばれるくらいだから評価も実利も確保してるんだろうと思う(その他、雑誌でも見たことがある)。そして当然ながらアイス評論家という仕事も居場所も、この世にひとつもなかった。この人がクリエイトするまでは。


ちなみに新規ではなく既存の中から居場所を探す場合、ネットの分野にはキーワードツールなるものが各種あって、月間検索数みたいな指標ですべての検索ワードが並列に評価対象となっているから、その中から分野を探すのもまぁヒント程度ならアリだと思う。いわゆる「こだわり」の分野を見つける参考にはなるだろうから。

 

ただ何度も言うようだがあくまでもそれは外部のツールに過ぎず、大事なのは先に書いたような自分の内部の思考過程だ。だからキーワードツールのリンクは貼らないでおくので興味ある人は各自でお調べ願いたい。

 

 

<こーなると、もはや人生訓だわw>

 

承認欲求、すなわち自分の価値みたいなものを他者に認めてもらいたい気持ちは、誰の心の中にもある、ということになっている。

 

ただ多くの人がそうであるように、職場で自然に振舞ったり、与えられた仕事をこなしてさえすれば自分が自動的に評価されてゆくというのでは、実は受身で消極的すぎる。

 

その評価のフィールド(=居場所)が元からあるならあるでそれは勿論いいけれど、たいていの人の場合そのフィールドというのは、職場と家庭、友達関係の3つくらいしかない。しかも本当にゼロから自力で築き上げたフィールドは、そのうちいくつあるのだろう?

 

そして退職したり解雇されたりしたら、そのうちの重大なひとつを簡単に失ってしまう。それはご存知のとおり今の世の中、大いにありうることだ。その上、家庭も友人関係も同時に失うことだって、あるかもしれない。仕事を無くすことは収入源の消滅を当面は意味するから、その点でまずは困ったことだけど、本当に困るのはその先に待ち構えてる「自分を居させてくれる場を失ってしまう」ことだ。こうなると生き甲斐の希薄化、あるいは喪失にすらなりかねない。

 

そしたらここは自分の手でもうひとつやふたつ、上に書いたような細分化の方法論で自分の評価フィールドをこしらえちゃって、「アイス評論家」みたいに世間に公開することをおススメする。アイス評論家にならって例えて言うと(あんまり高尚な例じゃないけれど)、カップ麺評論家でもいいし、そういう先行者がいるなら棲み分けして「カップ焼きそば専門家」になっちゃってもいい。それでもダメならさらに細分化して「一平ちゃん愛好家」でもいいし、あるいは目線を変えて、2015年に発売された焼きそばならレアものも定番モノのマイナーチェンジも、全部まかせて評論家ってのも、いいかもしれない。

 

こうした存在になるには熱意も時間も必要なんでやや難しい(そこがいい点でもあるが)が、それでも誰にでもできることだし、何度でも、複数並行してもできるし、遅すぎてダメになったなどということもない(生きてる限りは)。世の中にこれほどフェアなものはないってくらいだ。そしてそれが実現できたら、その居場所を基点として、あなたは確実に一皮むけて前進できる可能性が広がる。

 

そうすると、短絡的なようだがセーフティーネットが増えるから人生の悩みも、自殺も、確実に減る。おそらく犯罪も減る。で、人生にヴィジョン・指針ができる人が多くなり、社会はよくなる。

 

好きを仕事に、趣味をライフワークにって言われるけど、それはたとえばこういうことじゃないかって思うんだな。

 

現代はリスク・マネージメントが必要な時代だ、なんてことがまことしやかに言われてて、いかに利殖していくかとか節約して暮らすかみたいな、単なる渡世術が幅を利かせているけれども、本当にリスクマネジメントを施行していきたいならお金や資産に対してだけじゃなく、自分自身に対して行うそれが、もっとも大きい意味があるでしょう。

 

ちなみに面白いのはアメリカのロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のベーシストであるフリーが、最近養蜂界にも居場所を持ったっていうニュース。

headlines.yahoo.co.jp

こんな例もあるんだ。人は好きな面を出していけば、実にマルチ。一生多彩な人生を歩めるかもしれない。

 

てな感じで、今回の記事も、またまた偉そうに書いてしまった。だけど僕は前はお金がなくてたいそう困った時期のある人間だけれども、このやり方を自分で見つけて実践し、いまはそこそこ充実してる。だから書いたんだ。

 

最後に参考までにもういちどアイス評論家のリンク貼っとく。この人の生き方、ポップでいいです。

www.conveniice.com

 

 

<了>