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みんなが「ホントの仕事」に従事すれば、日本は良くなるし、世界にもいいことあるよ、たぶん。



「生きてるだけでめっけもん」

生き方も顔も何もいいとおもえないある芸人の言葉で、たったひとつ内実を感じた、しっかりした言葉がある、それは、

 

「生きてるだけでめっけもん」というやつだ。

 

そう、生きてるだけでひとはすべて尊い。と同時にみんな醜い。その点では真理は実に公平にできている。

 

世間では他人を評して一流とか三流とか平気でよく言うが、そうやってひとの属性を測ることは、すでに醜さの露呈である。それは底辺層である、精神的な。

 

お前はどうなんだお前は。

 

ひとはみな粛々淡々と生活を積み重ねることしかできない。そうしていて時たまフレッシュな認識に出会って、自分の中に新たな回路ができる。自分が切り裂かれる。その自分の中にできた瞬間の位相断層~その対象化~考察過程こそが、人が最も着目すべきポイントであり、本当の勉強・学習の起点だ。それ以上の価値は、あなたにとってこの世のどこにもない。それが生きることや人生の正体であり、また、その出会いの橋渡しをすることにしか、いわゆるメディアの存在意義はない。

 

どうでもいい芸人の、前述した何気ない言葉に照射された僕の経験が、そう教える。したがって人はみな、いつだってムキ出しのまま。若いまま。

 

ぜんぶ当たり前のことだ。他人をとやかく言ってるヒマなどないってことだ。

 

人に助言するときだって、自分だったらこうするね、以上のことなんか僕は言えないね。子供に対してだってそうだ。自分の経験を述べると同時にそこにニュートラルな味付けしかしない。出しゃばらない。その留保が、ぼくからあなたへの礼儀の贈り物だ。

 

「批評」でなく「非評」を、「協力」でなく「参加」を。よりはっきりと、みずからすすんで自分の態度を開放していくことが、よく生きるコツ。そのあとだ「生きてるだけでめっけもん」って言えるのは。なぜなら「生き」てなければめっけもんも何もないから。

 

<了>

キミは何もわかっちゃいないが、すべてを「知っている」

youtu.be

リリカルで、叙情的で、凛としてて、静謐で、清々しい。

 

アレンジも音の組み立ても、立体感がありながらもわざとらしくなく、オーガニックに響く。

 

この頃(1971年)のホール&オーツこそ、音楽。キミとぼくの境目を溶かす、本当のコミュニケーション。岡田史子のマンガのように刺さるこの滋味。人は単に人であるのでない。人は連鎖の結束点だ。人がいて人に魅了し魅了される、そのこと以外に、この世に素晴らしいものなんて何もない。分かってるだろ。

 

かくも包容力のある、このような優れた音は、相互の浸潤こそが真理への道程という直観を支える、そんなか細い糸。豊かにしなる蜘蛛の糸。

 

キミは何もわかっちゃいないが、すべてを「知っている」。ぼくはキミに降参だ。

 

<了>

父にガンが発覚した。

去る11月13日月曜朝、いつも通りの朝、快晴の朝だった。

 

しかし我が家だけは、突然の異常事態に見舞われた。同居している父が突然血尿を訴えたのだ。こんなことはいままでなかった。すぐさま近所の総合病院に駆け込んだ。

 

父は日ごろから健康に気を遣いすぎるほど気を遣う人で、76歳11か月の現在まで、健診でひとつも引っかかったことのない、かなりの健康体であった。血尿以外の自覚異常もない。

 

泌尿科に通され仔細に調べるも、尿への血液混入はごくごく微量。他の検査要素も正常値。尿の色は赤色というよりは紅茶色で、これは何か違う疾患かも知れぬと、そのまま内臓系異常の線で検査続行。

 

まず胃の内部出血を疑い、すぐさま胃カメラを飲むも、胃の内部は異常なし。それどころか父の年齢にしては、たいへんキレイな胃の内部だという。

 

ではでは、ということで今度はMRIだかCTだかを使った腹部撮影を敢行。胃カメラ同様に、機材のスケジュールを急遽空けてもらい、すぐ撮ってすぐ診断。

 

医者の顔が曇る。すい臓の上(頭部というらしい)が少し腫れてますね、との所見があった。

 

念のため腫瘍マーカーという、ガンの指標となる値を計測する。するとマーカー「CA19-9」の値は4,000を超えた。正常値はヒト桁台である。

 

つまりそれは、癌の発覚だった

 

発生部位がすい臓頭部というのが運の尽きである。

 

すい臓頭部は体の中央にあり、周辺の臓器や血管がひしめき合い、開腹手術が不能な部位である。ガンの中でも一番致死率の高い進行性すい臓がんに、健康な父が罹患してしまった。血尿の原因は、すい臓から肝臓に出てる肝管がガンによって押しつぶされ、胆汁の流れが滞ってるための現象だという。そのままだと全身に黄疸があらわれ、がんよりも先に、腎不全で参ってしまうという。

 

落胆して帰宅した父の顔色は、その日の夜からさっそく黄色くなっていった。悪魔からのいざないのごとくに。

 

いきなりカウントダウンの音が聞こえたような気がした。

 

(続く)